第9話 進化の行方

「で、一日滞在してみた感想は?」

「特殊すぎるでしょう、この藩」

「同感だな」

 ハヤクモは、神妙な顔をしたヒカルを笑いながらワイングラスを傾けた。


 夕食をご馳走するから一緒にどうだとハヤクモからの連絡が電子手帳に入り、指定された場所はいかにも高級そうなレストランだった。受付の自動ロボットに名前を告げ通されたのは個室で、中ではスーツを着たハヤクモが待っていた。髪を整え完璧に紳士服を着こなしている姿は、初対面の野生剥き出しの時とはガラリと雰囲気が変わり、清潔な外面で本性を覆い隠しているように見え、胡散臭さが増していた。

 テーブルの上にはナプキンと高価そうな食器類が並べられている。席につくなりハヤクモが次々にオーダーすると、色とりどりの料理が運ばれてきた。

 サラミとチーズ、玉ねぎのムース、酢をきかせたサーモンサラダにトマトと生ハムのプルスケッタが次々と並ぶ。これで前菜なのだというから恐れ入る。

 久々の天然肉を食べる機会もさることながら、個室とあって人目を気にすることなくゴーグルをつけたまま食事しても特に何も言われないのはありがたい。ハヤクモは怪訝な顔をしたが、彼にどう思われようが別によかった。

 舌鼓を打ちつつ、肉体を捨てたら料理を楽しむことも必要ない行為ではないかとふと不思議に思った。同じ疑問を感じたのだろうヒカルがハヤクモに聞けば、曰く、文化の継承こそ人を人たらしめるもの、という考えが根底にあるそうで新しい肉体にも五感を備えることは必須だという。

「初期段階では全身を機械で置き換えるサイボーグを目指していたんだ。痛覚も感情もなく矛盾のない思考に、莫大な情報を高速処理を行う脳副処理装置を持った栄えある新人類第一号は、データ化された精神を移し替えてから原因不明のバグが多数生じ、起動時間は一年と保たなかったそうだ」

「どうして?」

「新しい肉体と元の肉体が大きく乖離していたために、精神に齟齬がきたすようになったのではないかと述べる報告書を読んだことがあるよ。その失敗を踏まえて、なるべく人間本来の機能をもった肉体開発へとシフトチェンジしていったそうだ」

「もしかしたら精神って液体より個体に近いのかもな。だから無理矢理、形を変えようとしたら壊れたとか。でも町中で見たあのぬいぐるみだって、そんなに人間に似ているとは思えないけど?」

「あれはゲームでいうレベル1の状態で赤ん坊みたいなものだ。新規の体――アバターが初期から高性能すぎると思考の情報処理が追いつかず限界を超え、情報性うつ病を発症しやすい。だから最初は機能制限された動きがにぶいアバターから始め、精神がアバターに馴染んだ段階で次のアバターへと変更するんだ」

「精神が高性能の入れ物に次々と乗りかえる……だから肉体はデッドメディア、か。でも精神をデータ化したなら、死をどのように定義するんだ?」

「保存データの破棄あるいは破壊だ。アバター本体に記憶情報を保存する装置が備わっているが、それとは別にたいていの人間は仮想サーバに生存情報をバックアップしている。秒刻みか分刻みかは契約している保険会社と納めている額次第だが、それらすべてのデータの破棄を本人が望んだ時、誰かに破壊された時、あるいは重犯罪を犯し死刑判決を受けた時に事実上、死ぬ。ちなみに一度データ化されたら元の精神には戻せない」

「なるほどね。ハヤクモさんはヨコハマの方針をどう思う?」

 ハヤクモはグラスをかたむけ、うーむ、とつぶやいた。

「二百年前のように、人間の外敵がほぼいない時代であれば選択肢としてありかもしれないが現状ではお断りだな」

「なんで?」

「アバターは機蟲への対応策とも言えるが、言い換えれば機蟲と人間以外の敵を想定していない。もし今後、形の異なる別の敵が現れた時、対応しきれない可能性がある。カンブリア爆発を知っているか?」

