第8話 藩立機蟲博物館
朝食サービスを満喫して、ハヤクモに酒とタバコと交換してもらったヨコハマ独自の電子マネーYOKOSUCAで食料と手頃な服で身支度を整えたのち、観光マップの案内に従い歩く。
昨日到着した時は夜だったため人とすれ違うことはほぼなく、本当にこの藩に人はいるのかと思うほどであったが、夜が明ければ行き交う人々はドッと増えた。サイボーグや人型ロボット、果てにはぬいぐるみのような格好をした者が平然と歩く姿もよく見られ、まるで仮装行列だ。ここはマチダではないのだと改めて思う。
賑わいをみせる大通りを横切り、細い路地を何本か越えた街の外れ。
灰色で何の特徴もない三階建ての建物は、ヨコハマで最も目を引かない地味な見た目だ。この藩の住民にとっても、あまり目に入れたくないものなのだろう。
『藩立機蟲博物館』
墨で達者に書かれた看板を見て、よくやくお目当ての場所にたどり着いたと安堵した。
「もっと他にないのかよ」
ヒカルは不満たらたらな様子だった。
「だって、前線で働いていた身としては気になるでしょう。第一層レベルのセキュリティカードだと、機蟲に関しての情報はアクセスすらできなかったし」
「だからって一発目がこれってさぁ。他にもあるだろう? シン・ラーメン博物館とか」
「ジャンケンで負けたヒカルが悪い」
これ以上ヒカルが文句を言う前に入り口へ足を踏み入れると、空調がやや低めに設定されているのか冷気が肌をつつむ。
中は薄暗く、他の見学者はパッと見た感じはいないようだ。無人の受付を電子マネーを払って通り過ぎ、さらに奥へと進もうとしてギョッとした。
機蟲たちが部屋を一杯に埋め尽くしていた。
両手で身構え、ぎゅっと目をつぶる。頭に浮かんだのは、機蟲に噛みつかれ血が噴き出る己の姿だった。けれど、予想していた衝撃はこない。そろそろと目を開ける。機蟲たちは今にも動きそうであったが、微動だにしない。それに壁に沿って等間隔に並べられていた。
「うわ、これ全部標本? すごいな。機蟲って間近で見ることがなかったから知らなかったけれど、こうしてみると色々種類がいるんだな」
遅れて入ってきたヒカルが近づき機蟲をしげしげと眺めて言った。
たとえ標本といえども、至近距離まで近づくのに勇気がいる。行きたくないないと駄々をこねていたヒカルの方が興味津々だ。
「標本? ということは偽物?」
『いいえ、すべて本物の機蟲からできた剥製ですよ』
滑らかな男性の声が聞こえた。この施設の職員かなと声がした方向へ顔をむけ、驚いて飛びのいた。
サッカーボール大の、ピンクと黄色のドギツイ色をした蚊のような蟲が羽を大きく羽ばたかせて、目と鼻の先をホバリングしていた。
『びっくりさせてしまい申し訳ございません。ワタクシ、この藩立機蟲博物館のナビゲーターをつとめるキムシです。以後お見知りおきを』
喋り出した蟲に口をパクパクしている隣で、ヒカルがキムシを触ろうとして手がすり抜けた。
「へぇ、ホログラム映像か」
『ええ、そうです。来館者のみなさまが気軽に質問できるよう、このようなゆるキャラの形をとっています。小さな体ですがこの博物館の知識がぎっしり詰まっておりますよ』
キムシはくるくると二人の周囲を音を立ててとびまわる。不自然に目が大きくキラキラしており、正直言って不気味だ。蚊をデフォルメしたら親しみやすいと考え、予算をつけて現実化した人間がこの世の中にいるという事実に、感性の多様性を感じずにはいられなかった。
『それで本日はどのような御用件で来館されたのでしょうか』
「機蟲のことをあまり知らないから、初歩の初歩から教えて欲しいんだ」
『承知しました。ではまず確認ですが、お二人は機蟲についてどこまでご存知でしょうか?」
二人して顔を見合わせる。
「どこまでって言っても……旧文明を崩壊させた人類の敵ってことと」
「駆虫薬で殺せる、としか」
『ええ、確かに機蟲の中には人間を主食とする種類もいます。特に本州で最も数多く生息する機蟲は、長い産卵管が特徴のウマノオバチ型です。遭遇する機蟲のほとんどはこのウマノオバチ型なため、機蟲といえばこの種類しかいないと思う方も多いです』
目の前にスクリーンが映し出され、機蟲が映し出される。
