月虹

 窓側の隣の席の宇佐見うさみを表す形容詞は、「無口」のただ一言に尽きる。が、全く喋らないわけではない。質問をすればちゃんと返してくれるし、会話も成立する。



 雨が、降っている。しかもかなり激しく。さっきまでは青空が澄み切って嘘みたいに晴れていたのに。


「えー傘持ってないんだけどー」


 熊谷くまがやは外を見るなりげんなりした。


「通り雨でしょ? 待ってればすぐ止むんじゃないの」

「や、今日は早く帰らないといけない日なんだよ」

「そうなの?」

「ん。この後母さん、出かける用事があって妹が一人になるんだわ。早く帰ってやらないと」


 なんて妹思いなんだ。


「それに、昨日買った限定紫陽花プリンが家で待ってるからな!」


 そう言って熊谷はよだれを垂らした。……なんて食い意地が張るやつなんだ。


「紫陽花プリンって……想像つかないんだけど」

「プリンが紫陽花みたいな色で、上に紫陽花を表現したクリームが乗ってるんだ。コンビニで見つけたときは『考えた人天才かっ!』って思わず叫んじゃったわ」


 紫陽花みたいな色ってことは紫っぽい色ってこと……? それは……美味しそうなのか?


「はぁぁぁ、話してたら早く食べたくなってきたー‼ でも傘無いんだったーー‼」


 うおおおーーー! と叫びながら頭を抱える熊谷を見ながら、半ば呆れて言った。


「……折り畳み傘、持ってるから貸そうか?」

「え、マジ⁈ ちょー助かる! ……あ、でも卯月は? 卯月の傘使っちゃったら卯月帰れないじゃん」

「特に急いでないし、止むまで教室で待ってる」

「一緒に入る?」

「いや、熊谷デカいから小さい傘の中に二人収まらない」

「……それもそうだ。何か、ごめん」

 


 窓の外を見ると、丁度熊谷が校門へ向かっているところだった。水だまりを避けながら歩いているので、まるで酔っ払った人みたいにふらふらしていた。面白いやつだ。


「…………」


 さて、どう時間を潰そうか。と、鼻がムズムズし始めた。


「……ぶぇっっくしょいッ‼」


 後ろでカタン、と何かが机に軽くぶつかる音がした。


「………………」


 誰もいないと思っていたら本を読んでいる宇佐見がいた。先程の盛大なくしゃみを誤魔化すように話し掛けた。


「宇佐見も傘忘れた感じ?」

「………………」

「今日降らないって予報だったからね」


 そして自席である宇佐見の隣の席に座った。


「何読んでたの?」


 宇佐見は本の表紙をこちらに向けた。小難しそうなタイトルだった。


「面白い?」

「………………」


 しばらくして宇佐見は小さく首を横に振った。


「はは、何それ。面白くないんだったら読むの止めればいいのに」

「……それは本と作者への冒涜」

「なるほどね」


 一度読んでしまった以上、最後まで読むのが宇佐見のポリシーらしい。


「……面白い部分もあるかもしれない」

「確かにね」


 外を見ると雨はさらに激しくなっていて、窓を閉め切っているのに教室の中まで雨音が響いていた。今日は虹を見られるのだろうか。通り雨は虹が出やすいから見られるかもしれない。


「……虹は夜でも見れることがある」

「…………⁈」


 丁度虹について考えていたときに虹の話題を持ち出され、脳内を読まれたのかと驚き、そして何故急にその話をするのか不思議に思いながら目を見開いていると宇佐見はこう続けた。


「……虹って言ったから」


 口に出していたつもりはなかったが、どうやら声に出てしまったらしい。別に超能力を使っていた訳ではなかった。


「……そうなんだ。光がないと虹は見えないと思うんだけど」

「だから満月の時、見えやすい」

「あー……なるほど。たまに月の周りに虹の輪が見えるけど、あれは違うの?」

「それは月暈げつうん。これから天気が下り坂になることが多い」

「へえ」


 すると、宇佐見はスマホを操作し、画面を見せた。


「うわあ」


 宇佐見が見せたのは星が瞬く満月の夜空に掛かる一本の虹の写真だった。


「ちなみに、何ていうの?」

月虹げっこう。月の虹」

「へええ。これ見られるの、かなり珍しいんじゃない?」


 宇佐見は頷いた。


「……見られると幸せがある」

「いいね」


 宇佐見は画面をスワイプしてもう一枚の写真を見せた。


「オーロラと月虹」

「もしかしてスウェーデン?」


 こくり、と頷く。


「オーロラでもそう簡単に見られないのに月虹も見られるのは相当な強運の持ち主だね」


 そうこう話している内に雨も上がり、太陽が顔を出し始めた。


「雨上がったから帰るけど、宇佐見は?」


 宇佐見は本とスマホを鞄に仕舞い、帰り支度を始めた。



 二人で昇降口へ向かい靴に履き替えた。一瞬見えた宇佐見の下駄箱の中には折りたたみ傘が入っていた。

 校門を出ると宇佐見の方から珍しく声を掛けてきた。


「……また、明日」

「うん、じゃあね」


 宇佐見は小さく頷くと背を向けて歩き出した。


「……傘、持ってんじゃん」


 いや、あの時宇佐見は傘を忘れたとは一言も言っていなかった。自分が勝手にそう思い込んでいただけだった。


 宇佐見の行く先には大きな虹が二本、寄り添うように空に掛かっていた。

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