第150話 兗州・李典くん その一

「呂布の将に、父上が殺された。彼らを信用して話し合いをしていた時に……」


突然の言葉に、李典りてんあざなは曼成まんせいは竹簡から視線を上げた。

窓越しに、幼馴染の李整りせいがこちらを見降ろしている。

李典は静かに離れ屋を出ると、どこか目の焦点の合わぬ友人のそばに立った。

「それは、とてもつらいね。だけど、軍事機密を話すのはよくないよ……」


李整は大きく目を見開くと、真正面から友人を見た。

李典は逃げるように、思わず視線を反らす。

……つい、思ったままに言ってしまった。

私は居候の身なのだから、もっと考えて発言しないと……。


「ありがとう、君らしい慰めだね。そしてまったく、君の言う通りさ」


その声色に怒りはなく、李典はひそかに胸をなでおろした。

だが同時に、傷心の友人に気遣わせただけなのかもしれない、とも思い、やはり顔を上げる勇気が出なかった。その間にも、友人は話を続ける。


「でも今はもう少し、聞かぬふりをして聞いてほしいんだ。

父は勇敢な人だったから、戦場で亡くなると思っていたよ。

父も、仕事で死ぬ時はそれを望んでいたと思う。それなのに、こんな……」


相手の顔をそっと見ると、瞳に涙が揺れている。

李典は、彼が悲しむ気持ちはわかる気がしたが、反面、その死因へのこだわりは、よくわからない気もした。

……戦う事だけが、勇敢だと云うのだろうか?


また、相手に寄り添う言葉ではないかもしれないと思いつつ、しかし、李典は取り繕った事を言う気にもなれず、ただ悼む気持ちを伝える事にした。


「私は、君の父上である李乾りかん殿は、まさしく勇敢で、それに相応しいお見事な最期だったと思うけどね……。


李乾叔父様は、戦いではなく、敵と話し合って争いを止めようとしたんだ。

それは人を信じるという強い心がないとできない事だ。

私は意気地のない人間だから、敵対している相手と話し合うなんて、想像しただけで足が震えてしまうよ。


人を、敵味方関係なく信じる事ができた君の父上を私は尊敬する。

私はこれからもずっと李乾叔父様を誇らしく思うよ」


短く礼を言うと、李整は声を上げて泣いた。

やっとつらい冬を乗り越えた先、花々が穏やかに咲いている春の日の出来事だった。


李乾の葬儀が終わったあと、李整は喪に服す事なく武官となった。

そして父親の軍隊をそのまま引き継いだという。

それを聞いた時、李典は驚きを通り越して、仰天した。


……十五歳の戦争初心者に、一軍隊を率いさせるなんて無謀ではないのか。

曹操軍は人手不足と聞いた事があるが、いくらなんでも。


憤りさえ感じた李典だったが、ふと、気が付く。


……いや、まてよ。

李乾殿の軍隊を、息子以外が率いる方が、兵士たちには納得できないか。

どんな将軍が仕切ろうとも、そのうち李整殿を慕って離れていくだろう。

それに、元主人の息子と敵討ちを成し遂げれば、きっと大きな歓喜に湧くはず……。


抱えていた竹簡が一巻滑り落ち、その音で李典は現実に戻った。

そして繰り返す日々の通りに机の前に正座したが、つい、李整の事が気になった。


気が付けば、すでに新緑の季節となっていた。

待ちわびた足音に気づいて、李典は裸足で離れ屋を飛び出した。

「無事で良かったよ!」

死地から還ってきた友人の手を握ると、相手も笑顔で強く手を握り返してくれた。


ここだけの話だけど、と前置きをして、敵討ちができたんだと李整は教えてくれた。


李典は驚いてから「父の敵とは同じ天を戴かず(父親を殺されたら、その犯人と同じ空の下で生きていてはいけない。不俱戴天ふぐたいてんという四文字熟語の元になった文)を見事に成し遂げたんだね」と儒教の経典を諳んじて、賞賛した。


詳しい話を希望すると、李整は、本当に秘密なんだけど、と言いながら、さらに教えてくれた。


つづく

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