第4話 地下第一層
マチダは地下第五層からなる巨大都市だ。
政治の中枢を担う地下五層。
カースト上位の人間たちの住まう地下四層。
学術・研究・医療機関が集合する地下三層。
工場や歓楽街が乱立する地下二層。
そして新規の移民たちと罪を犯した人間たちの住居であり、地上への防衛拠点である地下第一層だ。
それぞれの階は連絡通路でつながっており、一層から三層への階を跨いでの移動は通常できない。高級娼婦になると彼女ら専用の二層から五層への通路があるそうだ、と同僚は言っていたが真偽不明の都市伝説だ。
地下に潜るほど地位があがる。この藩に来た移民たちはまず能力別に振り分けられるが、一代で地下第三層まで行くにはよっぽどの実力がないと無理だと言われている。それより下の階層は独立戦争時から家のあるものではないと住めないそうだ。
階層の移動には事前に許可が必要で、階を降りるにつれ申請書類は増え、申請が受理される可能性も低くなる。それぞれの階のゲートは鋼鉄のシャッターで管理されており、凄腕のハッカーでなければ侵入不可だ。
地下一層と地下二層の出入りはそこまで厳格ではなく、仕事関係であれば当日申請でも大丈夫なことが多い。
廃品回収を担うヒカルは頻繁に二層へ出入りしており、得意先の一つのリサイクル店に寄ってはバイクの相談事をしていた。
「今日はバイクを親爺さんのところで降ろしてから他を回る。と言っても本日の依頼は午後に三件だけで午前中はほぼ暇だ。なんか買っておきたいものあるか?」
「酒とタバコ。二層に行くのがバレて、同僚たちから土下座で頼まれた」
「了解。高く売りつけて逃走資金にするぞ」
借りてきた軽トラを走らせゲートを越える。袖の下をふくらませたヒカルはいつも顔パスだ。その隣に座る俺にゴーグルを外して顔を見せろと要求する役人もいない。
二層に入ると、空気が一変する。
一層が新しさと猥雑さが入り混じった暴力と情熱がほとばしる場所だとすると、二層は清潔できらびやかに揺らめく町であった。けれど、暗闇へ目を向けると、どこか妖しく退廃的で澱んだ空気とどこにも行けない不安が漂う。どちらか好きなほうを選べと言われれば、圧倒的に一層だった。
二層の西の外れのリサイクルショップにたどり着くと、知った顔でヒカルは暖簾をくぐって店に入っていった。
「親爺さん、約束のもんどーなった?」
「先客がいる。しばらく待っとれ」
野太い声が店の中から聞こえてくる。
ヒカルに続いて一歩踏み入れると、埃と油の入り混じった臭いが鼻腔を刺激する。薄暗い広間の大半を自転車とバイクが占めており、隙間をぬって家電が放置されている。二層の中でもこの店だけは一層のような雰囲気があった。
部屋の奥には畳の部屋が見え、この店の店主である親爺さんと、見たことのない男が座っていた。
身幅は広く、座っていても背が高いのだろうと思わせる体格。黒のダブルライダースジャケットとスラックスという装いで、年は三十前後。漆黒の黒髪は整えられ、品格を漂わせている。
取り立てて危険を感じるところはないはずなのに、どういう訳か男を見た瞬間、胸騒ぎを覚えた。
直感がこいつは危険だと告げている。軽い不安を感じ、ヒカルの背から動けなかった。男はそんな俺を気にしている風もなく、にこやかな笑みを浮かべた。
「すまないね。もう少し時間がかかる」
「それじゃあ、先に買い物を済ませてくるよ。でもこの寂れた店に俺以外の客がいるなんて珍しいね」
ヒカルは特に何も感じていないようで、親爺さんに軽口をたたいた。
「うるさいわ。とっととお前の改造バイク降ろしておけ」
「へーい」
軽トラに積み込んであったバイクを降ろすため、ヒカルは颯爽と外へ出ていく。慌てて方向転換した俺の背中に、一瞬だけ鋭い視線を感じた気がした。
「お前の同僚とやらは、ここぞとばかりに入手がめんどくさいものばっかり頼みやがって。思っていた以上に時間がかかったぞ」
「一層には安酒と甘ったるいタバコしかないからね。聞いたことしかないものを試したい気持ちは分かるな。それだけ高く売れるじゃないか」
