第34話 義母

『ナンジョウ ヨシナガ』

 自分の墓を眺めるというのは不思議なものだ。ここを掘ってみたら何が出てくるのだろうと好奇心がもたげるのも無理はない。元嫡男とあって墓石は立派で俺よりも大きい。手入れは行き届いており、朝に生けられたキンセンカがしおれずに両脇の花入れに供えられていた。

 墓場は他に人はおらず閑散していたため暑苦しいフードを外す。

 ハヤクモは志願兵第一次面接を受けに行き、俺は義母に会うために寺を訪れていた。

 けれど、ここまで来たものの、いざとなって足が動かなかった。

 そもそも死んだとされている身だ。会っても俺だと信じてもらえないかもしれなかったり、元後継者を名乗る不届き者だと思われたりしないだろうか。

 それにもし噂どおり、兄と義母が手を組んで俺を追放したのなら、と嫌な考えも頭をよぎる。迷いに迷い、いつまで経っても踏ん切りがつかず、さっきからずっと墓を眺めている。側から見たら十分、不審者だ。

 いい加減覚悟を決めようと決心したその時、人の気配がした。墓から顔を上げ視線を右へと向けた先には四十代の女性が立っていた。白い頭巾を被り尼服に身を包んでいる。彼女は俺を見るなり、彼女は大きく目を見開き、手にしたチリトリを落とした。

「……ヨシナガ?」

 何年ぶりに呼ばれただろう、かつての俺の名前。そうやって俺を呼んでくれる女性はこの世の中に一人しかいない。

「かあ、さん……?」

 記憶の母はもっと大きく、話をするときは顔をあげていたのに、今の彼女は小柄で視線を下げなければ目が合わない。変わったのは俺の方だった。心の準備が整わないままの突然の再会に、会ったらなんて言おうかと色々と考えていたことが全部吹き飛んだ。

「その……元気だった?」

 もっと他に言うことがあるだろうに、口から出たのはありきたりな言葉だった。

 母は呆然とした顔のまま両目からボロボロと涙を流した。いつも気丈な母が泣く姿なんて見たことがなく、混乱にさらに拍車がかかる。立ち尽くしたままの俺に母は駆け寄り抱きしめた。か細い両手にぎゅっと抱かれ、母の体温が胸のつっかえを溶かしていく。空白の期間が埋まるようだった。

「体の方はね。でもあなたがいなくなって心が晴れる日なんてなかった。ヨシツグからお前は機蟲に殺されたと聞かされていたのよ」

 しばらく二人は抱き合ったが、落ち着くと義母は頬を優しくなでると強い目をして言った。

「今までどうしていたのか教えてちょうだい」



 畳敷の一室で正座して母と向き合う。

 母が入れてくれた茶をすすると、舌に残る覚えのある味に心がサガミでの日々に戻ったようだった。

「実はあなたのお友達からあなたが生きているって話を聞いてね、ずっと待っていたのよ」

 思いがけない母の言葉に瞬時に現実に引き戻され、ブフッと茶を吹き出しそうになった。

「友達って、赤髪でヒカルっていう名前の?」

「ええそうよ。少し前にサガミに来てね。たまに遊びにきてお茶を一緒に飲んでくれるの」

 ようやくヒカルへの手がかりがつかめたという気持ちもそこそこ、人の母親と何やってんだという思いが強まる。第二層のマダムをひっかけて、かなりの安値でリサイクル品を買い叩いている姿を見ていれば尚更である。

「ヒカルはいまどこにいるの?」

「ごめんなさい、分からないわ。あの子、フラッと現れるネコのようだから。でも、もしあなたが来たらこれを渡して欲しいと頼まれていたものがあるの」

 母は一通の何も書かれていない封筒を差し出した。

 受け取ってその場で開くと、地図が一枚だけ入っている。サガミのどこかの地形を表しているようだが、帰って詳しく調べないと何を示しているのか分からない。

「あの子と一緒にマチダで暮らしていたんですってね。初めて聞いた時はびっくりしたわ」

「結構平穏にやっていたよ。でももしヒカルがいなかったら悲惨だったかも。彼には感謝してもし足りない」

「じゃあ今度、一緒にお茶に誘ってお礼をしなきゃね」

 母の提案に心が傾く。けれど、どこか冷静な自分は、ちらつく兄の影を見据え不可能だと告げていた。いつまでもサガミにはいられない。限られた時間を有効に使わなければならない。

「いきなり現れて、こういう話をするのはなんだけれどさ。俺を産んだ人の話を聞いていい?」

 母は少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な顔になりこくりと頷いた。

「あなたのお母さんとお父さんは幼馴染でね。生まれた時から家同士の約束で将来結婚することが決まっていたの。そうした取り決めがなくても、周りが羨むほど二人は仲がとても良くてね。オシドリたちのようだったわ」

 ありし日の日々を懐かしそうに母は語る。けれど、その目にふいに影がよぎった。

「けれど、アヤメさん――あなたのお母さんはね、早産と流産を繰り返して子宝をなかなか授からなかったの。三度目の流産でもう子を生むことは無理だろうと見なされて、世継ぎを作るために私が迎えられたの」

 母はふっとため息をついた。

「アヤメさんは美しく優しい人だったわ。こんな私のことをいつでも声をかけてくださって。ヨシツグが生まれた時は誰よりも祝福してくださったわ。けれどそのうち、病が体を蝕むようになって床に伏せる日が続くようになって帰らぬ人になった。アヤメさんを失ったあの人の嘆きようは海より深く、何週間も塞ぎ込んで誰とも口をきかなかった。機蟲の襲来があれば迎え撃ったけれど、その目は何かに取り憑かれたようだったわ。でもある日、憑き物が落ちた顔をして赤ん坊を抱いていたの。アヤメと俺の子だとあの人は言った。もちろん誰もが驚いたけれど、父譲りの目と金色の髪はアヤメさんの忘れ形見に違いなかった。成長するにつれ、顔はますますアヤメさんの面影が強まったわ。だからさっきお墓の前で侘ずんでいたあなたを見て一目で分かったのよ、ヨシナガ」

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