「約5億年前におきた生物の爆発的進化だっけ?」

 ヒカルは即答した。ハヤクモはお前はどうだとこちらに視線を寄越したため、首をふった。

「……知らない」

 無知をさらす気恥ずかしさがあいまって、それが機蟲になんの関係あるのかとぶっきらぼうに答えたが、ハヤクモは鷹揚に笑った。

「それなら説明のしがいがあるというものだ」

 ハヤクモは空の皿を片付け脇に寄せると、カバンから取り出したノートパソコンを広げた。

「地球の生命はおよそ40億年前に誕生したと言われている。それからというものの、長きにわたって微生物のような小さく単純な生き物しか存在しかなかった。5億年以上前のエディアカラ紀と呼ばれる時代には、全身がやわらかく、足もヒレも殻もない生物たちが現れたが、この時代は弱肉強食も生存競争もなく安寧に満ちた楽園と呼ばれ、3000万年続いたと言われている」

 パソコンには、海の底を地面を這いまわる生き物や海底に付着してゆらゆら揺れる生き物、海をゆらゆら漂う生き物が映し出される。旧文明の映像で見た、クラゲしかいない水族館にどこか似ている。ふよふよと多くのクラゲが青いライトに照らされ漂う姿は幻想的だった。何も考えずたゆたうまま生きられたら、そんな風に思ったものだ。

「けれどその後のカンブリア紀になると状況は一変した。硬い殻を持った動物、背中にトゲを生やした動物など多種多様な生物が一斉に現れたんだ」

 映像が切り替わり、全身トゲを生やした生物やゾウのような長い鼻をもつ五つの目をした生物などが映り、それぞれハルキゲニア、オパビニアと下に名前が書かれていた。他にも珍妙奇天烈な生き物たちの画像がどんどん現れては消えた。さきほどの、どの生き物にも大きな差はない楽園とは異なり、ごちゃごちゃ具合は今の時代に近づいたようだった。

「どうして単純な形のエディアカラの生物群からここまでいろんなバリエーションな生き物が生まれることになったのか。原因は酸素濃度の上昇や海水の化学変化など諸説あるが、何よりそれ以前の生き物たちが持たなかった器官、目をもつようになったのが大きいだろう」

「……目?」

 ヒカルは首をかしげた。

「そう。私たちがもつ、この二つの目だ」

 不意にハヤクモがこちらに視線を向けてきた。まるでゴーグルの下を見透かすようでドキリと心臓が早打ったが、彼はすぐにパソコンへ目をやった。

「初めに目を獲得したのはクラゲのような動物だと言われている。彼は目を通して周りでふよふよ浮かんでいる近くの生き物を見て、プランクトンよりもこっちを食べた方が効率がいいと考えたのだろう。そして食うもの、食われるものが生まれ、楽園の時代は終焉をむかえた。食われるものとしては、ただ食べられる訳にはいかない。そのために逃げるための足を、身を守るための殻やトゲを、あるいは地面に潜ったりする動きを手に入れた。対して食うものは速く動けるためのヒレを、素早く仕留めるための牙を獲得した。両者でイタチごっこが始まり、互いに進化し様々な形態の生き物が生まれ、この時代に主な動物たちの祖先はすべて揃ったと言われている。まさに目が分岐点だった」

 ハヤクモは一息ついた。

「ヨコハマで言うところの新人類は、機蟲という敵を、そして死を克服しようとするための進化と呼ばれている。けれどどちらかというと、生と死の枠組みから外れようとするための変化ではないだろうか? 根源的な恐怖――死を忘れたものに先はない。楽園と呼ばれたエディアカラ時代の生き物が、目という機能を持った生き物が生まれたことによってほぼ絶滅したように、想定外の事態が起きたときに同じ運命を辿るのではないか。あくまで自論だがね。だから私はヨコハマの方針は否定的なのだよ」

