第7話 ヨコハマ
「てっきりあの機蟲は地下第一層からきたものかと思っていたが、被害が出ているのは第二層だけなようだ。どの階層のニュース番組も機蟲のことは一切流れていない。そのかわり地下第二層で大規模な爆発事故が起きて甚大な被害がでているということになっている」
ハヤクモと名乗った男は、ノートパソコンをカタカタと鳴らし、渡したタバコをふかしながら言った。
「つまり二層以外の人間たちは、マチダに機蟲が侵入していることさえ知らないってこと? そうまでして隠したいほど、地下の連中にとって不都合な事態だったのか。うーん、二層で研究していた機蟲が逃げた、とか?」
「ありえない話ではないな」
崩れかけた壁を背に三人は缶詰をつついていた。
休憩がてら一緒に食事はどうだとハヤクモに誘われ、ご相伴にあずかっている。
食事といえば朝に軽くつまんだ以外何も食べておらず、手持ちの食料には酒をのぞいてお菓子しかなかっただけにありがたかった。
ヒカルはハヤクモを親爺さんの知り合いということですっかり気を許している様子だった。本音をいえば、俺はこの男がどこか信頼できない。今日まで生きのびてこれたのは、重大な局面で危険を告げる本能に従ってきたからだ。その勘がこの男を信頼するなと警告していた。
ヒカルと会話するハヤクモをゴーグル越しに観察する。俺がじっと見ていることに気づくと、ハヤクモは穏やかに微笑みかけた。見るものすべてをほだすような笑顔に、かえって警戒がつのる。俺は気を許さずにいようと誓い、ふいっと顔を背けた。
「にしても、そのパソコンすごいな。各層のネットワークをハッキングできるなんてハヤクモさんって、何者?」
「マチダに調査侵入していたトウキョウのスパイさ」
「へ?」
「は?」
ハヤクモのあっさりとした告白に、流石に唖然とするしかなかった。
「どうして俺たちにそんな重要なことをバラすんだ?」
「マチダがあの状況では追っ手なんてだす余裕はしばらくないだろうし、お前たちも帰るつもりはないのだろう? それなら後々バレて不審がられるよりは早めに信用を勝ち取った方がいいという判断だ。この先何があるか分からんしな」
どんな顔をしていいのか当惑している俺の隣で、ヒカルは何か合点した顔をしていた。
「もしかして親爺さんもあんたと同じスパイだった、とか?」
ハヤクモは眉を上げた。そして、ややあって煙を吐きながら言った。
「そうだ。同じトウキョウからの差金だった」
「どおりで裏の情報に詳しかった訳だ。色々納得いった。でもトウキョウって壊滅して以来、機蟲が跋扈する地獄さながらな土地だと聞いているけれど」
「少しずつ復興しているのさ。時間があったらのぞいて欲しい。それでお前たちはこれからどこに行く予定なんだ?」
「とりあえずヨコハマかな」
「ヨコハマ、ね。どうしてヨコハマなんだ?」
「人工AIで統治されている藩だから。僻み、嫉妬、差別や偏見みたいな個人の感情が優先されないと聞いている。ハヤクモさんはヨコハマには行ったことある?」
「ああ、パーツを買いに何度かな。独特な藩だよ。口で伝えるよりも実際見た方が早いだろう。百聞は一見にしかずだ。私もトウキョウへ帰る前に寄ろうと思っていたところだ。一緒に同行してもいいか?」
「こっちからお願いしようと思っていたところだよ。生まれてこの方、マチダから出たことがないから他の藩の事情は分からないんだ。アラタもそれでいいよな?」
「うん」
心の中で、しぶしぶだけれど、とつぶやく。そんなこちらの心情を見透かしたように、ハヤクモはくすりと笑った。
「そっちだと遠回りなルートじゃない?」
うち捨てられたいくつもの駅をバイクでとばしていく。坑道と違い線路はコンクリート製の滑らかな道であり、振動も少なくすいすい進んでいく。そうしてたどりついた二股に別れた道でヒカルが別のルートを提案すると、ハヤクモは首をふった。
「多少面倒でもこっちの方が安全なんだ。マチダ方面からだと警戒されるからな」
「なんで?」
「マチダとヨコハマは仲が悪いんだ。もともと、マチダがトウキョウから独立する際、資金面でも軍事面でも大いに援助したのがヨコハマだった。だが独立後のマチダはすべてを帳消しにして踏み倒したんだよ。それ以降、両者に溝があるんだ」
「へー知らないことばっかりだな」
やがてバイクを走る地面がコンクリートからゴミひとつ落ちていない銀色にきらめく道へと変わっていく。道路幅が広くなっていくと、通り過ぎるバイクや車が増えていった。
