第148話 定陶・呉資の謀略解説・呂布将軍ってもしかして?

雪原の果てに、馬群の影が揺れていた。

「幻か?」と、定陶城主ていとうじょうしゅ兼、済陰郡太守さいいんぐんたいしゅ呉資ごしは必死に目を凝らす。

やがて軍旗に「呂兗州牧りょえんしゅうぼく」という文字を確認したとたん、彼は諸手を挙げて喜んだ。


「なんと早い到着だっ!

呂布りょふ将軍の愛馬、赤兎馬せきとばが一日千里を駆けるという話は本当だったっ」


物見楼閣から飛び出すと、寒風の吹きすさぶ城壁の上で、自ら済陰郡太守の旗を振った。待ちわびた援軍へ歓迎の合図を送っているのである。

とはいえ将軍旗は重量があり、一人で持っていられるものではない。

あわてて護衛兵たちも一緒に支えた。


「そ、そんなに嬉しいのですか?」

はしゃぐような主人に、護衛兵たちは戸惑っていた。


……確かに援軍は嬉しい。だが、この南城には被害がなかったのだ。

援軍が来ても来なくても、それが勝っても負けても、我らに関係ないのでは?


呉資は鋭く言った。

「我らはすでに、曹操の謀略に落ちている。

その罠から脱するには、ここでヤツを負かすしかないのだ」

護衛兵たちは意味がわからずキョトンと相手を見つめ続けた。


「考えてみろ。

定陶の四城のうち三城は、食料と武器を抜かれ、城門も破壊されるのだ。

食料もなく、山賊や強盗が入り放題になれば、住民は大挙して逃げだすだろう。

その逃げ先は、どこだ?」


護衛兵たちはハッとした。

「ま、まさか、この南城に難民が押し寄せると?」


「同じ定陶城なんだ。まずは頼ってくるだろう。

だが我らに彼らを救う余裕はない。


三城の難民に食料を渡せば、この城の備蓄は数日で空っぽになってしまう。

情に流されれば、この南城の住民まで飢え、共倒れになる。


それに、この要塞都市の食料は、住民だけのものではない。

味方の軍隊を援護するための備蓄でもあるのだ。

肝心な時に、呂布軍に渡す食料がなければ、わしらのせいで軍隊を敗北させてしまう。安易に食料を配る事は、戦略的にも危険な行為なのだ。


よって、難民は救えない。籠城し、見て見ぬふりをするしかない」


護衛兵たちは顔を歪めてうめいた。

「そ、そんな。それではまるで、同士討ちではないですか……」


「そうだ。我々は自滅の一歩手前だ。

兵法の最高の策は、戦わずして勝つだが、南城はその罠にかかる寸前というわけだ。


曹操は、四城のうち三城を最低限の労力で制圧した。

そして唯一残った、いや、残した南城は、定陶の住民によって落とすつもりなのだ。


忌々しい戦力の節約術だ。きっと奴は、兵士の手持ちが少なかったのだろう。

いかにも曹操軍らしい、陰湿で、隠し切れない性格の悪さが出ている作戦だ。


一体、誰が考えたのだろう。曹操本人か?軍師どもか?荀彧か?

