後編
土曜日の夜。
アキハバラに多くの露店が出ていてお祭りみたいなエリアがあるが行かないか、とリンから誘われた。
案内された場所は光と人の渦の中だった。
「すごい」
明るい夜の中、ぎゅうぎゅうと寄せ集まった露店が食べ物や雑貨を売っていて、それを買う人々もぎゅうぎゅうと押し合いながら露店を覗いている。店先のライトが強く周囲を照らし、目を下にやると路上に並べられた安っぽい売り物のアクセサリーが、キラキラと光っていた。
「ライトの数がすごい。どうやって電力をまかなっているのかしら」
「だいぶ前から自前の発電機を持っている個人が多いです。まぁ……どこかで電気を盗んでいる人も多いようですが」
リンは意味ありげに、店の奥に置いてあるバッテリーに目を向けた。
そこかしこで酔っ払い達が歓声を上げ歌っている。
「スリには気を付けてくださいね」
リンの言葉に「もちろん」と答えて、肩からかけていたバッグを抱えた。
「私あのタコヤキを食べようかしら」
「いいですね。エビやチーズの変わり種もあります」
調子に乗って飲んだビールがいけなかったのか、浮かれた雰囲気を堪能していると頭痛が再発した。
「––その頭痛、手術した医者の腕が悪かったせいでは」
今までで一番ひどい痛みに顔をしかめた私を見て、リンが呆れたように言った。
「何のこと?」
いきなり医者の話をされて、思わず問い返した。
「不確かな情報を鵜呑みにして、いつも藪医者にひっかかる」
「腕は確かよ」
「本当に?」
「うるさい!!」
苛立ちカッとなって出た声に周囲を見渡すと、興味津々といった目線が集まっていた。
「失礼しました。言いすぎました」
そっけなく謝るリンに再び苛立ちを覚えたが、ため息をついてそれを収める。頭痛がひどくなった。
「私も言い過ぎたわ」
人込みを避けて露店と露店との間の隙間で、少し休むことにした。リンは「何か温かい飲み物を買ってきます」と言って人ごみの中に消えていった。
『ラジオニュースニッポンの時間です。まずは連続殺人事件の続報です––』
店先に置かれたタブレットからネットラジオのニュースが流れてきた。
どくどくと頭の血管に血が流れるのに合わせて鈍い痛みが走るのを耐えていると、視界の端に飲料の缶を持ったリンが見えた。
休める店を探してもらおう、とリンに向かって歩き出した矢先、ドンと私の背よりもわずかに低い子どもが接触した。ぶつかった少年が「すみません」と謝りさっと離れて行いくのを、なんとはなしに見ていた。
「待て!」
突然、リンが鋭く声を上げて少年を追って走り出した。
何事かと唖然とリンを見送ったが、自分のバッグから財布が抜き取られている事に気づいた。
路地に駆け込んだリンを追ったが、進めども二人の姿が見つからない。建物から漏れる灯りしか頼れない道は薄暗い。所々にみすぼらしい恰好で座り込んだ人がいて、深追いせずに元の場所まで引き返そうかと迷ったところで、少女が現れて叫んだ。
「あっち! とめて!」
少女に駆け寄るとリンの怒鳴り声と、少し高い子どもの悲鳴が聞こえた。助けを求める子どもの声に、周囲の建物から顔を出す者はいない。
「危ないから下がっていて!」
少女を脇に押しやって、転がるゴミに足を取られながら少女が指さす角を曲がると、リンが少年を蹴っていた。
私に背を向けているリンの顔は見えなかったが、少年の方は身体を震わせていた。泣いて許しを乞うても暴力から逃れられない現実を見て、絶望と諦めを浮かべた目でリンを見上げていた。
「リン! やめて!」
暴力的なリンの言動に驚きながらも駆け寄って止めようとするが、聞く耳を持たない。