殺虫剤散布時に地上で遭遇することがあったあの機蟲だ。彼らがウマノオバチ型と分類されているなんて初めて知った。
『ですが機蟲はウマノオバチ型だけではなく、様々な種類がおります。例えばカメムシ目セミ科ミンミンゼミ型です』
並べられてた機蟲の標本の一つにスポットライトが当たった。透明な翅をもち、ずんぐりむっくりな体の体色は黒で地水色や緑色の斑点が散らばる。大きい頭にクリクリな目がくっついて愛嬌のある見た目だ。
『ミンミンゼミ型はケヤキの木などにとまり夏にミーンミーンと鳴くタイプです。幼虫のうちは土の中に潜り木の根の道管液を吸って成長し、成長は樹液を吸って暮らします』
「ということは、人に害はないのか?」
『はい。そしてミンミンゼミ型のように機蟲のほとんどは人への危険性はないのです』
「へぇー知らなかったな!」
ヒカルは感嘆の声をあげた。彼の反応に気を良くしたのかキムシは糸のように細い六本足をゆらめかせた。やっぱり不気味だ。
『そもそも機蟲がこの地球上に現れたのは二百年前のこと。海の向こうの外つ国で原因不明の出血熱が流行したことが、記録上での始まりとされています。当時、局所的な流行におさまるだろうと思われていたこのエボラ出血熱に類似した謎の出血熱は、瞬く間に様々な外つ国へと伝播していきました。致死率は五十パーセントを超え、感染経路も感染源が細菌かウイルスなのかも不明。やがて外つ国の中でも技術力の優れた国で感染者が現れ、ようやく国境を越えた本格的な調査が始まりました。そして調査の末、当時、ハマダラカと呼ばれていた昆虫が変異したものが新種のウイルス性出血熱を伝播していたと判明。この変異したハマダラカ型こそが、地球上初めて現れた機蟲とされています』
「そもそも昆虫ってなに? 虫とは違うの?」
『昆虫とは、動物界節足動物門昆虫綱昆虫綱に分類される生物の総称です。頭部・胸部・腹部の三つに分かれた体をもち、六本足で四本の翅があることが一般的な特徴です』
「つまり足が八本あるクモや羽のないミミズは虫だけど昆虫ではない、ってこと?」
『そうです。そしてどの機蟲にも元になる昆虫が存在しています。どうして昆虫だけがそのように変異したのかは現在に至るまで不明ですが、ハマダラカ型機蟲が発見されたことを皮切りに様々な種類の機蟲が現れました』
ウマノオバチ、ミンミンゼミ、ケラ、アゲハチョウなどの昆虫の映像が現れ、天井を飛びまわる。見守るうちに彼らは体を銀色に変化させ、剥製の機蟲たちに吸い込まれていった。
そこでおやと疑問に思った。マチダを襲ったあの黄色のドクロを持った機蟲の剥製はどこにも見当たらなかった。
『話を戻しましょう。ハマダラカ型機蟲が致死率の高い感染症の感染源であったことが判明したため、元を絶とうと様々な対策がたてられました。ですがハマダラカ型は当時の駆虫薬は効かず有効な策がたてられまいなまま、機蟲の吸血行動、あるいは感染者の血液や体液を介して、感染症は世界中に広がっていきました』
頭上に地球儀が現れ、日の本から遠く離れた国の一つが赤く染まる。
赤色に染まる国は一つ、また一つ増え、地球儀がどんどん真っ赤になっていき、その赤い波はみるみるうちに日の本の近くまで迫ってきた。
『日の本もまた例外ではありませんでした。新型感染症流行の初期段階から外つ国からの往来を制限していましたが、外つ国から帰国したある男性が隔離施設から脱走。逃走の際に感染症を伝播させ、彼と濃厚接触したとされる百三十五名のうち、八十八名が死亡する悲惨な事件が起きました。これを受けて、その頃まだ機能していたトウキョウは鎖国を決定。外つ国からの人の往来や物流をすべて止めました。外つ国が感染症で苦しみ喘ぐ中、海という防壁に守られていました』
どこかの街のビルに囲まれた十字路交差点の映像が新たに現れた。今では考えられないほどの多くの車がバンバン走ったかと思えば、信号が変わった瞬間、何千を超える歩行者が四方八方から一斉に動き初めぶつからずに歩いていく。視線を上にうつせば、どこまでも澄み渡る空を飛行機が雲を描いて飛んでいた。二百年前の、人が地上を闊歩していた頃のイメージだ。