 そう言うと、ハヤクモはワインを口にした。

「なるほどね。でもさ、殺虫剤散布にもいずれ限界がくるんでしょう。結構つんでない?」

「マチダとて現状維持では先がないと分かっているさ。いずれ何らかの手を打つための研究を重ねているだろう」

「それを調べるために潜入していたの?」

 ハヤクモは大げさに肩をすくめた。

「そこは秘密だよ」

 ヒカルはちぇっと残念そうな顔をした。

「まあいいけれどさ。マチダが何らかの研究をしていて、その結果があの機蟲の暴走だったら笑えないな。そういえばあの機蟲、今日訪れた機蟲博物館では見当たらなかったんだよ。もしかしたら新種の機蟲なのかな?」

「確かにスズメバチ型は今まで見たことはなかった」

「すずめばち?」

「あの機蟲のオリジナルと思われる昆虫のことだ」

 ハヤクモはノートパソコンを操作し、黄色いドクロをもった虫をうつしだした。あっと二人分の驚きの声が重なる。あの機蟲にそっくりの虫だ。

「あの黄色と黒の縞模様の胴体。強力な毒針に顎。種類までは分からないがスズメバチの一種だろう」

「えっと、これがクロスズメバチで、こっちがキイロスズメバチで、その隣がアシナガバチ……同じようにしか見えないけど、いろんな種類がいるんだな。この土の写真は何?」

 画面をスライドしていたヒカルが地面の断面をうつした写真でスライドを止めた。

 画面中央の土の中にぽっかり穴が空いており、中身を円筒状の筒がぎっしり詰まっている。円筒状の筒は四層に分かれており、マチダのような階層構造になっている。

「巣の写真だ。スズメバチの中でもオオスズメバチと呼ばれる種は土の中に巣を作るんだ。一つ一つの筒に幼虫がおさまっていて、この中で蛹になりやがて成虫になるんだ」

「詳しいね」

「敵を倒すためにはまず知ることから始まるからな。知識はいくらでもあった方がいい。もし必要なら旧文明時代の昆虫図鑑データを電子手帳に送るよ」

「欲しい!」

 ハヤクモとヒカルは電子手帳を挟んで盛り上がるのを見て、もやもやとした気持ちが込み上げる。かけがえのない存在を、気に食わない人間にとられ仲の良さを見せつけられ、一人取り残されたようだった。

 この感情はひがみだ。一旦、心を落ち着けようとトイレに行こうと立ち上がり、個室を出ようと扉を開けたら大勢のスーツを着た人たちが廊下を歩いていた。

 そばにいた一人が警戒するようにさっとこちらを見たが、ゴーグルを被った子供と分かれば眉をひそめすぐに視線を戻した。

 一体、彼らは誰だと眺めていたが、背中の六本槍の家紋を見て声が漏れそうになった。サガミの者たちだ。

「どうした、アラタ?」

 扉前で突っ立っていた俺に不審がってヒカルが声をかけてきた。

「人が廊下にいっぱいるから出れなくて。どこの団体なんだろうね」

「サガミの外交団だ」

 ハヤクモが答えた。

「サガミってマチダとヨコハマの隣国の?」

「そうだ。隣国同士どこも仲が悪いが、サガミはマチダの領土権を旧文明の頃から主張していて険悪の仲と言っていい」

「マチダ嫌われすぎでしょ。どうしてそのサガミがヨコハマに?」

「交流を深めるためだというが、ここだけの話、サガミ現藩主と次期藩主の仲が非常に悪くてな。今のうちから次期藩主が方々に足を伸ばして足場を固めているのだろう。明日はその関係で各所で交通規制があるから気をつけるんだぞ。場所によっては通行禁止区域になっている」

 二人の会話を聞いているうちに、一行は通り過ぎていった。廊下の先を見つめる。もしかしたらあの中に、この世で最も会いたくない人物がいるかもしれないと思うと気が気でなかった。

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