第11話 蟲人

 昆虫図鑑を片手にもう一度行きたいとヒカルが言い、翌日、再び機蟲博物館を訪れていた。

「ハヤクモさんから他にも面白いものもらってさ」

「面白いもの?」

 顔にださないものの、あいつからの秘密の贈り物なんてあまりいい気はしない。それを使ってなにをするのか聞いても、ヒカルが行ってからのお楽しみと隠せばなおさらだ。嫉妬を抱いているのだと分かっている。けれど、どこかザリザリとした嫌な予感が頭から離れなかった。


 中に入れば昨日同様、キムシが迎え入れてくれたが、彼がしゃべりだす前にヒカルは電子手帳を頭部にかざした。

『セキュリティクラス5認証。アクセスコード解除』

 キムシが目を緑色に点滅させ、温もりのない機械的な声で応答した。

「お、本当に使えた」

「なにしたの?」

「身分証のセキュリティ権限を三段階ほど引き上げたんだ。マップを見てもビジター権限だと行けない場所がいっぱいあってさ。試しに使って見たかったんだよ」

 ようはハッキングだ。ハヤクモのプレゼントとやらは思っていた以上に相当厄介な代物だった。ヨコハマのルールは分からないがマチダでは強制労働三ヶ月の重罪だ。けれど、ヒカルの生き生きとした顔を見れば止めても無駄であるのは歴然だった。

「ここを選んだ理由は?」

 ため息をつきながら聞けば、ヒカルはよくぞ聞いてくれたと腰に手を当てた。

「人は他にいないし、どっちかというと観光施設だし機密情報を扱うような場所じゃないだろう? お試しには絶好の場所だと思って」

 にしし、とヒカルは笑い、次はどこで使ってみようかとエレベータに乗りこむ。ヒカルをそこそこ満足させ、これ以上危険なことに使わせないためには何がいいかと頭を働かせている傍ら、当の本人は旧文明の昆虫が展示されているのはどの階だったっけと呑気にフロアマップを見ていた。

 その時だ。扉が閉まると同時にボタンを押してもいないのにも関わらずエレベータが動き出した。下へ下へと吸い込まれるように地下へ進んでいるようだ。

 思わず顔を見合わせる。

 ボタン表示があるのは地上の三階部分のみだ。地下施設があるなんて情報はどこにもない。思い当たる節があるといえば、アクセスコードを解除したことだ。本来入れない場所へとエレベータは降りていく。やがてチンと音をたてて停止すると、扉が開いた。

 顔をだせば通路幅3メートルほどの廊下が続いている。ひんやりと薄暗いことは他の階と変わらないはずなのに、どこか陰鬱さを孕んでいた。ここから先は非公式の裏施設だ。

「流石にやばくない?」

「大丈夫でしょう。もしばれてもエレベータシステムが誤作動を起こして間違えて迷い込んじゃいました、って言えばいいよ。ちょっとのぞくだけだからさ」

 ヒカルは止めるまでもなく、一歩踏み出していた。慌ててついて行こうとして、ぞわりと背筋が粟立った。ねっとりとした不快さがまとわりついてくようだった。

 ヒカルもなにか感じたようだが、好奇心をさらに刺激させる結果に終わった。

「この先、なにがあるんだろうな」

 彼は警戒しながらも進んでいく。気を抜けば廊下に足音が響くため、息をひそめそろりそろりと続く。

 一歩進むごとに、得体の知れない何かの存在が大きくなっていくようだった。やがて突き当たりに扉が見えた。鋼鉄で重々しく、バイオハザードの黄色いマークがデカデカと貼られている。

 ヒカルは迷いなく電子手帳をかざすと、ドアがカチリと音を立て開いた。

 これ以上、先へは進みたくないと体は拒否していたが、心はここまできて今更戻れないとはやっていた。

 嬉々とした足取りでヒカルが先を行き、追うように続いた。


 中は深海を思わせる青い空間だった。円形で広々としており、煌々と明かりが灯っている。室内には機材が所狭しと並び、足元には何本にも束ねれれたケーブルが縦横無尽に走っていた。

 部屋の中心には人がいた。動きはない。

 人体模型だろうかと近づき、あっと声をのんだ。

 それは人ではなかった。

 確かに二本足で立っている。けれど背中には透明な羽が生えていた。

 五本の指を持っているが、腕が四本あった。

 全身が機械のようなメタリックなボディで覆われ頭には触角が生えている。

 まるで機蟲と人を混ぜあわせて作り直したような造形だった。

「なにこれ?」

「アブラゼミ型……むしびとって読むのかこれ? 新人類としての洗練された体を手に入れるため、機蟲と人を合体させたような作りになっているのか? くそ、暗号化されていて全く読めない」