悪巧みが得意な連中ばかりで、憎む相手さえわからないのもムカつくわ」


曹操と程昱と戯志才の三人は、同時にそれぞれ離れた場所でくしゃみをした。

作戦は基本的に、数名の案を組み合わせて練るものである。


「だが、この謀略から抜け出す突破口はある」


すっかり意気消沈していた護衛兵たちは、主人を見上げた。


「呂布将軍に曹操を討伐してもらい、食料を取り戻してもらえばいいのだ。

そして破壊された三城の城門も修理完了まで、定陶の警備を頼む。


彼らが曹操に負ける事はない。

実際今まで、呂布軍は曹操軍に勝ち続けているっ。今回も、必ず勝つはずだっ」


護衛兵達は歓声をあげた。

……呂布はかつて、董卓とうたくを殺し漢王室の危機を取り除き英雄えいゆうとなったが、今日は定陶を救い、我らの救世主となるのだ。


「絶対、呂布将軍に勝ってもらわねばっ」

「もちろんだ。そのためには、一旦、この南城内で休んでいただく。

駆けつけてきてすぐに戦うなど、愚の骨頂だからな。

だから、わしはこの大旗を振って、入城しろと合図を送っておるのだ」


「しかしその間に、曹操達は逃げてしまうのではありませんか?」

その問いに、呉資は笑った。


「それこそ、こちらの勝ちが確定するぞ。


追撃は我々の軍が受け持ち、曹操の退却の邪魔をすればいい。

やがて体力の回復した呂布軍と合流し、挟み撃ちにするのだ。

上手くいけば、曹操軍を壊滅できるかもしれないぞ。

私は呂将軍に、この作戦を献策するつもりだ」


「さすがは呉太守っ。戦略に通じている方が城主で良かったっ」

兵士たちは尊敬の眼差しで主人を見つめ、胸を熱くした。


……もうすぐ、知の呉資と武の呂布が組んで反撃が始まるのである…!


雑談している間に、呂布軍が城門に迫っていた。


黒光りする鎧に煌めく槍を背負い、赤い毛並みも艶やかな大馬に乗った人物は、まるで天から武神が降臨したように見えた。

その後ろには五百ほどの騎馬隊が彼を追い、まるで地を這う龍の影のように忠実についてくる。


開門の号令と共に、呉資は声の限り叫んだ。

「呂将軍!!お待ちしておりましたー!!」


最強の援軍到着である。周囲の兵士たちも歓声を上げた。

そして開いた城門を、呂布軍は素通りした。


呉資は城門をあわてて閉じさせ、走り去る援軍を呆然と見つめた。

呂布軍は、昨晩から無意味に待機し続けている、いかにもあやしい曹操軍の小隊へ向かっていく。


「だからあれはオトリだって!あからさまに無防備とかありえないだろうがよっ。

それとも呂布殿にはなにか作戦があるのかっ!?

それとも……呂布殿って、もしかして、もしかして……」


喜色一転、ついでに季節も逆転したように脂汗をかき始めた呉資の脳裏にふと、陳宮ちんきゅうから曹操を裏切る際に交わした会話がよみがえった。


陳宮は呂布の武芸を誉めちぎり「その圧倒的な力があれば天下を必ず再び平穏に導くことができるだろう」と断言した。

「しかし、一つ気がかりがあるのです」

酒が進んだせいか陳宮は苦笑いを浮かべて、打ち明け話をしてくれた。


「呂布将軍は、すこし短絡的な所があります。

彼は文官である主簿を担当した事もあり、学識もあるのですが……。

まあ学問ができるのと、思慮深いのは、また違いますからな。ダハハ」


痛恨の一撃でも与えられたように、呉資はうめいた。

……聞いた時は「なんのこっちゃ?」と思ったが、こういう事か……。


落ちた視線を無理やり上げて、城下の戦場を恐る恐る見た。

オトリの軍に動きはない。彼らを助ける奇襲の気配もない。

もしかすると、呂布将軍の登場に身が竦み、作戦を実行できないのかもしれない。


「規格外なんだっ、呂布様はっ」

予想外の光景に城壁の上の呉資は目を輝かせた。


……一度は彼の事を馬、いや、単純だと思ってしまった。

だが歴史的天才武人である呂布は、私のような常人のつまらぬ常識や知識など超えて戦い、このまま曹操軍を食い散らすかもしれない。


やがて一騎が抜けた。赤兎馬を駆る呂布だった。

その後を追うように、彼の精鋭兵もつづく。

呉資は大きく身を乗り出し、叫んだ。

「獲ったっ」


「獲ってない」

軍服姿の程昱ていいくは、戦場近くの大樹の高見から、弓矢の弦を引き絞った。

「次はお前たちが、獲られる番なのだ」


つづく

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