「人件費と輸送費込みで十倍以上の額でふっ掛けてやる」
二人して大きな袋を両手に抱え通りを歩く。
人混みの多い大通りでは、この無防備な格好はスリの標的になりかねず、二人そろって人の多い場所が苦手なのもあり少し脇にそれた道を行く。
普段であればもう少し慎重に行動しているのだが、買い物に手間取り時間がおしていたこと、この重い荷物から解放されたいと、いつもより焦っていたのがまずかったのだろう。
薄暗く人気のない路地を通って早道をしようと曲がった先で、たむろっていたガラの悪そうなと男たちとばったり出くわしてしまった。
うわ、ヤッベーとヒカルがぼやく。
男たちは五人。年齢は二十をこえるかこえないか。時間を持て余しているがやることはなく、どこか満たされず鬱屈を抱えています、という顔をしてだべっていた。彼らはこちらに気づくと眉を上げ会話をやめ、こちらを見つめた。勝手に懐に飛び込んできた獲物を見つけた目だった。
タイミング悪く、袋からタバコをぼとりと落としてしまったのもダメだった。
「お前らいいもの持ってんじゃねぇか。ちょっとお兄さんたちに分けてよ」
案の定、男たちはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて近寄ってきた。
「竜王煙草なら、お一つ1万円だけど?」
ヒカルは俺の落としたタバコを手にして、男たちの方へ向けてプラプラふった。そして、ふてぶてしい態度と癇にさわるような口調で笑いながら
「でも味や香りの違いなんて分からなそうだし、そこらへんの草をしゃぶっていた方がコスパがいいんじゃない?」
と言い放った。
「チョーシこいてんじゃねぇよ!!」
案の定、男たちは張りついた笑みを捨て突進してきた。
「荷物、頼むわ」
「はいはい」
ヒカルは手にしていた荷物をその場で降ろし、軽やかな足取りで向かう。先頭にいた男の拳がヒカルの顔にぶつかる寸前でひらりとかわし、そのまましなりをきかせ、男の正面に回り込むと鼻を打ち破いた。クリーンヒット。男は顔を真っ赤に染め、ふらふらとよろけると仰向けに倒れる。続けざま、もう一人が反応する前に体をひねり、強かに喉へと肘を打ち込んだ。
「な……」
残った三人の男たちは、あっという間に地面に倒れた仲間を見て、呆けていた。
弱者と食ってかかったら、体格差をものともせずケンカ慣れした剛腕ぶりで予想外の反撃を見せつけられ、声もあげられないようだ。
ヒカルは拳についた血を見せつけるようにかざし、不敵な笑みを浮かべた。
「こちとら暴力第一主義の第一層で暮らしていてね、ケンカには心得があんの。第二層の温室育ち負ける訳ないじゃん?」
「こ、このガキ……!」
威勢は完全に削がれていたが、なけなしのプライドをかき集めて男たちは吠え、バタフライナイフを手にし襲いかかる。
「そうこなくっちゃなぁ……!」
赤い髪をなびかせ、ヒカルはむかえうつ。
――赤猿。それがヒカルの第一層の通り名だ。
小賢しく、すばしっこくちょこまか動き回って相手を撹乱し、容赦なく弱点を狙い撃ちし、弱ったところを殴り、蹴り、打ちのめす。毛色の変わったサルだと思って侮り、手酷いしっぺ返しを喰らった人間は数知れず。そこに今日、新たに五人が加わるのは必然のことだった。
「口ほどにもないな」
倒れ伏す男たちの中、ヒカルはひとり立っていた。
「この俺を倒すにはあと二十人は足りないね」
調子づくヒカルにため息をついた。
「そんなこと言うから、おかわりがくるんだよ」
「まじ?」
このまま終わればよかったのだが、ゴーグル装備の赤外線機能が周囲に複数の熱源を確認していた。騒ぎを聞いて近くにいたが奴らが反応したのだろう。
倒れていた一人の男が俺の背後を見て、顔を輝かせた。
「兄貴……!」
チラリと後ろへ視線を動かす。ざっと十人。姿を見せていない伏兵を含めれば二十は超えるだろう。
「これはどういう状況だ?」
真ん中にいたスタジャンの男は苛立ちの混じった声をあげた。
