第166話 許都・地方情勢と、もう一人の少女の情報

 冷えた指先を青銅製の火鉢で暖めながら、少女は竹簡を読んでいた。山積みだった地方からの報告書は、半分ほどに減っている。

 これまでに得た情報でもっとも驚いたのは、呂布りょふ陳宮ちんきゅうがいる徐州じょしゅうの話だった。

 

 陳宮が、呂布に対して反乱を起こしたのである。

 

 呂布と細君の寝こみを、陳宮とともに決起した郝萌かくほうという大将が襲った。

 だが夫婦はみごとに逃げおおせ、郝萌は自分の部下である曹性そうせいと呂布の重臣、高順こうじゅんに斬られてしまった。

 共犯者の陳宮はどうなったかというと、呂布に許されて地位も変わらずに働いているのだと云う。

 

 少女は目を細めた。

 ……公台こうだい(陳宮のあざな)殿。私だけではなく、呂布まで裏切るとは。君はどんな主人なら満足して、幸せに過ごせたのだろう……。

 

 そしてこの反乱を裏で画策したのは、袁術えんじゅつとの情報もある。

 呂布が曹性に聞き取りをしたところ「郝萌は袁術のたくらみに乗った」「共謀者は陳宮だ」と答えたのだ。

 皆の前で名指しされた陳宮は、反論もなくただ顔を真っ赤にしたので、人々は曹性の返答の信ぴょう性を察したと云う。


 袁術の暗躍よりも、そんな、まるで悪戯がばれた幼子のような姿の陳宮を想像し、少女は胸を痛めながら静かに竹簡を置いた。



 やがて日暮れとなり、仕事終わりが近づいた。飾り格子の外は曇天のままで、灰色の空に西日がにじんでいる。いまさら足元が暖かいと気づいて文机の下を覘くと、鼠捕りの猫とすう氏が仲良く眠っていた。


 急いで報告をまとめている途中、ふと、筆が止まった。


 ここ許都きょとから遥か遠い蜀漢しょっかんの地とも呼ばれる益州えきしゅうでの出来事なのだが、その内容自体は単純だった。

 

 益州の牧(牧は、現在の知事のような地位)である劉璋りゅうしょうと、新興宗教の五斗米道ごとべいとう教祖、張魯ちょうろの敵対が激化したのである。

 宗教国家として独立の動きを見せた張魯への報復として、劉璋が彼の母と弟を殺害したのが原因だった。


  問題は、張魯の母である。

 ……以前、彼女は年に似合わぬ若々しさと美貌を持つ、と聞いたような……。


 素早く手元のまとめをめくり、張魯の母親、氏の詳細を読む。

 そして自分の記憶が確かだったと確認すると、少女は鄒氏の腹というか頬をぽんぽんと叩いて起こした。苛立った相手は噛みついてきたが、そのまま文机の下から引きずり出すと膝に乗せて話し出す。


「張魯の母親も、我々と同じく少女体質だったのかもしれない。

ただ、彼女は鬼道を用いたそうだから、呪術で年齢も操れたのかもしれないが」

 

 鄒氏は驚き、興奮気味に「会ってみたい!」と手早く覚書の布に書いて見せた。


「そうだね。しかし彼女は今、墓の中か、打ち捨てられたか、あるいは、キミのように殺されたあと変化してどこかで生きているのか、わからないのだ」


「誰かに調べてもらえば?」


「ふふっ、たしかに。益州に忍ばせている間者に探ってもらおう。しかしそれ以上は、無茶をしなくてはいけなくなる可能性があるな。どうしようか……」と、考えるように目を伏せたが、すぐに顔を上げた。


「そうだ。そういえば、気になっている男がいたのだ」

 唐突な話題の転換に、鄒氏はきょとんとした。


「あ。恋の話ではないよ、ふふっ。まあ、似たようなものかもしれないけど。


益州のとなりにある荊州けいしゅうに、荀攸じゅんゆうという男がいるのだ。

荀彧に、彼は優秀だからぜひ召し抱えるようにと推薦されていたのだが、いろいろあって連絡が遅れていたんだ。そのことを思い出したのだ。


都合の良いことに、荀攸は今、蜀郡しょくぐん太守でもある。

墓あば、いや、わりと無茶ができる立場ではある、かな……」

 

 少女は、密書用の紙を取り出し筆を持った。鄒氏は机の上に乗り、火鉢から火種を取ると灯を点けて手元を照らしてやった。


『荀蜀郡太守へ

いま天下は大いに乱れ、智士が集まって心を働かせる時だ。それなのに、あなたは蜀漢の地で、ただ傍観し続けているだけだなんて!』


「偉そうな手紙」

「これは、荀攸殿が私に仕えてくれるかどうかの重要な手紙じゃ。偉そうでも本音で書くべきだと思うから修正はしないよ。では、追伸も書こう」


『追伸

張魯の母親が生きている可能性がある。彼女だけでも助けてやってほしい』


 少女は筆を置き、手をうちわのように振って紙を乾かした。

「ま、そもそも彼が私の誘いに乗ってくれるか、わからないけどね。

とにかく、最速で手紙を荀攸殿に届けよう」


 鄒氏は嬉しそうに頷いた。


つづく

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