悪夢を齧る

トーン

前編

 生命維持装置、ポッド内羊水量、オールグリーン。連続睡眠時間、十三時間デス。コノ記録ハ全テ保存サレ裁判所ヘ提出サレマス。


『金曜日の朝のニュースです。イケブクロで昨夜未明、女性の遺体が発見されました。遺体の状況から捜査当局は三か月程前から続く一連の連続殺人事件と関連があるとみて捜査を進めています』

 ソファに座り、頭痛に眉をしかめながらテレビに向かって手をくるりと回してつけ––つかなかったから、ため息をつきながらもう一度手を回すと、テレビから物騒なニュースが流れてきた。


 エネルギー戦争とも言われた資源の争奪戦が終わって三十年。世界はその競争に負けたニホンに興味を無くしていた。疲れ果てた多くの国々が統合もしくは経済同盟を結んでいる今、ニホンからは人と資産の流出が続いている。

 衰退著しい割に治安は悪くないという認識だったが、凄惨せいさんな事件はどこにでもあるようだ。私は初めて訪れたニホンの現状を憂いながら、やっぱり銃は携帯しておいた方が良いのかも、と思っていた。


『犯人は鋭利な刃物で内臓の一部を切り取って持ち去っており––』

 ニュースを聞きながら、未読のメッセージは無いかと脳内デバイスのメールボックスを確認をしてみると、アメリカにいる上司からの新しいメッセージがあった。


『Hey! マコ!

  前々から言っているように君は働きすぎだ。

  ニホンではくれぐれも働きすぎないように!

  私は明日から長期休暇 に入るから、連絡は取れないよ!

  

  追伸 ニホンのカマクラはいいぞ               ジェイムズ』

 

 せり出たお腹を揺らしながらウィンクしている陽気な送り主を思い出して笑ってしまった。


 窓ガラスに向かって指を回すと、スモークになっていたガラスがクリアになって、シンジュクのビル群が眼下に一望できた。ビルやアスファルトが太陽に白く焼かれていて、すでに気温が高そうだった。電力不足にあえぐニホンの中において、一昨日チェックインしたこのホテルでは惜しみなく空調を効かせている。

「さすがトウキョウ内でも宿泊料がひときわ高いだけあるわね」

 強い紫外線に対抗するために日焼け止めを丁寧に塗り込んでいたら、頭の後ろがピクリと痙攣けいれんして、通信が入った。脳内デバイスの受信をオンにする。

 ––おはようございます。リンです。

 脳裏に男の声が響いた。

「あぁ、リン。おはよう」

 ––本日視察予定の工場で少しトラブルがありました。

「二十年も放置されていた工場で今更トラブル?」

 ––不正アクセスがあったようです。今、報告書を送りました。

 受け取った報告書を展開すると、左目に工場の大きな地図が写し出されて視界が遮られた。

(解析度を調整しないとちょっと邪魔ね)

「詳細は車の中で聞いても大丈夫かしら」

 ––はい。すぐにホテルに車を回します。

「三十分くらいで出られるけど……もう少しかかる?」

 教えられたリンの社宅の住所はウエノだったはず。

 ––もう出発しているので、間に合います。ホテルの入り口でお待ちしています。

 通信が終わると思わずため息が出てしまった。

(頭痛がひどくなりそう……)

 とりあえず浴室へ行こうとドアに向かってくるりと指を回す。が、ドアは開かない。

「この部屋のモーションセンサー、ちょっとポンコツ……浴室を開けろバスルーム オープン!」

 鋭い声に反応したドアが横にスライドして開き、浴室へと足を踏み入れた。


 いつものように黒いパンツに白いシャツ、そして爪には真っ赤なマニキュアがきれいに塗られているのを確認して部屋を出る。真っ赤なマニキュアが一番だと幼少の頃から信じているのは、昔父親に褒められたから。まるで洗脳のようだな、と苦笑してしまう。

「おはようござます」

 エントランスに立っていた明るい茶色の髪でスーツを着た男––リンが手をあげて声をかけた。 

「朝からありがとう」

「本社の方がニホンにいらっしゃるなんて珍しいですから、張り切っているのですよ」

 リンが冗談めかして片目をつぶる。

「それなら頑張ってもらおうかしら」

 軽口に乗る様に返した。

「車にお乗りください。ヘリポートまで三十分ほどで着きます」

 私の腰に手を回し芝居じみた仕草で、リンは車までエスコートした。

「助手席でいいかしら」

「もちろんです」

 二人が乗り込むと車はオートで動き出す。

「少しだけ報告書を読んだわ。結局何もわかっていないみたいね」

「残念ながら。エンジニアを先に現地へ派遣しています。頭痛ですか?」

 リンの言葉にはっとした。どうやらまだにぶく痛む頭を、無意識に揉んでいたらしい。

「立て続けの海外出張で疲れているのかも。アメリカにも数か月帰っていなくて。いつもの事なのだけれど。もしくは、昨日入れ替えたばかりの脳のインプランタブルデバイスが良くないのか」

「ニホンは違法電波が多い国です。慣れない方はノイズをうまく遮断できなくて、頭痛を起こすこともあるそうです」

「それもあるのかもね」

 頷きながら目を閉じて、工場を上空から撮った写真を目の裏に映し出した。


 エネルギー戦争が終わると世界は大きく変わり、変化に対応できない多くの企業が身を寄せあい事業再編がなされた。当時サンアンドムーン社には潤沢じゅんたくな資金があり、節操なく––と社員である私は思っている––企業を取り込んだ。その中に、半導体の前工程を主力事業としていた会社があった。とても良い技術を持っていたが不幸が重なって立ち行かなくなった結果、二十年前にサンアンドムーンに引き取られ、生産拠点をアリゾナに移して事業が再出発した。