「何あれ?」
電子マップが目的地についたと知らせたその先に、見たことがない機械が人が二人ほど通れそうな距離をおいて何台も置かれていた。高さ一mほどで細長い形をしている。
「自動改札だ。いわゆる関所で入藩審査も兼ねている。その電子マップをちょっと貸してくれ」
ハヤクモはピッピッと何やら操作すると、ほいとヒカルに戻した。
「この電子マップを手にして、ピッとな」
ハヤクモは自動改札に電子マップを当て放すと、その間をすっと進んでいく。そして通り抜けるとこちらを振り返り、同じようにやってみろと促した。
マチダの関所は厳重に管理されており、身分証明証がなければまず独房のような場所に入れられ、犯罪歴がないか、就業記録の有無、銀行を開設しているか、色々と審査をされる。
関所とはそういうもの、というイメージが強く、ほぼ手ぶらのまま本当に通り抜けられるのかと考えていたら、ヒカルが面白がってズイズイ進むので慌ててついていく。途中、センサーが発動して音が鳴るのでは警戒したが、何事もなく通り抜けられた。あまりに簡素だ。その気になれば乗り越えられるのではないのだろうか。
「こんなんでいいの? マチダだと書類審査とか入藩税が必要だったりしたけれど本当に関所なのこれ?」
「ああ、もうここはヨコハマだ。それにあの自動改札だって中々ハイテクなんだぞ。もし偽造身分証がバレたり無理矢理乗り越えようとしたら警報が鳴り響く仕組みになっている。それでも通ろうとすればビームが出てくるらしい」
頭上のモニターには『ようこそ、エキナカへ』と表示されていた。
「エキナカ?」
俺のつぶやきにハヤクモが反応した。
「駅の中の略だ。ヨコハマは横浜駅という場所を拡充して作られた都市だ。だから内部に入るのことをエキナカと呼んでいるのさ」
自動改札を越えた先は長く薄暗いトンネルが続いていた。両脇の天井につけられた青い灯りを頼りにバイクを押しながら歩いて抜けると、とたんに視界がひらけた。
「うっわ」
「すごいな、これ」
初めは、夜の街に無数の星が散りばめられているのかと思った。
けれど、光源が見たことのない高さのビルの群の灯りだと気づいて驚いた。規則正しくシンメトリーを描くように建てられたビルは街全体を明るく輝いていた。
ビルは二層で見たことのあった。けれど、今の自分は本当に地下にいるのかと疑うほどの、顔を大きく傾けないと頂上が分からない高さは初めてだった。
「私たちは現在ビジター扱いだ。滞在は5日までで延長も可能。移民希望の場合は別途審査が必要だ。ここに住みたいかどうか決めるのは藩をひととおり見て回ってからでも遅くないだろう。近くに宿をとってある。ひとまず休憩しよう」
街灯は行き交う人々の足元を明るく照らし、手入れされた街路には穏やかに花々が咲き誇り、どこまでも澄んだ空気が広がる。猥雑で雑多でどぎついネオンで彩られていた一層の夜とは雲泥の違いだった。
人通りはまばらで、顔は暗くて見えない。サイボーグ化した同僚はヨコハマからやってきたと言っていたが、どうして彼がマチダへ移り住んだのか不思議であった。
「私は隣の部屋にいる。ちょっとやることがあるから明日から別行動だ。何かあればここに連絡してくれ」
宿に着くなり、支払いはすでに済ませてあるからとハヤクモは部屋へと去っていった
どこか気がかりな存在が視界からいなくなっただけで、肩の力が抜けていく。どうしてそこまで警戒しているのか、ここまで面倒をみてもらっているのにひどいやつだと自分でも思うが、言い様のない不快感はどこまでも消せない。
部屋には二脚の椅子とテーブル、簡易ベッドが二つが真ん中に置かれている。ホコリ一つ落ちておらず清潔だ。
ずっと張り詰めていた緊張感がプッツリ切れ、体が疲労感を訴えだす。ベッドに飛び込むと柔らかに体を包みこんだ。
「すごくフカフカ。雲みたい」
「お湯がでるのもすごいな」
あらかた部屋を見回ったヒカルも隣に倒れ込んできた。
「いやー、マチダを出る時はこの先どうなるかと思ったけれどなんとかなるもんだな」
「二人だけじゃここまですんなりとはいかなかっただろうね」
「本当にな。それで、アラタはなんでハヤクモさんが苦手なんだ?」
「やっぱりバレてた?」
「そりゃあ、あそこまで露骨だとな。一言も話さないし、近寄るなオーラ出しているし。何か気になるところでもあんの?」
「なんというか、見ていると心がざわざわするんだ。ここまでよくしてもらえて、いい人だってのは分かるんだけどさ」