 ヒカルはどこからか持ち出してきた資料を片手に近くの椅子に座り、読もうと奮闘していた。こうなったらテコでも動かない。ゴーグルの赤外線機能を作動させ、あたりを警戒しつつ、他に人が入ってきそうな扉がないかと探していたら、奥に円形の水槽が並んでいるのが見えた。これはなんだろうと近づき、その正体を知った瞬間、短い悲鳴が漏れた。

「ヒッ……!」

 水の中で浮かんでいたのは赤ん坊だった。

 どこからどう見ても明らかに人の子だ。ただ一点だけ異なる。眉間の間に目が一つあった。

 三つ目を持った赤ん坊のホルマリン標本だ。

 ゴーグルに思わず手をやる。

 どうして三つ目の赤ん坊と同じフロアに、人と蟲を混ぜ合わせたアレが一緒に並んでいるのか。

――ときおり、生まれながら機蟲に体を蝕まれた人間が生まれるという

 不意に思い出したくない遠い記憶が甦り、体が冷えていく。

 ムシビト。蟲人。蟲と人の間の生き物。

 ――もし、あの三つ目の赤ん坊の成長したら

 あのアブラゼミ型の蟲人の頭の中心には三つの目があった。

 ――あの姿になるのか?

 身の毛がよだつ。ありもしない妄想だと頭をふる。ここにはもう居たくない。

 ヒカルを引きずってでも連れて行こうと決心したその時、ぴぃんと耳鳴りが聞こえた。

 ――声だ。

 夜になると聞こえてきた、あの声。

 マチダがスズメバチ型機蟲に襲われる直前にも聞こえた声。

 いつになく大きく頭に響き、俺の中にいる、俺でない何かが共鳴していた。それはガリガリと爪をたてて殻を破ろうとしていた。ぐらりと視界が揺れる。震える体を両手で抱き、無理矢理おさえつける。

 この力に負けたら吞み込まれる。それだけは絶対嫌だ。


「アラタ、大丈夫か!?」

 始まりと同じように終わりも唐突だった。

 瞼を開けると、ヒカルが心配そうに覗きこんでいた。

「ヒカ……ル……?」

 パチパチと瞬きをして視界を結ぶにつれ、感覚が現実へと引き戻される。いつの間にか床に横たわり全身汗をかいていて、心臓がバクバクと鳴っていた。体の節々が痛い。

 どれくらいの間そうしていたのか分からない。ずいぶん長い間だったかもしれないし、ほんの一瞬かもしれない。

「床で倒れていたからびっくりしたぞ。何があった?」

「声が、聞こえた」

「声?」

 あの声は告げていた。

「あいつらが――くる」

 ――狩りの時間だと。


 部屋中にサイレンが鳴り響いた。

『機蟲襲来、機蟲襲来。速やかに一階の脱出シェルターへ避難してください』

「機蟲だって!?」

 ヒカルの判断は早かった。座り込む俺を立たせると、手をひいて元きた道を駆け抜ける。

 幸い誰ともすれ違わず辿り着いた一階フロアでもアラームが鳴り響いており、キムシが飛び回っていた。

『機蟲襲来。館内のみなさまは案内板に従ってシェルターへ避難してください』

 背後の大型モニターでは、街の様子が映し出されていた。

 マチダと同じだ。あのスズメバチ型機蟲が大群で押し寄せ、住民を襲っていた。

「あの体だったら機蟲に襲われないんじゃなかったのかよ!」

『仰るとおりです。あの種不明の機蟲の行動原理が不明です。たとえ体を失っても新たな体に記憶を移し替えれば元通りですが、襲われた時の記憶はトラウマもの。その後が心配ですね』

 キムシは淡々と答えた。

 そこへ入館口からドンドンと大きな音が鳴り響いた。

 スズメバチ型の機蟲が博物館のガラス製の扉に体当たりを繰り返している。それは二つの複眼と三つの単眼でこちらをじっと見つめていた。

『早くあちらの避難通路へ。緑色のランプに沿って歩けばシェルターにたどり着きます。あの扉も長くは保ちません』

 言葉どおり、ガラスにはすでに亀裂が走っていた。

 バックアップがない俺たちにとって、一度でも世界からログアウトしてしまえば帰ってこれない。

 急いで脱出口へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る