(そしてニホンの工場は放棄された)

 工場の処分については何度も議論がされたようだが、会議の場に上がるタイミングが悪く先送りされ続けた。しかしさすがにもう二十年も……と役員会議でようやく話がまとまったらしく、取り壊しと土地の売却が進められることになった。

 そのための事前調査を担当する事になったが、難しい案件ではないと聞いている。

「古いサーバーがまだ稼働しているなんて、資料には一切書いてなかった。このハッカーは何者なのかしら」

「さぁ。私はそういう事はうとくて」

 リンの返答はそっけないものだった。

 さてこの出張期間中にカマクラには行けるかな、などと思いながら報告書を眺めていると、車はヘリポートのあるビルの前で静かに止まった。


 ヘリで約三十分。工場はイバラキにある。

「報告書の通り不正アクセスが試みられたのは、今はもう放棄されている衛星から送られてくる気象データを保存している区域です。ハッカーはその区域まで到達できず、諦めたようです」

 工場内のパソコンルームでモニターを見ながら、同席したエンジニアから報告を受けた。

 急ぎ現地に入ったものの、結果として被害は無かった。

「セキュリティのために電気を切っていなかったとはいえ、不足した電力を工場内の自家発電システムで補って、ひっそり稼働し続けていたなんて驚きね。この件は本社に報告するわ。場合によってはサーバーごとデータを保管したいと言い出すかも」

「この古い機械を?」

 リンがいぶかしい顔をして聞いてきた。 

「ウチの“いつか何かに使えるかも”って精神すごいわよ。ここが二十年もあり続けたのが良い証拠。さ、今日見るべきところは見たわ。撤収しましょう」

 一通り工場内を見て回ったが、定期的に草刈り程度の手入れはされていて、ひそかに危惧していた浮浪者が住み着いているような事もなく、最初の視察としてはあっけなく終わった。

 

 シンジュクに戻り、二人で夕食を取る事にした。

 地元の人が利用する店に行ってみたいという私の要望に、リンが案内したのは随分と古い中華料理店だった。

「創業七十年近いそうです。見てわかる通り非常に庶民的ですが、料理はとても美味しいですよ」

 カウンター席とテーブルが四つ置かれた店内は、長い年月を経て蓄積された油汚れが染みついていた。壁の天井に近い位置には旧式のテレビが設置されている。

 店内に客は多く、唯一空いていたテーブル席についた。

「水はセルフサービスですので取ってきます」

 店の隅にあるウォーターサーバーの前には数人が並んでいた。

 店内を眺めていると、厨房からモクモクと出る湯気とともに香ばしい匂いがただよってきて、鼻と腹をくすぐられた。

 列に並ぶリンに目をやると、視線に気づいたのか振り返り微笑む。不自然なほどにしわが寄らない顔。覗く歯は綺麗に並び、塗装したかのように白い。

(あれはジルコニアかしら。今時、培養歯を使わないあたりマニアね)

 ナリタ空港で出迎えてもらった時に初めて会ったが、その際は“真面目で平凡な男”だと感じた。今思うとだいぶ印象が異なる。

 ––ズキ

「……っ」

 忘れていた痛みが頭を突き刺す。

『––事件の唯一の生存者から犯人は男で、被害者の遺体の一部を食べていたという証言があり、この連続殺人事件は猟奇的な側面が強くなってきました』

「おーい、テレビ、競馬に変えられんかぁ?」

「はぁい!」

 カウンターに座っていた男の客の呼びかけに、小太りの中年女性がリモコンを手にして厨房から出てきた。周囲の客に「すみません変えますねー」と頭を下げて番組を変える。

「こちらの番組で良いですか?」

「ああ。あんがとな!」

 そんな会話を聞いていたら、グラスを手に持ったリンが戻ってきた。

「また頭痛が?」

「ええ」

「試しに周波数を絞って、海外通信をクローズにしてみてはいかがですか」

「それは不安で……」

「依存症の一歩手前ですよ」

「耳が痛いわ。それよりも食事にしましょう」

 居心地の悪い話から逃げるようにメニューを開いた

「注文はもう決めていますか?」

「それがまだ。お薦めはある?」

「こちらの薬膳料理のセットメニューなんていかがですか」

「いいわね。お粥のセットにしようかしら」

「僕はこちらのヌードルにしましょう。すみません、注文をお願いします」

 リンが手を上げて店員を呼び、注文を伝える。

 そうして出てきた料理はとても美味しく、七十年の歴史を二人でありがたく腹に収めた。


「はぁ、汗が止まらないわ」

 夜のシンジュクは昼よりもだいぶ涼しくなっており、店を出ると、夜風が火照る顔を撫でて気持ち良かった。昼間は暑すぎて人影がほとんどないが、夜になると所々でまたたく古いネオンの明かりに誘われるように、人が出てきている。

「今日の件は私がまとめて本社に報告しようと思うのですが」

「いいえ。私が……」

「『働き虫にうまい飯と、きれいな景色をたっぷりと堪能させてやってくれ』と言われています」

 上司の口調そっくりで、少し笑う。

「通信をクローズにしてみてください。今日は金曜日ですし、土日くらいなら何かあれば私が窓口になります」

 リンが続けた。

「そうね。お願いしようかな。手術以外だと、いつぶりかしら。少し落ち着かない」

「すぐ慣れますよ」

 明日は一日何も予定はない。何をしようか何ができるか。こんな気分は久しぶりだった。

「薬膳料理は良く食べるの?」

「はい。医食同源という言葉をご存知ですか。食べる事は医療の一つだと思っているので色々と……」

「ニホンにいる間、私も体にいい物を食べ歩こうかしら」

「色々と食べてみるといいと思います。中にはびっくりする物もありますが」

 リンがニッコリと笑った。

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