第168話 益州・墓守と荀攸・魔女 その1

 遠方で春雷が光り、夕闇が小さくひび割れた。

 ……まずいな、早くしないと雨が降りそうだ。


 墓地に到着した荀攸じゅんゆうは、墓守の小屋の戸を叩いた。

 墓を掘り起こしている最中に墓荒らしだと勘違いされたら面倒なので、許可を取るつもりである。……正直、これも面倒なのだが。


 甲高く耳障りな軋み音を立てて戸が開く。

 墓守は、日暮れの墓場にくわを持って現れた怪人物を見て驚いたが、すぐに拒絶も露わに鋭く睨みつけた。


「あ、お忙しい所、失礼いたします。わたくし、高官の依頼で調査に参りましたじゅんという者です」

「ふん、依頼主が高官なのはわかった。で、あんた自身は何者だ?」

 ……ぼろぼろの旅服、腑抜けた顔、とても高級官僚の使いには見えない。もしかしたら、そう思い込んでいる不審者かもしれない……。


「暖かくなると、野犬や遺品を掘り出す墓荒らしが湧きだすから大迷惑してんだよ。あんた、ハッキリ言って怪しすぎるぜ。今すぐ自分の身を証明してみせな。

できないならとっとと帰れ。もしも帰らねえなら……」

 使い込んだ剣の柄に手を伸ばす墓守に、荀攸はあわてて答えた。


「わかりました。わたくしは、こういう者です」

 それは、指先に乗る小さな印章とそれを結ぶ長い紐だった。

 巾着から取り出して見せたとたん、凄んでいた墓守は目を丸して仰天し、恐れて後ずさった。


「ぎ、銀印と青綬?!(綬は組紐で、色によって官職や身分を証明できる)

あんた、いえ、あなた太守でしたか!ひっ、どうか無礼を許しくださいっ!」


 ひざまずこうとする墓守をあわてて止めて、印綬の威力に自分でも動揺しながら、どさくさに紛れて荀攸は氏の墓を調べる許可を願い出た。


「どうぞどうぞ!ご自由にお調べくださいっ。オレも手伝いますっ」

「それはありがとうございます。でも、私一人でやりますよ」

 さきとは別人のように気を遣う墓守に申し訳なさを感じつつ、荀攸は出まかせを話し出した。


「実は、ここで永眠しているはずの氏の呪いが、各地で報告されているのです。

 そこで、この土地の太守である私に封印の呪符を彼女の棺桶に入れるようにと命令が下ったのです」

「えっ。の、のろい、ですかっ……!」

 墓守は素直にすくみ上り、効果てき面だったので話を続ける。


「はい。危険な作業ですから、私一人でやります。あと、決して見ないでくださいね。覗き見しただけでも、呪われる可能性があるそうです……」

 相手は、怯えた子供のように無言でうなずいた。


 ……怪異を怖がる墓守とは珍しいな。まあ、この仕事は向き不向きだけじゃなく、深い事情があって就く人もいるから、彼もそうなのかもしれないな。


 そんなことを思いつつ、目的の墓石の名前を確認し、鍬を振りおろす。

 比較的に新しい墓のおかげか、土は柔く、思ったより早く棺桶の一部分が露出する。棺と蓋の隙間に、躊躇なくくわの刃を食いこませ、めくり上げるように力を込めた。腐食が進んでいた板は裂けるように、部分的に割れて外れて飛んだ。


 とたんに凄まじい腐敗臭が湧き上がる。

 息を止めるというよりしていられない。

 ……なにが「生きてる可能性がある」だ。しっかり死んどるじゃないかっ。

 憤りと吐き気が胸に渦巻く中、念のため箱の中身を覗き、目視でも確認する。

 永眠している人物の衣類は――男物だった。


 ……まさか、人違いっ?!いや、墓違いか。


 勢いよく蓋を閉め、逃げるように穴から這い出す。思い存分澄んだ空気を肺に入れたのち、今一度、墓石を確認する。

 そこにはやはり、女性の名前、目的の人物の名前が刻まれていた。


 ……どういう事だ。なぜ、女の墓に、男が入ってる?

 墓と中身が合っていません、と墓守に苦情を言おうと思ったが、ハッとする。


 ……そうだ、たしか廬氏は息子と一緒に益州牧の劉璋りゅうしょうに処刑されたんだ。そんな不穏な死だし、急ぎまとめて二人は埋められたのかもしれない。

 さっきのは息子の遺体で、その隣に、母である盧氏も埋められているのかな……。


 ふたたび穴に降り、棺の左右を探るように掘っていく。ありがたいことに予想通り、二つ目の棺の側面が現れた。

 そのまま掘り進めたいところだが、横穴を大きくすると上部の土が崩れる危険性が高い。荀攸は墓穴から出ると、安全な地上から盧氏の棺に向かって再び鍬を振るった。



 やがて、目的の棺桶が半分ほど露呈したところで、気が抜けたのか凄まじい疲労感に襲われ、倒れるように座り込んだ。

 墓の底は息苦しく、濁った暗黒色が重く身体に圧し掛かる。

 思わず光を求めて夜空を見上げた。だが瞳に落ちてきたのは、星の光ではなく雨の雫だった。


 ……休憩の時間もないとは。


 無理やり立ち上がり、先と同じく、棺と蓋の隙間に鍬の刃を差し込み、蓋の一部分を割って開いた。その中には、美しい娘が横たわっていた。


 ぬらりと白蛇のような肌は淡く輝き、小さな顔は長く豊かな黒髪に縁どられ、雨粒も娘の上に落ちれば、まるで真珠か宝石のごとく装飾に変わっていく。


 しかし哀れにも、その表情は恐怖で瞳は見開かれ、唇は絶望の叫びで空いている。

 処刑時のまま、停止しているのか。

 娘の目の中に雨粒が落ちてもまばたき一つしない。呼吸をしているかもわからない。

「奥さん、奥さん」と呼びかけても返事もしない。


 脈を測るために首筋に触れた。その瞬間、雪のような肌の冷たさに戦慄する。

 そして脈拍は、異様に遅い。……鼓動回数が少ないということか。


 冬眠、という言葉が頭によぎった。


 ……山で負傷した人が数カ月後に発見されたとき、このような異様な低体温で生きていたと聞いた事がある。人の身体には、極限状態で発動する未知の機能が備わっているのかもしれない。


 背後で、何かがうごめくような不気味な音がして、振り返った。

 どろりと土砂が崩れて背中に降りかかってきた。疲れも忘れて大きく飛びのく。

 勢いあまって土壁にぶつかると、そこも崩れてくる。

 娘に気を取られていたが、雨足はかなり強くなっていたのだ。


 ……雨が続けば、生き埋めになるかもしれない……。

 危機を感じ、割った蓋の隙間から娘を引きずり出して抱えた。

 そして、ぎょっとする。

 彼女の着物の胸や腹の部分が数か所も割け、その周りにどす黒い染みがついている。

 処刑というより惨殺された痕跡か、と直感的に思う。


 ……やはり一度、彼女は死んだのか?

 そんなわけのわからない疑問が浮かんだが、今はそれを思案している場合ではなかった。


 つづく

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