第161話 宛城・訴えられた于禁殿
「マ、マズいですよ!
血塗れの剣を握り、今さら恐怖に震えながら副官は上司の
「私もつい義憤にかられて成敗してしましたが、
「愚問だっ。よいに決まっているっ」
于禁は断言し、副官だけでなく青州兵討伐に参加した全員に伝えようと振り向いた。
「彼らも私たちと同じ、曹操殿の部下なのだ。
確かに彼らは寛大な扱いを受けている。そして私達も特別視してきた。
しかし、そうやって甘やかしてきた結果が、これだ——」
于禁が伸ばした視線の先には、真冬の月光の下、傷だらけの裸の男たちがぶるぶると凍えていた。彼らは最初から裸だったのではない。
彼らは
間道で行方不明の曹操を探していた際、青州兵に遭遇したと云う。
青州兵は彼らに協力するどころか襲いかかり、食料はもちろん衣類まで奪ったのである。
「略奪行為は、元黄巾賊の彼らに染みついた習性だとわかっている。
そうしなければ生きていけない期間を長く過ごしてきたのも知っている。
しかし彼らはもう賊ではなく、私たちと同じ、法に従う兵士となったはずだ。
仲間に暴力を振うのも、盗む行為も厳罰なのだ。私達は法に従い、執行しただけだ」
そして地面に倒れた青州兵の周囲に散らばった盗品を拾い始めた。
部下たちもそれに
そのうち、曹操が
于禁は救った兵士たちも合わせて数百名で隊列を組ませると、堂々と軍鼓を打ち鳴らして行進した。
その音を聞きつけ、隠れていたり、はぐれていた味方がさらに集まった。
敵もおびき寄せられたが、その大人数を見て怖気づき、逃げ去ってしまった。
やがて陣営に到着すると、彼らは塹壕がない事に気づき、地面を掘り始めた。
「あっ于平慮校尉っ!こんな所にいましたか。マズい事になってますよっ」
その声に、工兵部隊から借りた工具で穴を掘っていた于禁と副官は顔を上げた。
駆け寄ってきた曹仁軍の兵士は神妙な様子で話し出す。
「青州兵が、君を訴えましたぞっ。
今すぐ曹操様へお会いして、弁明した方がいいのではありませんか?」
水を飲みつつ聞いていた于禁は、平然と答えた。
「いや、弁明など後でいい。今は、防備を固める方が優先だ。
即席の塹壕であっても、完成すれば敵を迎撃しやすくなるはずだ。
それに、曹司空は聡明でいらっしゃる。
青州兵のでたらめの訴えなど、何の役にも立たないだろう」
やがて作業を終え、于禁はやっと陣中へ入り、曹操に実情を詳しく話した。
すると相手は感心し、彼を存分に褒め称えた。
「君がいた
その苦難の中でも、君の部隊は乱れず、さらに仲間を救うために暴虐を討ち、この陣営の防備まで固めてくれたと云う。
緊急時において、これほど冷静な判断と活躍ができるとは、君は古代の名将にも勝るのではないだろうか」
かくして于禁は今回の件も含め高く評価され、
さて、戦いはまだ続いており、陣営は次第に増える敵の襲撃に耐えていた。
周辺には屍が増していくが、それでも撤退しないのは、待ち人がいるからである。
やがて
しかしそこに待ち人の姿は……曹操を逃すために宛城に残り奮闘した、
「城の混乱は収まり、敵は軍隊を整えつつあります。
こうなっては攻城戦の用意がなくては、難しいでしょう……」
徐々に消え入る曹仁の声に、少女も小さく頷いた。
「わかった」……もう、典韋殿は待てない、救えないという事だ。
涙が落ち、声が震えた。
「わかった。撤退しよう。撤退戦は、最も危険で難しい。
だから私がやる。私は青州兵と残るから、君たちは先に舞陰へ行きなさい」
「はっ?!まさかっ!あなた、ケ――」
曹仁が珍しく動揺し、しかも不自然に言葉を止めたので于禁は思わず彼を見つめた。
「ケ、とはなんです?曹司空のケが、一体どうしたというのですか?……ん?あっ、もしかして、司空はケガをなさっているのではないでしょうねっ?」
……げっ、怪我の件は秘密だったのに、さっそく察されてしまった。困ったな。
それにしても重傷のくせにまだ戦おうとするとは。呆れて仰天してしまったぞ。
「ち、違いますよ、
私は曹司空に「あなた、ケガでもなさったら大変ですよ」と言いたかったのです」
曹仁はそう誤魔化すと、さらに場の空気まで換えようと片膝をついた。
そして丁重に一礼し、涙を細い指でぬぐっている主人を見上げる。
「曹司空、あなたは今、とてもお疲れのはずです。それに、青州兵の数も少なく、作戦を実行するには不安定だと、私は思います。
それに何より、もしも大怪我でもしたら大変でしょう。
あなたはこれまで、多くの者に護られてきたのです。その事をどうかお忘れなく。
あなたはもっと、ご自分を大事にするべきです。
ですからどうか、この撤退戦は私たちにお任せください」
つづく
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