第12話 シェルター
博物館は最寄りのシェルターに近い位置にあったようで、到着した頃はまだ人は少なかったが、壁を背に隅で座っていると続々と避難民がやってきた。
頭に血の滲んだ包帯を巻いている女性、顔のもげたぬいぐるみ、腕のない男性、泣き喚く赤ん坊をあやす若い母親。中には昨日レストランで見かけたスーツ集団もいた。防護服をきた救援チームが到着すると、彼らの間に安堵の声が漏れた。
「一体なんなんだよ、あの機蟲は」
ヒカルは支給されたおにぎりを頬張りながら言った。彼の憤慨も最もだ。マチダに続いてヨコハマまで襲われた。まるで疫病神のようについて来るあの蟲たちは不気味だった。
ヒカルの文句を聞きながらもぐもぐと口を動かしながら、ふと昨晩のことが脳裏に蘇った。
――マチダを襲ったあのスズメバチ。あいつらはどこから来たと思う?
ヒカルが席を外している間に、俺に聞かせるようにハヤクモは言った。黙っていると彼はそのまま続けた。
――もしもだ。あれが誰かによって意図的に引き起こされたものだったら、同じことがまた起こるぞ。
あの時のハヤクモの目はどこか俺を試しているようであった。彼はもしかしたらこの事態を想定していたのではないだろうか。
誰かが来るたびにそっと顔をうかがったが、ハヤクモはいつまでたっても来ない。別のシェルターに避難しているのかもしれないが、会ったら問い詰めたいことはいっぱいあった。
時折、頭上から轟音が聞こえ施設全体に振動が響く。
外ではどのような戦いが繰り広げられているのかここでは一切分からない。「俺がヨコハマ藩主だったら、最終手段としてサーモバリック爆弾を使うかもな」とヒカルはボソッと言った。閉鎖空間の空気を発火に使用し、爆発で生き延びても酸素が尽きて死ぬ恐ろしい兵器だ。そんなもの使われたらヨコハマは壊滅ではないだろうか。最悪、体がなくなっても次の体がある者たちが過半数を占める藩だ。考えもつかないような無茶な戦術を取らないよう祈るだけだ。
ヒカルはひととおり悪態をついたら大人しくなって電子手帳と向き合っていた。
「なに見ているの?」
「昨日もらった昆虫図鑑」
誰もが不安でいても立ってもいられない中、呑気なものだと呆れる他ないが、ヒカルらしいといえばヒカルらしい。
隣からのぞくと、スズメバチのページだった。
「なんか面白情報ある?」
「そうだな。スズメバチの中には社会生活を営む種類もいるってところは興味深い」
「社会生活? 蟲が?」
「ああ。卵を生む一匹の女王バチと、大勢の働きバチで一つの社会をつくっているんだって。最初は一匹だった女王バチが、幼虫を生んで働きバチとして育て、成長した働きバチは餌を探したり幼虫の世話をしたり、巣を拡張していってやがては数百匹を超えるコロニーになるそうだ。ハヤクモさんがあの機蟲はスズメバチ型だと言っていたけれど、もしそうならマチダやヨコハマを襲ったあの機蟲は、幼虫のために餌を狩る働きバチだろう。どこかにあいつらを指揮する女王バチがいる」
「つまりその女王バチが死なない限りは、永遠と働きバチは増え続けるってこと?」
「餌がある限りね。ちなみに女王バチは一生のうちに一万から三万匹の働きバチを生むんだ」
一匹だけでも脅威なのにその数の働きバチが生まれていくる姿を想像してゾッとした。しかも、女王バチは時がくれば新たな新女王バチを生むという。何百万、何千万ものスズメバチがあらゆる土地を闊歩するさまが浮かんだ。もしそんな事態になれば日の本は終焉を迎えるのではないだろうか。
昆虫の姿のスズメバチのイラストを眺める。
働きバチに比べ女王バチは体が一回り大きくお腹がふっくらしている。この中に卵がぎっしり詰まっているのだろう。
目につくのは大きなアゴだ。動画を再生するとハサミのように開閉し、カチカチと音を鳴らした。この顎を使い、昆虫を肉団子にして幼虫への餌とする。人の皮膚なんて紙のように切り裂けるだろう。
ウマノオバチの産卵管は本来、樹木の中にいる獲物に卵を生みつけるためのものだが、それが機蟲に変化してコンクリートをも突き刺せる武器となった。
スズメバチの大顎は獲物を切り裂き昆虫の時でさえ恐ろしい力をもつ。
機蟲になったら、その力たるやどれほどのものだろう。
もし、このアゴがコンクリートも砕けるほど強力ならば、このシェルターなんて易々突破可能ではないだろうか。
マチダでは彼らは頭上から現れた。ふとシェルターの天井を見れば空調ダクトが走り、室温を管理し新鮮な空気を提供してくれる。
胸騒ぎがした。視線を上に固定し耳を澄ますと、かすかに音が聞こえる。
カリカリ、カリカリカリ。
何かをひっかくような音。避難民たちの嗚咽や話し声に紛れて聞こえにくいが、単調に、連続的に、止まることなく、ずっとずっと。
「ヒカル、何か聞こえない? 天井の方」
「天井?」
ヒカルは立ち上がり、顔を上に向けて目を凝らす。
これが俺の恐怖からくる幻聴ではないかと願う。けれどヒカルは、何かを聞き取るとさっと顔を青くした。
ガリガリ、ガリガリガリ。
音はさっきよりも大きくなっていく。
口の中がカラカラに乾いていく。避難民たちの中にも異音に気づいた人間が天井を見た。
空調の吹出口が外れ、あ、と声が漏れた。黄色のドクロが隙間から頭をのぞかせた。
嫌な予感ほど当たるものだ。
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