第14話 形態変化

 二本足で立っている。けれど腕は四本あり、背中には羽が二対生えている。博物館の禁止区域で見た、あの人型の機蟲だった。

 いや、これは夢で見たあの姿。人型のスズメバチ。先ほどまでの己の行動が脳裏に再生されていく。空腹のままに獲物を食らった。俺が食ったのだ。ヒカルの肉を。

「うげぇ……!」

 胃の中のものが逆流する。嘔吐すれば、べしゃりと血とともに細かな肉の破片がこぼれ出た。

「違う……違う……! 俺じゃない!!」

 己のしでかしたことに嫌悪感が込み上げる。どうしてそんなことをしたのかと問う一方で、口の中に残る血をさらに求めている自分がいることにさらなる絶望を覚えた。これ以上ここにいたら、またヒカルを傷つける。背を向け、走ろうとして盛大にすっ転ぶ。体は濡れそぼり、筋肉はふにゃふにゃしてうまく動かない。

 両手を地面についてどうにか体を支え立ち上がった時、ドローンがこちらに飛んでくるのが見えた。

『機蟲発見機蟲発見。未確認型蟲人と思われます。本部応答を』

 顔から血の気が引くのを感じた。俺のことを言っていた。

「違う、俺は機蟲じゃない!」

 心の底からの絶叫だった。だが、ドローンは無情に告げた。

『生捕りにせよ。確保収容研究優先』

 全身が鳥肌だった。捕まれば実験動物として扱われる。そして最後には博物館に並べられた剥製の一つとして飾られる。

 ――嫌だ……っ!

 逃れようと踵を返そうとしたその時、ドローンから何かが撃ち放たれ避け切れずに、足首に激痛が走った。刺し抜かれたような痛みに、バランスを崩す。地面に倒れると、さらなる激痛が加わった。

「ひ……ぁ……!」

 激痛がギリギリと苛み続ける。涙で視界が歪む目で足を見ると、太い針が左足に突き刺さり地面にぬい留められていた。引き抜こうとした右手にさらに針が刺さり、息ができないほどの痛みに襲われる。痛い。痛い。標本のように地面に縫い付けられ、身動きが取れない。とめどめなく涙があふれ、苦しげにうめく。容赦なく、三本目が右足を穿った。

「ああああ……!」

 意識が飛びそうだった。苦痛が体を染め続けていなければとっくになっていた。ボロボロと涙が溢れる。どうしてこうなったのか分からない。

 地面に縫い付けられているため逃げられない。なすすべもなく、ドローンたちが引き連れてきた武装集団にが迫ってくるのを眺めることしかできなかった。

 武装集団の一人が、銃身が二本並んだ銃の引き金を引くと青い閃光が火花を散らしながら網のように広がり、俺を覆うように飛んでくる。まるで捕獲網だ。あの網に触れたら更なる激痛に襲われるだろうと覚悟して目を閉じようとしたとき――緑色の大きな何かが、風が切って横を通り過ぎて行った。

 図鑑で見たカマキリに似たそれは、軽快なステップを踏んで飛び上がると、両腕の鎌を振り下ろす。切られた網はバラバラにほどけ光を失った。続け様、近くを飛んでいたドローンを踏み台にするとさらに高く飛び上がり、回転しながらドローンたちを切り裂いていく。

『新種のqoc8e機12o蟲eif-3!! 新ow32=5機蟲』

 故障したドローンたちはひゅるひゅると下降していき、武装集団たちのそばで次々と爆発する。怒号が響き渡る中、何かがパンパン破裂する音とともに煙幕がはられた。


 一体何が起きているのか視界ゼロの煙の中、目を凝らしていると誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。あの謎の人型カマキリだった。そいつは俺のそばでしゃがみ込むと右足に刺さった針をつかんだ。

「引き抜くぞ。耐えろ」

 次の瞬間、全身に強烈な電流が走った。バチバチと聞こえるような痛みに頭が真っ白になり、体が大きく突っ張る。

「く……ぁ、ああっ!」

 躊躇いもなく次から次へと抜かれ、体が痙攣する。鼓動が鳴り響き心臓が破裂しそうだ。最後の一本が抜かれ、一際大きな痛みが全身を襲う。

「いっ、ああっ……!!」

 意識が朦朧とする。苦痛の根源がなくなり痛みは弱まってきたものの、呼吸が乱れ息をろくに吸うこともできない。だらりと弛緩した体の膝と脇の下に手を入れられひょいと持ち上げられ肩に担がれる。どこかに運ばれている。体を揺すられながら、ぷつりと気力が途絶えた。



「このまま寝ると体がもたないぞ」

 ペチペチ頬を叩かれ、薄く目を開いた。意識が途切れていたようだ。

 硬い床で寝かされている。体がひどく冷たい。ぼうっとしたまま、目に写る灰色の天井をみるとあまり高くない。どこかの地下通路にいるようで、他には誰もいない。

 誰かに抱き起こされ頭を支えられ。唇にペットボトルが当てられた。甘い香りが鼻に流れ込む。唇についたものを飲むと、じわりと甘美な味が口の中へと広がった。たまらなく美味しい。欲しかったのはこれだと体が歓喜した。もっと欲しいと自らペットボトルに口をつけこくりこくりと飲むと、喉を胸部をするする通り過ぎていく。

「一気に飲み干すな。ゆっくりと噛むようにだ。そうそう、いい子だ」

 腹を甘い水が満たしていく。体にぽっかり穴のように空いていた空腹はどこかへいき、今にも消えそうであった命の火が再び灯った。満足して寝つこうとすれば、そうはさせじと声がとめた。

「寝る前に機蟲形態を解除するんだ」

「かい……じょ?」

 どうしていいのか分からず頭を左右に振ると、目を掌で覆われた。

「目を閉じろ。頭の中で想像するんだ。お前の鼻はいくつだ?」

「ひと……つ?」

「なら、そう意識するんだ」

 すっと思いだす。鼻。そう、俺の顔には鼻がある。

「いいぞ。次は手足だ。お前の手と足は何本だ?」

「にほん」

「そうだな。続けてやってみるんだ」

 足。そうだ。手足が二本ずつだ。六本じゃない。

「次は口だ。口に生えているのは?」

「歯」

「順調だ。そうやって元の自分の姿を想像するんだ」

 ぐぐぐっと体が変形していき、あるべき形へと変わる。恐る恐る体を触ると柔らかな皮膚がそこにあった。

「慣れれば一人でも戻れるようになる。突然のことで色々と混乱しているだろう。今は休め」

 手の隙間から人影が見えた。ハヤクモだった。

 どうしてお前が……?

 色々と聞きたいことがあった。けれど、限界を超えた休息を欲していた。意識が再び遠のいていく。

 ――機能停止。

 ただ闇が広がっていた。

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