第13話 羽化
シェルター内に叫び声が響いた。
蓋の外れた空調ダクトからは次々にスズメバチ型機蟲が現れ、近くにいた避難民を襲っていく。頭のもげたぬいぐるみは機蟲たちに呑み込まれ四肢をもがれると肉団子となり、青年は背後から襲われ首から血を噴き出していた。人々は出口を求めて逃げ惑い、押し合い、重なり合って倒れ込んだ。
「こっちだ!」
騒乱の中、ヒカルは背後の非常口をクラス5のセキュリティ権限でロックを解除し指をさすと駆け込んだ。
今、このシェルターや避難通路のどこに機蟲が潜んでいるのか分からない。いつ何時、通路を曲がった先でばったり出くわす可能性はいくらでもあった。こっちには機蟲はいないだろうと祈りを込めて、避難通路を闇雲に走って、突き当たりを曲がった場所でヒカルは盛大に舌打ちをした。
瓦礫が道を塞いでいる。上を見れば、粉砕されたアスファルトが煙をパラパラと舞い落ち、ぽっかりと穴が空いて外へとつながっていた。ためらっていると、はるか後方からブブブと不気味な音が響きわたる。背後に機蟲スズメバチが迫っている。追い出されるようにヨコハマ一階部分へと急いだ。
街は見るも無惨な状態で、整然していたあの街並みは見る影もない。あるのは、エグれた大地と鉄骨や鉄筋が剥き出しになった建物と燃える家に瓦礫の山。あたり一帯を焦げた臭いが覆い、地下空間で吹くはずのない風が吹いて火の粉がチリチリと舞う。何かが爆発する音が断続的に聞こえた。
空中はヘリが、地上では装甲車が機蟲と交戦していた。
ちょっと離れた場所で火柱が吹き上がり、慌てて反対方向へ逃げる。
早く安全な場所に辿り着けなければ、戦闘に巻き込まれるか、落ちてきた瓦礫にペシャンコになるか、機蟲の餌食になるかの運命だ。
「どうする、ヒカル!?」
「ひとまずバイクの確保! 泊まっていた宿に戻るぞ」
路上にはスズメバチに襲われたのだろう、多数のちぎれた死体が転がっている。
あたりの温度が高すぎて赤外線機能は役に立たない。ただ機蟲たちは襲いくる敵を迎え撃つのに夢中で、地面をコソコソ這いずり回っている相手には注意を向けてこず、これ幸いと瓦礫の中、身を隠しながら移動する。スズメバチは目が上の方についているから下はあまりよく見えていないと図鑑に書いてあったが、機蟲型もそうなのかもしれない。
運よく機蟲に遭遇することなく、見慣れた通りが見えてくる。この通りの先がゴールだと安堵した瞬間――先頭を走っていたヒカルが吹っ飛ばされた。
「ヒカル!」
ヒカルは横から飛んできた機蟲に襲われ地面に転がる。毒針攻撃を間一髪で避けたが、続く噛みつき攻撃を払い除けようとして、腕をガブリと噛まれた。
「い……!」
「ヒカルを、離せっ!」
ヒカルに噛み付く機蟲の頭めがけてナップザックを振り下ろし、殴りつける。
鈍い衝撃が腕に響く。やったかと機蟲を見れば、顔をこちらに向け、その複眼と単眼で睨みつけてきた。
「やば……」
機蟲は顎をカチカチさせ威嚇する。
注意をこちらに向けることはできた。けれどその先のことは何も考えていない。
「嫌だ……来るなっ!」
ナップザックを振りまわして牽制するが、機蟲はどんどん近寄ってくる。
一歩、一歩、後ずさる。
「あ……」
足を瓦礫につまずかせ、バランスを崩しその場に尻餅をついた。
その期を逃さず、機蟲は襲いかかってきて目の前に黄色のドクロが迫った。
――死ぬ
身を捩って振り切ろうとしても間に合わず、機蟲に覆い被られた。
ガタガタ震える体は言うことを聞かず、最後は苦痛が少ない方がいいと判断したのかまったく力が入らない。
機蟲は獲物を検分するように俺の頭に触角で触れ続ける。続いて牙で軽くつつくと、くるりと体を回転させ、えっと思った時には飛び去っていった。
ほうけるしかなかった。思いも寄らない事態に何が起きたのか分からない。ともかく、助かった……のだろう。