『こちらの映像は旧文明トウキョウのスクランブル交差点です。かつて日の本はこのような風景が当たり前でした。ですが、その均衡はウマノオバチ型が現れたことにより崩れ去ります』
そのことばとともに、映像が切り替わる。
場所は同じ十字路交差点だ。けれど先ほどとは一転して、映像は薄暗く人通りは絶え不安をかき立てるBGMが流れる。
片隅でよろよろと人影が現れた。二人の男性だ。一人は顔面真っ青で、もう一人は肩を貸して支えている。二人が交差点の真ん中に差し掛かったところで、とうとう一人が倒れこむとカメラは二人にクローズアップする。横になって腹部をおさえる男の手から小さな銀色の何かが蠢いている。ウマノオバチ型の幼虫だ。
俺にとってはお馴染みの光景であったが、あまり免疫のないヒカルはげぇと吐きそうな顔をしていた。
『ウマノオバチ型機蟲の起源は分かっておりませんが、密入国して人間が持ち込んだものと推察されています。この機蟲は日の本に定着すると、瞬く間に増殖していき日の本はパニックに陥りました。何しろ突如、いつどのように卵がうえつけられたか分からないまま、蟲たちが体を食い破って現れる現象が次々と起こったのですから。ウマノオバチ型の脅威はその長い産卵管にあります。何メートルもあるこの産卵管をコンクリートを突き刺し建物内の人間に、知らず知らずのうちに卵を生みつけることができるのです。皮肉なことに他に競合する機蟲がいなかったことが、ウマノオバチ型の生息域を一気に広げる要因になったと言われています。駆除は追いつかず、劣勢に立たされた人々は、ウマノオバチ型の産卵管の届かない地下深くに逃げ込みました』
誰もいない交差点から映像は下へ下へと進む。坑道を歩き続ける家族、穴を掘り進める避難民、やがて地下の空間は広がっていき、明るい都市へと変わった。
『そして現代の地下都市の時代につながります。先ほど、機蟲は駆虫薬で駆除するとおっしゃっていましたね。日の本では駆虫薬を散布する形式をとっている藩が多く、隣藩のマチダは一大産業として扱っています。ですがこの方法には問題があります』
「問題?」
『長らく同じ殺虫剤を使用していると機蟲側に耐性がついてしまうことです。以前は酵素阻害型殺虫剤が使われていましたが、現在はもう効かなくなっています。今の主流は微生物殺虫剤ですが、こちらもいつまで保つのか分かりません。新たな殺虫剤を開発しては効かなくなりをイタチごっこのように繰り返しているのが現状です』
「それっていずれ破綻がくるんじゃないの?」
『ええ、それも遠くない未来に起こり得ると言われています。ひょっとするとそれは明日かもしれません』
陰鬱な調子でキムシは恐ろしい予言を述べた。そうなったらどうなるのか。地下へと機蟲が侵攻し始めたら人類はどこにも逃げ場がなくなる。マチダでの悪夢が脳裏に浮かび、立ち尽くすしかなかった。
『ですが安心してください。ここヨコハマは違います。機蟲との戦いの時代は終わりつつあり、ウィズ機蟲の新しい生活様式へシフトしていっています』
キムシの声に明るさが戻る。初耳だった。そんなこと可能なのだろうかと思っていたら再びスクリーンが十字路を映し出した。画面中央にはここに来る時に大通りですれ違ったウサギのぬいぐるみが立っていた。
「このウサギは?」
『新人類です』
は?という二人の疑問の声がハミングした。
『そもそもどうして人は機蟲に襲われるのでしょうか?』
「餌と思われているから?」
『そうです。食べる部分があるからです。具体的にはタンパク質と糖分ですが、それらを捨てれば機蟲の餌としての対象から外れます。ヨコハマでは最新の研究により人間の意識をデジタル化することに成功しました。精神を分離させ、肉体は代替可能なものとなったのです。もはや肉体などデッドメディアにすぎず、このウサギのように可愛らしい望みの体を誰もが得ることが可能になったのです』
思わぬ方向へ話がとび、目が白黒させるしかなかった。
それから続くSF用語の羅列の説明を聞きながら、今まですれ違ったヨコハマの住民が誰一人老いていないことを思い出した。
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