「財布は逃げている途中で仲間に渡したようで、持っていませんでした。今聞き出します」
そう言って少年の腹を蹴り上げた。少年は倒れこんだまま口からげぇげぇと吐しゃ物を吐き出していた。
「取られた財布はダミーなの! 小銭しか入っていないから!」
バッグから取り出したもう一つの財布を見せた。そういった自衛は日頃から行っていた。
「そうですか」
ようやく怒気を収めたリンを見て、ほっと力を抜いた。
「大丈夫よ。それよりも、その子……」
「放っておいて問題ないです」
「でも」
「暴力をただ受け止める事しかできない子どもは、憐れですね」
リンは身を
「さっきはありがとう」
呼びかけに答えるように顔を上げた少女を見て私はぎょっとした。恐らく両目を切開手術したのだろうが、化粧も相まって顔の大きさに対して目が異様に大きく見えた。他にも顎が不自然にとがっていて鼻筋は妙に整っている。手足は細く痩せこけていたが、服装を見る限り金に困っている様子はなかった。
「あの……だいじょうぶ?」
「私? ええ。怪我もしていないわ。心配してくれてありがとう。あなたも大丈夫?」
立ち上がるのを助けるために握った手は、滑らかで青白かった。
「へへ……まぁも、だいじょうぶ。しんぱいしてくれて、ありがとう」
笑った時に覗いた歯はジルコニアだった。
「まぁ? あだ名かしら」
「そんなかんじ」
立ち上がったまぁは、そっと私の耳元に口を寄せて「きをつけて」と言って、ひょこひょこと不格好な走り方で去っていった。
もうリンを追いかけるような気力もなく、疲れ果てた私はホテルへと帰ることにした。
いつの間にか頭痛は引いていた。
ホテルのベッドに寝転がりながら、まぁの事を思い出していた。
––きをつけて
最近報道されている事件を思い出すと、洒落にもならない。今日みたいに無鉄砲に危険な場所に飛び込むことはもうしない、と心に決めながら目を閉じた。
頭痛で目を覚ました。まだ部屋は暗いのに、なぜかテレビが点いていて朝のニュースが流れていた。
『次のニュースはニホンの林さんからです』
テレビを見ていると、呼ばれたキャスターは眩しいほどに綺麗な白い歯を見せて微笑んでいるが、顔が異様だった。口角は不自然に切れ上がり、額はコブでもできたかのように膨れ上がっていて、右目は腫れあがっている。鼻先が壊死したように黒くなっていて、そこから何か棒状の物が突き出していた。口から出たのは錆びついたドアを無理やりに開閉しているような不快な声だった。
「はいい、林ですすううう。いま––きょうふ、連続りょうききさつじん、ひがいい しゃ、の、いたいが、はっけ––ましたたた」
その声を聞いていると目の奥が焼けるように熱くなった。うずくまりながら、頭の痛みを逃がすように浅く呼吸をする。
「はははんにんには、ご、ごちゅういい、くださいください––リ、リン、に、きをつけろおお!」
バツンという音が頭の奥で聞こえた途端、意識を手放した。
シャワーを浴びながら、私は混乱していた。
目覚めた時にはすでに日が昇っていた。力をこめていた身体には痛みがあったが、頭痛は嘘のようにひいていた。あのニュースキャスターの言葉が頭から離れず、起きてすぐにリンとの過去のやり取りを確認すると、金曜日以前の履歴が無かった。音声でも文字でも。
「きをつけろ、か」
何故今まで気づかなかったのか。金曜日を起点として、それよりも前にリンという存在が私の中には無いという事に。空港で出迎えてくれた男の顔はまだ思い出せないが、リンではなかった。
顔にお湯が当たるのを感じていると、だんだんと思考が落ち着いてきた。
(もしかして、入れ替えたデバイスのせい?)