ヒカルが血が流れる腕おさえ、足を引きずりながらやってくるのが見えた。安堵のため息をつき、立ち上がろうとして
――どくりと体が大きく脈打った。
どくりどくりと心臓の鼓動が聞こえ、体の熱が上昇していく。
熱は背中に蓄積されていく。熱い。痛い。
熱に浮かされた頭はぼうっとして意識がぼやけてくる。
この時を待っていたと、内なるものが歓喜の声をあげた。
「あっ……」
己の体が作り変わっていくようだった。
いや、違う。とっくのとうに完成していた。
ただ出てこないよう押し留めていたものが、限界がきて溢れ出て、堰を切って流れ出ていくだけだ。もうこの流れは止められない。
中のものはとてつもなく膨れ上がっていく。強い圧迫感とともに背中にピリピリと亀裂が走る。メキリと割れ、濡れそぼった何かがぬらりと出てくる。少しずつそれは体の外へでていくと感じていたら、いつの間にか、抜け出ていく側に心がうつっていた。
呼吸を浅く繰り返していくうちに、新しい体に感覚がじわりとともっていく。濡れそぼった体は冷たく、重く、だるい。何か腹にいれてエネルギーにしなければどんどん冷えていく。
ふわりと懐かしい匂いが嗅覚細胞を刺激した。匂いをたどって顔を動かすと、近くに獲物が転がっていた。そういえばさっきからずっと何かを叫んでうるさかった。黙らせようと近づき、首をかっさばこうとした。
けれど、すでに食欲を刺激する血が流れでていることに気づき、そちらに口を近づけすする。
はるか昔、これを餌にしていたが、今この瞬間い求めていてはいないものだ。腹が減っているから仕方なく、舐め続ける。全然足りない。もっと肉をちぎればいいのだろう。
空腹感に従って動く体を、頭の片隅に残るちっぽけな自我が叫んで止めようとしていた。
――やめろ……やめてくれ!
けれど、飢えを満たしたいという思いが小さな声を塗りつぶす。かぱりと口が大きく左右に開き、獲物を噛みちぎった。
獲物は金切り声をあげたが、構わずガジガジとかじり血をすする。がむしゃらに頬張ってあまりに急いで飲み込んだためか、一緒に口の中に入った肉のかたまりが細い腹部をとおらず、オエッと吐き出した。
咳き込みは止まらず、口を手でおさえる。
呼吸を落ち着かせ、吐き出したものをもったいないと手を伸ばし
――ようやく違和感に気づいた
伸びた手は四本あった。しかも三つの節からなる木の棒のように茶色い。
自分の手だと信じられなくて、指を開閉を繰り返すときちんと動いた。
この手はなんだ? 俺の体は、一体どうなっている?
「アラタ……!」
誰かの声が聞こえた。
あらた。アラタ。そう、俺の名前。
その声でそう呼ばれるのが何より好きだった。でもどうしてそんなに苦痛に満ちているのだろう。
心がざわつく。激しい空腹を訴える体が意識をおし流そうとするのを押し留め、繋ぎ止め、散り散りになった己をかき集める。
深呼吸を繰り返していくとアラタだった欠片がゆっくりと、集まっていく。無数に別れた視界が一つに定まっていく。一度目を閉じ、再び開けると視界が切り替わると同時に、目に飛び込んできたのは絶望した顔のヒカルだった。
「え……?」
化け物を見るような目だった。
その目に――兄の顔が重なる。
どうしてヒカルがそんな目で俺を見るの?
口の端からつつと液体が垂れた。手でぬぐうと血だった。真っ赤な鮮血。
ヒカルは左肩をおさえていた。どくどくと手の隙間から溢れるように血が流れ出ていた。えぐれて皮でようやく繋がっている状態だ。
さっき機蟲に攻撃された時よりも、ひどくなっている。
ヒカルの怯えた目が怖くて、顔を背けると水道管が破裂してできた水たまりに己の姿が映った。
そこにいたのは――機蟲だった。
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