「ふーん、アラタは妙に勘がいいからな。お前がそう言うなら少し気をつけるか」
「気をつかわせてごめん」
「何を今更。お、ヨコハマ観光コースだって。マチダじゃ考えがえられないな。明日、ひとまずいってみようぜ」
「賛成!」
「五日あるなら明日はゆっくり色々見てまわろう。もし気に入ったらヨコハマ移住、何か違ったら他の藩をバイクで旅してめぐっていくのはどうだ? 旅慣れしてそうなハヤクモさんなら他の藩の事情も知ってそうだし」
「いいね、それ」
そうやってひとしきり会話をした後、ヒカルは不意に黙った。そしてしばらく天井を見つめ、ボソッとつぶやいた。
「本当に脱藩したんだな。まるで実感ないわ」
「帰りたくなった?」
「いーや。絶対に戻りたくないね」
ヒカルは、天井を見つめたまま一度大きく息を吸って吐いた。
「アラタには黙っていたけれど、俺ってもともと地下五層出身だったんだ」
知っている。口に出さずに心でつぶやく。
「でもさ、ある日父親が会計で虚偽報告をしていたって告発されてさ。真偽は不明だけれど、父親は逮捕されて母親は実家に帰って、残された俺は地下一層を監視する役目を与えられたんだ。そんなのはただの名目で追放されたわけ。将来を期待されていた時は誰もが寄ってたかって来たのに、一度落ちぶれたらみんな知らん顔。もう、絶望のどん底。実際は上に追いやられた訳だけど。その日からあの藩から抜け出すことが俺の人生の目標だった」
ヒカルは、さめた目をして淡々と語った。そんなに昔の出来事ではないのに他人事のようにあっけらかんと話すまでに、どれだけの苦難を重ねてきたのだろう。初めてヒカルと会った時には、彼はもう自分というものを持って生きていた。対して己は、今でもヒカルの後をついてまわるだけの存在だ。
「マチダが機蟲に襲われた時は心の底からザマアミロ、親爺さん以外の人間なんてどうなってもいいって思ったよ。でも今こうして、マチダの現状が分からないまま安全圏にいる自分がズルい人間だと思ってしまうんだ。すべて切り捨てやるって考えていたくせに、踏ん切りってつかないもんだな」
「ヒカルのそういうとこ、好きだよ。どこか非情になりきれなくて、優しいんだ。だから俺みたいな人間を拾ってくれた」
「そうでもないぞ。今だから言えるけれど、お前を拾った時の心情は〝俺より下の人間が欲しい〟だったもんな」
「流石にひどすぎない? いやまあ、俺もあの時、ボロボロの状態だったけれどさ、もっとオブラートに包んでよ泣くよ?」
「事実は事実だしさ。とまあ、きっかけは最低な理由だったけれど、今では誰よりも大切な存在だ。ここまで一緒に来てくれてありがとう、アラタ。お前がいたからここまでこれた」
愛おしげな目で見つめられ、髪をなでられる。どんな顔をしているのか分からない。耳まで真っ赤になっているのは確実だ。
「こ……こっちこそ、色々と、ありがとう……」
最後の方は尻すぼみになっていた。だと言うのに、ヒカルは満足げに髪をすき続ける。
胸のうちにのぼるのは罪悪感。
ヒカルがここまでさらけ出してくれていると言うのに、俺はヒカルと語らえるほど過去と向き合えていない。ヒカル以外の人間の前でとることのできないゴーグルをぎゅっとにぎる。俺の葛藤に気づいても気づかないふりをしてくれる優しさにつけ込んで、目を閉じる。夜はふけていく。
夢を見た。
俺は夕暮れのさしかかる丘を見渡している。
地上だというのに白い霧はない。だからすぐに夢だと気づく。
夜毎、聞こえていたあのささやく声はどこにもない。
かわりに聞こえるのはブブブという低い振動。
足元から聞こえてたそれは、騒がしいうねりとなって騒音で満たしていく。
丘の上には人がいた。
周囲の喧騒をよそに、彼――もしくは彼女はこちらに背を向けただ空を仰いでいる。
逆光で輪郭さえ曖昧で、目を細めて見ていると、それは透明な二対の透明な翅を生やした。光を反射して翅は黄金色に輝く。
次いで何かをつぶやくと、いつの間に丘に空いていた歪な円形の穴から、黄色ドクロ顔の機蟲が次々と現れる。
マチダを襲ったあの機蟲だった。
蟲たちはひしめき蠢いているかと思うと、翅を広げて飛び立ち丘の上にたつそれの周りを飛び回る。
人型の何かは中心で悠然とただずみ、蟲たちを女王のように従えていた。
俺はただその場に立ちつくしていた。
いつの間にか、こんなに近くまで来てしまったんだと、思いながら。
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