第155話 宛城・その少女の性質

「あなたの女体化は、いつから?」

話を聞き終わると、すう氏は少女の境遇に驚いた。


「姿が変っても受け入れられたのね。あなたはとても幸運な人だわ」

「そうだね。皆に感謝を忘れた事はないよ。今、君に出会えたのも、皆のおかげだ」


「じゃあ私もその人たちに感謝するわ。

私はここから離れられないから、あなたがこの城に来なきゃ、いつまでも出会う事はなかったでしょうから」


「離れられない?君は、この部屋に閉じ込められているのか?」


「さあ、どうかしら。私はあなたと違って弱い女だから、ここにいるのが幸せなのかも。でもこの暮らしも永遠に続けられるわけじゃない。いつかは出ないと……」


鄒氏の瞳に哀しい光が差し、そして唇は重く閉ざされた。

訪れた沈黙の中、人工の小川の水音が心地よく響き続ける。

帳に囲まれた広い寝台は二人の体温で暖まり、目を閉じればそのまま、すべてを忘れるような深い眠りにつける気がした。


「ああ、そうだ。あなたは今まで、何回、死んできたの?」


その話題転換は、あまりに唐突にして、奇天烈だった。


少女は考えるように視線を傾けていたが、徐々に表情がなくなり、やがて真っ蒼になり低く沈んだ声で問い返した。


「それは比喩?それとも、まさか、この身体は……」


「あら。あなた、死んだこと、まだ、なかったのね」

鄒氏は噛みしめるように言った。


「死んだ事がなくても、なぜ少女のままなのか、妙だとは思わなったのかしら?

話を聞けば、もう十年以上はその姿なのでしょう。

それとも、自分が異質だと、考えないようにしていたのかしら?」


「この娘の容姿などどうでもいいし、見た目が若いだけだと思っていたのだ」


「あら、せっかく可愛いのに、それを無駄使いしてきたってこと?勿体ない事よ」


……まるで本物の女子みたいな返答だな。

「……つまり私は、不老だと?」


「たぶん、そう。そして私はその上に、死なないのよ……」

少女は思わず前のめりになり、相手に迫った。


「君は、不老不死なのか?!仙女かっ?

あの始皇帝が求め、そして得る事ができなかった奇蹟を得たというのかっ!?」


鄒氏はただ、困った笑顔を浮かべた。


「今の所は、不老不死、かもしれないわ。でも、仙人ではないの、たぶん。

だって私は妖術も使えない、空も飛べない、ただの弱い女ですから。


でも人は、そう思うのよね、神仙の者だと。


だけど私は、これは特異体質、性質の変化、あるいは珍しい病気だと思っているわ」


「もしかして、体質や病として、なにかわかったのかっ?」


「ふふ、まさか。私に、そんな知識と行動力と金と心の余裕が、あるわけないわ。

一人で長く生きて、期待を砕かれ続けた結果、ただの体質や症状だと考えるようになって、気持ちが楽になったというだけ、ね……」


「……すまない。君の事を何も考えていない事を言ってしまったね……」

「大丈夫よ。答えや治療方法を求める気持ちは、私もすごくわかるもの」

二人は慰め合うように微笑みあった。


「あっ、そうだ。思い出したよ。

私たちに似た人間が、この世界にもう一人いる」

急な閃きに少女は顔を上げた。


漢中郡かんちゅうぐんで流行っている新興宗教、五斗米道ごとべいどうの教祖の母親さ。

彼女はいつまでも娘の姿をしていると、聞いた事がある。妖術も使えるらしい」


「まあっ。私、その人に会いたいわっ」


「えっ。むむ、でも、私は仕事が忙しいし、今すぐには難しいかな。

それに君だって、ここから出たくないんだろ」

……まいったな。漢中郡は山奥というより、とんでもない山岳地帯なんだ。

旅行気分で行けるところではないのだが。


「その人に会いたいという目的ができたから、私はここを出たくなりましたっ。

それにその人に、早く会った方がいいわっ」

興奮を通り越し、なぜか表情を険しくして鄒氏は言う。


「なぜ?」


「すでにその人は、年齢よりも若い、という話が広まっているのでしょう。

それはいつしか、あやかしなのでは?という噂になっていくのよ。

そうなったら早く逃げないと、皆がこの能力を奪おうと……いや、やめてっ!」


話すうちに過去の強烈な記憶が溢れて混濁したのか、最後は悲鳴にも似た声で叫んだ。


「わ、わかった。もう話さなくていい」


「だっだめっ、もしかしたら、あなたもいつか、捕まる時が来るかもしれないっ。

でも私は、ばらばらにされても逃げる方法を知っているから教えてあげますっ」

いまや鬼気迫り息も乱れ、少女の両腕を掴むと、見開いた目で顔を近づけた。


「私は自分の肉片に魂魄こんぱくを飛ばす事ができます。だから、食われそうになったら、細かい破片の肉に逃げ続ければいい。そして塵箱ごみばこに捨てられたら、肉のまま走り出して逃げればいいのよっ。わかった?!」


……わからないような、わからないような……。

そう思いつつも、少女は素直に頷いた。

「わかった、教えてくれてありがとう。憶えておきます」


その返事に、鄒氏はやっと安心したようにホッと息をつくと、身を離した。

その様子を見ながら少女は物憂げな瞳になり、独り言のようにつぶやく。


「そっか。君の魂魄こんぱくは、もしかしたら私の魂魄も、死者が集うという泰山たいざんにも、仙人が住むという崑崙山こんろんさんにも、飛ぶことはないという事なのかな……」


「やめてっ。そんな寂しい、恐ろしい事をハッキリ言わないでくれる!?」

その反応に、少女はきょとんとしたが、ふっと小さく笑った。


「そう。君は不思議な人だね。人間が怖くて嫌いなようで、でもやっぱり、皆と一緒にいたいと思っているのかな。……その健気な君を私は護ってあげたくなったよ」


そう言うと、少女は鄒氏を強く抱きしめた。


「これからはあなたが寂しくないように、恐ろしい目に合わないように、私とともに生きませんか?もしよかったら、この城を出て、私と結婚してください」


「えっ。それは、本当にっ?!」

鄒氏も、少女の身体に腕を回し、現実である事を確かめるようにしがみついた。

「あなたとなら、私はもう、正体を隠す事もなく、そして人間を恐れずに、生きていけるかもしれないっ。そんな安心な暮らしは、この姿になってから初めてだわっ。

そんな幸せ、想像しただけで、逆に死んでしまいそう……」


「ふふっ、可愛い人、君は死なないから、幸せになっても大丈夫さ。

それに私にはすでに奥さんが何人もいるし、彼女たちとのんびり過ごせばいいよ」


「嬉しいっ。じゃあ、誓いの口づけをしてくださる?」

「もちろんいいよ」


二人は目を閉じて顔を近づけた。

すると互いの脳裏に、見知らぬおじさんの唇が接近してくる映像が浮かび「ワッ!」と二人は反射的に叫んで部屋の小川に走ると四つん這いになって嘔吐した。


せわしい時には、なぜか用事が重なってくるものである。

まるで夢は終わりだというように、鉄扉がけたたましく叩かれた。

フラフラしながら開けると、一人の男が立っている。


「真夜中のお取込み中、大変失礼いたします。張繍ちょうしゅうの使者でございます……」


つづく

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