第147話 定陶・待ち人、来る

「予想より早いっ。申し訳ありません、食糧庫から半分も持ち出せていませんっ」

「ふふっ、一番槍が得意な君じゃなければ、もっと少なかっただろうさ。

残りは青州せいしゅう兵への褒美だ。問題ない。

さあ、今すぐ先発隊を逃がさないと危険だ」


「き、危険、とはどういう事ですかっ?」

青年と少女の会話に、門番の男は過敏に反応した。


「今から来るのは私の兵士たちですが、恥ずかしながら制御しきれない時があるのです。そうなると味方からも略奪を行いますので、危険なのです。

とくに今、彼らはとても腹を空かせています。

徐州のようにならなければいいのですが……」


「じょっ……」

曹操そうそう軍の徐州じょしゅう虐殺の惨劇は、今でも生々しい恐怖として語られていた。

父親の敵討ちとはいえ冷酷な所業に、人々は遠く離れた徐州の民を哀れんだ。

……その非道が、ここで行われる可能性があるというのか。そんなまさか……。


「半年前まで、この定陶ていとうは私の大事な城でした」

護衛から火をもらい、小さな灯りを点けながら少女は静かに話し出す。

「そこを、四城のうち一城だけとはいえ最も狂暴な兵士で襲うなど、少し前まで考えもしなかった事です。今、あなたが戸惑うのも無理ありません。

突如、戦争という狂気に巻き込んでしまい申し訳なく思います。


さて、私たちと離れないように。離れれば命の保証はできませんよ」

最後の一言はやけ鋭く、門番の意識は無理やり現実に引き戻された。


「撤収だっ急げっ!欲張らずに早く脱出するんだっ」

楽進と雑兵たちが、立ち並ぶ食料庫の中へ声をかけながら走っている。

行き交う松明の中、荷台と荷物を抱えた兵卒たちが混雑を起こしながら城門へ向かい去っていく。

騒然とした中、いつの間にか少女のそばに巨大な斧を持つ大男と彼の部隊がいる事に気づき、門番は無言ですくみあがった。


「青州兵と間もなく接触します。約五百名、死傷者ほぼ無し」


伝令の報告と同時に、最後まで残っていた少女らは城壁の階段へ向かって走り出した。すでに夜より黒い影人たちが、そこらの門や角の奥から侵入してきている。

やがて、ざあっと驟雨のような音が聞こえ黒い塊がなだれ込んできた。


「ひいっ」っと、巨大な暗黒に圧し潰されると思った門番は思わず悲鳴を上げた。

だがその怒涛は、灯りを持ち自分を照らす少女とその仲間を避けるように変形して過ぎ去っていく。

よく見れば黒い軍服を着た、異様に素早い兵士たちだった。

その手に持つ得物には血肉がこびりつき、魚腹のようにぬらぬらと光っている。


門番は走った。皆とはぐれぬように城壁の階段も共に駆け上がる。

ふと気になり、下を見た。


食糧庫一帯では、幾筋の墨汁が流れ込むように各棟へ兵士が浸食している。

食物はその場で貪り食い、さらに焚火を作り鍋で調理を始める者までいた。

その奇行に、門番は驚いた。

そしてすぐに滑稽やら浅ましいやらと視線を外し、また階段を昇っていく。


やがて息を切らして最上階に到達すると、女牆じょしょう(ひめがき)の下に広がる光景が目に入り、再度、小さな悲鳴を上げた。

星明かりの下の中庭には、城の常備兵たちの骸が無惨に敷き詰められていた。


門番は目を見開き、思わず少女を見た。

少女はその視線を真正面から受け止め、口を開いた。


「私たちが残忍なのは、わかっています。

しかし私たちは、また同じことをするために、ここに来ます。

ここは要所ですので、必ず落城させなければなりません。


今回、取り戻した食料のおかげで、次回連れてくる青洲兵は増えるでしょう。

そして次回、また彼らが大人しく私についてきてくれるかは、わかりません」


門番はただ、息を呑むしかできなかった。


「私たちが恐ろしく、間違っていると思うなら、あなたは私たちの所へ来ずともよいのですよ。

災難の原因である私が言うのもおかしいですが、ただ私は、あなたが無事に生き延びる事を願っております」



空に薄絹のような淡い光が差し始め、急襲の一夜は明けた。

要塞都市定陶は、四城中三城の食料、武器を奪われ尽くされていた。

制圧とまではいかないが、機能停止状態にされたのだ。


急襲の前、定陶は古代からの重要拠点であり目標として大きすぎる、という意見もあった。

だからといって、攻略をあとにすれば、その防備はまさに鉄壁となるだけである。

この状態で他の城を攻めても、定陶が健在のままでは、食料、武器、兵士が湧き出し、敵である呂布軍を援護し続ける。


……まず定陶を攻略、あるいは機能停止させなくては、必ず大きな脅威となる。

そして攻める時機は、味方さえも目標にするとは思っていなかった、今しかない。


いつしか皆の意見は揃っていた。

そして、動かせる兵も少ない中での急襲作戦は、見事に当たったのだ。


城内、城外の各陣地では、休養や食事を摂る曹操軍の兵士たちがだらしなく過ごしていた。

……なぜに、彼らはとっとと自分の城へ戻らないのだろうか?

そう苦々しく思いながら、武器や鎧を奪われ武装できない定陶軍の兵たちは息をひそめて、安全地帯である住民区からその様子を見張っていた。

……もしや、なにかを待っているのだろうか?


やがて同時に、曹操軍と定陶軍はそれぞれの伝令から報告を受けた。

「呂布軍が来る」と。


つづく

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