ニホンに来てすぐにネットで有名な医者を尋ねたが、粗悪品を掴まされて記憶障害が発生している可能性もある。脳裏で手術をした医者の連絡先を引き出し、通信をかける––が
「繋がらない?」
間違った番号へと接続をしようとすると流れる自動音声が、むなしく頭に響く。
浴室を出て海外の通信を開放し、本社へ連絡を取ろうとした。しかしアクセスができなかった。
(今日は日曜日で会社が休みだから……)
そう納得させようとしたが、鏡を見ると、うつる顔は不安げだった。無理に口角を上げて微笑むと、真っ白で綺麗に並んだジルコニアの歯が見えた。
浴室を出てタオルで身体を拭き髪の毛を乾かし終わった頃、ようやく腹を決めた。
急いで身支度をして、少し悩んでからバッグに護身用の銃を入れ、部屋を飛び出す。
「ウエノへ」
ホテル前に止まっていたタクシーに乗り、リンの社宅の住所を伝えると目を閉じた。
タクシーから降りた目の前には、古ぼけた4階建てのマンションがあった。セキュリティはなく、建物内は薄暗いうえに、壁にはスプレーで汚い落書きがされていた。社宅として借り上げるには不釣り合いな物件のように思えた。
節電のためなのかエレベーターは稼働してなかったから、階段でリンの部屋のある二階へと昇ることにした。
「リン、だめだよ! プログラムがうまくいかないと、そとにでられない、よ。林さんに、おこられる」
階段を上った先を曲がった廊下から、まぁの声が聞こえた。
「本当にしつこいな。あいつの干渉は受けない。消えるのはごめんだね。お前、再教育を素直に受け入れるなら、まず自分が消えろよ。それとも……俺が消してやろうか?」
身を隠して会話を聞いていたが、物騒な内容に銃を手に飛び出した。
「手を上げなさい!」
リンに銃を向けても驚いている様子は無かったが、まぁの方は「ひっ」と怯えたように声を上げた。
「リン。あなた誰なの? それに、まぁも」
きつく問いかけたが、リンはにやにやと笑っていた。
「本当にお前は何も知らないんだなぁ」
「あなたもしかして、産業スパイ?」
「スパイ?」
「あなたが私に接触したタイミングで起きた不正アクセス……妄想と言われても、偶然が過ぎるわ! あの医者ともグルなのかしら?」
「おいおい。早く夢から覚めろよ」
リンは肩をすくめて苦笑していた。首を少し傾げ、だらしなくジャケットを着てポケットに両手を入れている姿は、今までの印象と全く違っていた。
「夢?」
「世界を飛び回るエリートだとか、ハッカーやスパイと対峙するだとか、本当にお前はガキの頃からの空想癖、変わんないな。ちょっと付き合ってみたが俺は飽きた」
リンがぐいっと顔を近づけてきて、耳元でささやいた。
「いいか、ここは再教育とやらの一環で構築された夢の中だ。今も俺らは見られてるんだぜ?」
「え……?」
「現実のお前は実の父親に美術品の様に愛でられ、そして犯された。男のくせにそれを喜んで受け入れていた。俺の身体でもあるのに……虫唾が走る」
途端にかさかさの大きな手で、身体中をまさぐられる感覚を思い出した。
(––思い出した?)
「リン、だめ、だめ」
まぁがリンの腕を掴んで制止しようとしていた。
「そして俺は、お前らを見て狂った母親のサンドバッグだ」
「ママも、くるしんで、いたの!」
「何が苦しんでいただぁ?! あいつの機嫌が良い時にしか出てこなかったお前に、なんも言われたくねぇ!」
リンが手を振り払い。まぁが「きゃぁ!」と倒れたが、私は動けなかった。
「そうだ。俺がこいつを食えばいいんだよ。そうすれば、少なくとも二人が一人になる」
––さぁ、おいで。愛してあげるよ。マコ。
懐かしい声が遠くから聞こえて、身体ごとそちらに引っ張られる気がした。
(お父様はなんでもくれた。お化粧品も、お洋服も、靴も)
私は永遠にお父様に愛されている子でいたかった。
「だめ、だめ! このままだと、またしっぱいしちゃう!」
リンの足にしがみつきながら叫んでいたまぁが、蹴り飛ばされているのが遠くに見えた。
「おいおい。都合が悪くなると隠れようとするの、お前の悪い癖だぜ?」
いつの間にかリンが近くにいて私の首を掴んだ。
「そもそも俺の身体に勝手にメスを入れるお前たちを、忌々しく思っていたんだ」
かろうじて持っていた拳銃を取り落としてしまい、手を外そうとリンの腕をつかむがピクリともしない。
リンの口が大きく開き、近づいてくる。生臭い匂い。綺麗に並ぶ真っ白な歯。
暗い喉の奥から、女の汚い悲鳴が聞こえた。美しく装った化粧が剥がれ落ち、服が破れ、血しぶきを上げる。胸は豊かに膨らみ、腰は蜂のごとくくびれ、腹には子どもが宿る場所がある。私は夢中で食べた。どれもこれも欲しかった。お父様に愛されるために。
血みどろのナメクジの様にうごめく舌が飛び出してきて私の頬を舐め、そうしてまるで桃を
あぁ、食べられる……。
ピ、ピ、ピー
マコト・ハヤシ、睡眠再教育プログラム修了。現在ノ、睡眠継続時間ハ、三百八十六時間デス。データ出力カイシ、シマス。医師ハ必ズ、検証ヲ行ッテクダサイ。
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