周囲の反応を見るに、彼がこの群を率いるリーダーだろう。
「あいつらがいきなり縄張りを荒らしにきたんです!」
「違う違う。そっちから手を出してきたの。正当防衛」
流石に多勢に無勢と判断したヒカルは、両手をあげた。
「録画もあるよ」
ゴーグルのカメラ機能を操作し、録画していた映像を建物の壁にうつす。
あとから難癖つけられた用の証拠にとっていたが無駄にならずに済んだ。
スタジャン男は、ふーんと映像をながめた。
「俺たちはさっさと目的地に行きたいだけだ。このまま通してくれない?」
「難しい提案だ。流石にやりすぎなんだよ。仲間を五人もやられて素通りさせたらこっちのメンツ、丸潰れなんだよ。落とし前つけてくれないと」
予想通りすぎる反応にため息をつく。
ヒカルに視線を送り、了解を得てポケットにしまっていた身分証を提示する。あんまり使いたくない代物だが、無用の争いを避けるため仕方がなかった。
「俺、こういうものだけど」
「何? 実は高官の息子とか軍隊所属とか?」
男たちはハッタリかとせせら笑う。
だが、そこに書かれていた内容を理解した者から怯えの入り混じった顔に変わり、ギョッとして俺から離れるように後ずさった。
散布従事者。
第一層でさえも忌み嫌われるが仕事が、第二層でどのような反応をされるかなんて推して知るべしだ。
「お前……毒もちか?」
「毒を持っているかどうかはわからないけれど、よくそう言われている」
思わぬ事態に、一体どうする?とリーダー格の男に視線が集まる。
スタジャン男は舌打ちをし、背をむける。
「毒がうつる。気分が悪い。一層から出てくるんじゃねぇよ」
捨てゼリフを吐いて、男たちは波を引くように去っていった。
「よく分からないんだよね。あいつらの暮らしが機蟲から守られているのは、地上で働く人たちのおかげなのにさ。でもごめんね、ヒカル。俺のせいで同じ毒もちだと思われて」
「別にいいよ。それより先を急ごう。昼飯食いっぱぐれるぞ」
なんでもないように、ヒカルは笑う。
ヒカルが知識と力を駆使して生きているなら、俺は毒を撒き毒をまとっているように思わせ、死なないように日々を過ごしている。
そのことになんの感傷も抱かない。
ヒカルがそばにいる。それだけでいい。
この日常がいつまでも続くように願った、そのとき。
――あの声が聞こえた。
夜にだけささやくように聞こえていたあの声が、昼間だというのにはっきりと、明瞭に。
すぐそばにいる。
上だ。
地下二層の天井へと顔を向けると、彩色された人工の空と太陽が視界にうつる。
人工の太陽は人の人による人のための優しい存在だ。
空調管理は別の施設により調整されているため、暴力的な熱をもたず、見続けても目が潰れる輝くこともなく、ただ穏やかに降り注ぐ。
この地下から出たことのない人間にとって、本当の太陽は禍々しいものとうつるかもしれない。
そんな太陽にどこか違和感があった。
目をこらすと、太陽の周囲に黒い点が見えた。
「あれ、なんだ?」
「どうしたアラタ?」
空を見上げたまま動かない俺を不審に思ったヒカルが近寄り、声をかけてきた。
「空に何か変なのない? 太陽のすぐそば」
「空? ハトかスズメじゃね?」
二人して、空を仰ぐ。
じっと見ていると点はみるみる大きくなっていく。光の反射で見えにくかっただけで、黄色いようだ。
ゴーグルの望遠機能を作動し、映った光景に思わず悲鳴をのみ込んだ。
ドクロだ。
黄色い頭蓋骨に、本来目のあるところは、眼窩のように落ち窪み、こちらを見下ろしている。
しかもいつの間にやら何十にも増えており、今も増えている最中だった。
そのうちのひとつが天井を突き破った。
黄色と黒のメタリックなボディが現れる。
背筋が泡立った。
地上で見てきたものと形状は異なるが間違いない。
機蟲だ。
殺虫剤の散布により守られていた町の結界を破り、機蟲が侵入してきた。
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