第157話 宛城・失敗の代償・典韋

破壊された扉口から、血煙と兵士たちが吹き出してきた。

一方は曹操そうそうの首を狙い、一方は曹操を守ろうと戦い続け、彼らはついに目的地であるすう氏の秘園に辿り着いたのである。

点滅する蛍の光の中で、妖しくも優雅だった未亡人の地下室は、野蛮な戦場へと変貌していく。


「こんなに早く突破されるとはっ。出口が、塞がれてしまったっ」

曹昂そうこうは動揺し、典韋てんいは大斧の柄を握り直して不吉を睨みつけた。

「ならばこっちも敵の入口を塞ごうっ。手伝ってほしいっ」

思いがけない提案に、鬼気迫っていた二人はついきょとんとして少女を見た。

その間にも少女は剣を抜き、戦闘の渦中へ向かって走り出している。


「まっ、待ってください父上っ。それって同じ意味では?というか、何をしようというのですっ?」

慌てつつも細かい事を気にしながら曹昂が続き、典韋も部下たちと駆けた。


「うむ。同じかもしれん。こちらが出られないなら、敵も入ってこられないようにしたいと思ったのじゃ。


おぞましいが、敵の死体を積み上げれば侵入口を塞げるかもしれないとひらめいたのさ。しかも丁度、敵はまだ入口付近に多い。やってみるなら、今しかない」


個々で戦う味方に加勢し、一人二人と助け出していく。

徐々に多勢となり、それぞれ決死の熱も衰えず、部屋に侵入した敵兵を殲滅するまで白刃を振った。

やがて敵の侵入口を囲む頃には、おぞましい障壁も完成に近づいていた。

その障壁を乗り越えようとする敵兵が見えたとたん、長槍や棒で一突きにして、その壁の一部へと変えていく……。


やがて、ぴたりと敵の動きが止まった。

入口が完全に塞がったのである。


ひと時だとわかっていても、訪れた静寂に、皆、ほうっと安堵の息をついた。

だが曹昂は不安気な様子で、少女に話しかけた。


「たしかに、敵の入口は塞ぎましたが、結局、私たちの出口も塞がれたままです。

では、私たちはどうやって脱出したらいいのでしょうか?」


「おや、君も同じ意味を重ねて言い出したね」

血を拭いながら、励ますように控え目だが明るい声を作って答えた。


「奥に小さな滝があるんだ。水を辿れば、外に出られるかもしれないぞ」

「あっ確かにっ。行ってみましょうっ」

曹昂はさっそく走り出すと、少女と典韋も続いた。


人工の落水には、争乱を避け、逃げ道を求める蛍たちが集まっていた。

おかげで周囲は安定して明るく、屈めば進めそうな空間が確認できた。

とはいえ、その先はどうなっているのかわからない。

ここを進んで逃げるのも、この部屋に残り援軍を待って籠城するのも、どちらも命を賭けた無謀に思えた。


ふと、少女は僅かに眉を寄せた。


……いや、私が本当に鄒氏と同じ体質なら、もう命を賭ける事はできないんだ。

だからといって、気楽に無謀ができるわけでもない。

なぜなら、斬首や八つ裂きにされても生きているのは、曹操としてというより、人間として不自然過ぎるからだ。

結局、致命的な傷を負った瞬間、曹操としての人生は終わる、という事だ。


いつの間にか曹昂は典韋に高く抱えられ、滝口に登っていた。

続いて少女が二人の間で受け渡される。

親子は典韋に手を伸ばした。


「ありがとうございます。でも、私はこの部屋に部下と共に残ります」

「そんなっ。父上の護衛として一緒に来て下さいっ」

曹昂は前のめりになると、ぎりぎりまで手を伸ばした。


「この部屋には、また敵が侵入しようとするでしょう。

私も部下や他の部隊の兵士と一緒によく戦い、多くの敵を倒します。

ここに敵が引き付けられている間に、どうか、遠くまで逃げて下さい」


「すまない。私の失敗のせいで、皆を恐ろしい状況に追い込んでしまった……」


「人は失敗するものです。気にしないでください。そうだ、一つだけお願いします。

夏侯惇かこうとん将軍に、よろしくお伝えください。


あの方は、張邈ちょうばく殿の所でくすぶっていた私を見つけて下さり、最精鋭のあなたの護衛隊に推薦して下さいました。

おかげで誉れ高い隊長にまで昇進し、家族も大変喜んでくれました。


思えば皆、私に良くしてくれました。ありがとうございました」


「了解した、が、あなたが直接、皆に言ってほしい……。すまない。援軍を呼ぶ。

それまで持ちこたえるか、君たちも上手く逃げてほしい」

「ありがとうございます」

「ご武運を」

二人は拱手一礼し、そして頭を上げた途端に、少女は踵を返して中腰で走り去り、それを見届けた典韋は大斧を持ち直し、皆の元へ戻ると皆を励ました。


狭い水路内を、蛍たちは先導するように照らしてついてくる。

少女と曹昂は姿勢の悪さと足場の滑りで転びそうになりながらも、必死に駆けた。

途中、鉄柵と虫除けの布が数か所設置されていたが斬鉄剣で斬り払い、やがて出口の夜光を捉える。


吹き込んでくる真冬の凍風いてかぜが、今は心地よくさえ感じられた。

二人と蛍たちは勢い余って飛び出すと、大きく水が跳ね上がった。


運よく、水底は浅かった。規模的に水路の主線か、内堀だろうか。

振り返れば鉄水門が見えた。大雨の際にはそれを閉じ、地下を守るのだろう。


「お、お父様っ、いえ、父上、この石垣をどうやって昇るのですかっ?」

息子の声に、少女は水路の壁を見上げた。大人二人の背丈よりも、あきらかに高い。

白銀の月下に、鉄黒の影を帯びて浮かび上がる無骨な石組みは威圧的だった。


「これは、金持ちの屋敷の高い土塀や、垂直に近い崖を昇るのと、やり方は一緒だ」

「わ、私はそんな悪戯や危険な事をしなかったので、やり方がわかりませんっ」

「そう。君は母さん似の、良い子だな。じゃあ、そこで待ってなさい」


少女は短剣を二本借りると、石の間に突き刺した。

そしてつま先を小さな出っ張りに器用に引っかけ、身体を安定させると、片手の剣を抜いて上段の石に刺し、見る間に昇っていく。

そして頂上手前で止まると、少しだけ顔を出し、周囲を見渡した。


辺鄙な場所のせいか、物言わぬ兵士が数体横たわっているだけで、敵はいない。

……皆、地下室へ行ったのかもしれない……。


少女は昇り切ると、手早く帯や倒れた軍馬の手綱などを結び、長紐を作った。

その端を木に括ると、もう一方の端を曹昂に向かって投げ降ろす。


曹昂は息を切らして上がると、やっと寒さを感じる余裕が出てきたらしく、身体を抱えて震え始めた。

「濡れた服を脱いで、これに着替えなさい。そして早く、馬を探すのだ」

すでにぶかぶかの敵軍服に着替えた少女は、同じ一式を息子に渡しながら言った。


つづく

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