瓶ラムネの「ビー玉」
窓側の隣の席の
「
祭りのどんちゃん騒ぎに紛れて自分を呼ぶ声がした。背の高い
「遅い」
「ごめん、ごめん。妹の髪結ぶのに手間取っちゃって」
「みーのせいにしないでよ!」
小さく可愛らしい女の子が熊谷の脚の後ろからひょっこりと姿を現した。
「にぃにが家出るときに『スマホわすれた! さいふわすれた!』っていろいろわすれたからでしょ! にぃにのせいだもん!」
「ごめんて! みーちゃんの好きなもの何でも買ってやるから、ね?」
「ほんと⁈ やくそくだからね!」
「良かったね、みーちゃん」
「うん! うつきもにぃににすきなもの買ってもらいなよ。おそくなったにぃにがわるいんだから。なんでも言っていいからね!」
「えっ、みーちゃぁん、何言ってるのさ……」
「そうしてもらおうかな。今日は熊谷のおごりね」
「そんなぁ~」
熊谷は妹に弱い。非常に弱い。そんな微笑ましい兄妹のやり取りを見ながら、つくづく自分は一人っ子で良かったと思った。
「まずどこ行く?」
「そうだな~」
「みー、プリピュアのお面がほしい!」
みーちゃんが指差した先にはお面の屋台があった。
「お面~? 去年も買ったじゃん」
「きょねんとことしのプリピュアはちがうの! ていうか、すきなものなんでも買ってくれるやくそくでしょ!」
「あ~分かった分かった。買うよ、まったく……」
「熊谷、これ欲しい」
そう言って手に取ったのはひょっとこのお面だった。
「お前も便乗するな!」
結局お面は買ってもらえた。その後はヨーヨー釣りや射的で遊び、巨大かき氷だったり、綿菓子だったり、りんご飴、あんず飴だったりと、屋台のスイーツと言うスイーツは全て熊谷の胃袋に吸い込まれた。
屋台を見て回っていると、ある屋台が目に留まった。ペンギングッズを売っている店だった。宇佐見の顔が頭に浮かんだ。
「いらっしゃい。お兄さん、一つどう?」
「あ、いや」
すると、すっ、とペンギンのお面を持った手が横から伸びてきた。その人物は予想だにしなかった人だった。
「宇佐見!」
まさかこんなところで会えるとは。ペンギンパワー、恐るべし。
「元気?」
宇佐見はこくん、と頷いた。
「はい、お面五百円ねー」
宇佐見はお金を渡すと、早速お面をつけた。
「あれ? 熊谷? みーちゃん?」
いつの間にか熊谷兄妹の姿がいなくなっていた。どうやら屋台に夢中になっていた間に先へ行ってしまったらしい。
「まあいいか。すぐ合流できるでしょ」
宇佐見の方へ向き直ると、宇佐見はじっとこちらを見ていた。
「ああ、今日熊谷とその妹と来てるんだ。宇佐見は? 一人?」
「………………」
「まあ、いいや。せっかくだから一緒に回らない?」
宇佐見はこくり、と頷いた。
「祭りっていくつになってもワクワクするよねー」
宇佐見は横で頷いた。
「ていうか、浴衣、似合ってんじゃん」
そう言うと宇佐見はお面で顔をさっと隠した。……照れているのだろうか。お面をつけたまま宇佐見はこちらを見て問いかけた。
「……着ないの?」
「うーん。昔は着てたんだけど……最近はもういいかなって思って。浴衣より動きやすい甚平派だったし」
「────」
「ん?」
宇佐見はふるふると首を振った。何か言った気がするんだけどな。と、ふとあるのぼりが目に入った。
「あっ! ラムネだ!」
やっぱり祭りといったらラムネだ。やっと見つけることができたことに喜び、すぐに人込みをかき分けて屋台へ近づいた。
「すみません、二つください」
「はいよ」
屋台のおじさんは桶の中に入った氷で冷やされたラムネを二つ取りだした。
「四百円ね」
「ありがとうございます。はい、宇佐見」
一本宇佐見に渡すと、代わりに二百円を渡された。
「え、いいよ」
宇佐見はぐっと手に力を込めて拳を握らせようとした。
「……じゃあ、貰っとく。ありがとう」
どこか座って飲める場所はないかと辺りを見渡していると、服をくい、と引っ張られた。視線の先には丁度良さそうな場所があった。
「ああ、あそこ良さそうだね。行こうか」
「ぷはーー」
美味い。美味すぎる。爽やかな炭酸が喉を通って全身に染みわたっていく感覚が気持ちいい。
「そう言えば昔、中のビー玉取り出して集めてたなぁ」
「…………」
「物によっては色付いてたりして綺麗なんだよね。懐かしい~」
「……エー玉」
「ん?」
「ビー玉じゃなくて、エー玉」
首を傾げていると、宇佐見はぽつぽつ話し始めた。
「ラムネ用に製造されたガラス玉はエー玉。……傷が入ったエー玉は使えないからビー玉」
「エー玉と、ビー玉……。え、もしかしてビー玉の『ビー』はアルファベットのビー?」
「……というのが一説」
「他にもあるんだ」
「……ポルトガル語でガラスはビードロ。ビードロ玉を縮めたのがもう一説」
「へえええ」
持っていた瓶を月明かりに透かした。カラン、と涼やかな音を立てて光を反射した。
「どっちにしても、こうして人の心を掴む美しさだということには変わりはないね」
すると宇佐見はおもむろに立ち上がり、近くの蛇口へ向かった。しばらくして戻ってきた。そして何故か拳を突き出していた。
互いに沈黙していると、宇佐見が小さく呟いた。
「…………手」
「手?」
手を差し出すと、やや重みを感じてわずかに色付いたエメラルドグリーンのビー玉、いや、エー玉がころん、と掌の上で転がった。
「………………」
「……今日はありがとう」
顔を上げると、夜空のように真っ黒な瞳と目が合った。
「卯月ー」
遠くの方で妹を背負って頭一個分はみ出している熊谷がこちらに向かって手を振っていた。
「もーどこ行ってたんだよ。電話にも出ないし」
「え、マジか。電話したんだ。ごめん」
「いや、別にいいけど。何してたん?」
「ああ、さっきまで宇佐見と──あれ?」
先程まで傍にいた宇佐見は忽然と姿を消していた。
「宇佐見? どこにもいないけど?」
「うーん帰ったのかな、多分」
「ふーん。それより、もうすぐ花火始まるから場所取りに行こう。ほら、みーちゃんも自分で歩いて」
「いや~おんぶがいい~」
「え~~にぃに、もう疲れたよ~~」
「熊谷、変わろうか?」
みーちゃんがひょこっと顔を出した。
「ほんと? うつきでもいいよ! ううん、うつきがいい!」
「いや、駄目だって。自分で歩け」
「いいよ、熊谷。ほら、こっちおいで」
「やったあ!」
みーちゃんは嬉しそうに熊谷の背中から飛び降りた。
「悪いな」
「いいよ。みーちゃん軽いし。何ならお姫様抱っこでもいいけど?」
「え! ほんと!」
「おんぶで十分だ。しかもお姫様抱っこなんて目立つじゃん!」
宇佐見の姿は幻のように消えてしまったが、握り締めたエー玉の冷たい感触が幻ではないと物語っていた。
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