第134話 兗州・真夜中、四人だけの軍議(長)・呂布戦一回目(短)

目が覚めたのは、翌日の真夜中だった。

急襲や異変も無く、深く眠れたのは幸いだった。

だがこの敵の無策ぶりが、逆に大きく気にかかり始めている。


……皆が疲労困憊の時を狙わないとは。

陳宮ちんきゅう殿ははかりごとが好きだと思っていたが、一体、どうしたのだろう?

まさか裏切ってすぐに正々堂々路線に転向でもないだろうに……。


軍服のまま眠ったので着替えと髪を整え、灯りを持って部屋を出ると、足元で典韋てんいが顔を上げた。

こんな時でも護衛を全うするために、戸のよこで座って浅く眠っていたらしい。

仕事とはいえ気の毒になり、自室へ戻って眠るように言ったが、さっぱり聞かない。

最後は命令して無理やり休ませた。


涼し気な月光が差し込む廊下を進み、誰もいない食事処へと入る。

さらにそこも通り抜け、調理場の釜の前に立つと、灯りの火を移した。


配給の雑穀を煮込みながら、炎に浮かぶ小鍋を見つめている。

考えなければいけない事が山ほどあるが、今はただ、ぼんやりと粥の出来を気にしている。

……なんと素朴で、贅沢な時間なのだろう。罪深い自分には……。


「失礼、いたします」と背後で遠慮がちな声がして、思考が途切れた。

振り返ると、寝間着に上着を羽織っただけの荀彧じゅんいくが佇んでいる。


聞けば、廊下で典韋とやり取りしている声で気づいたらしい。

小声で話しているつもりだったが、不穏な状況下では、物音に敏感になるのは当たり前だった。眠りを妨げて悪かったと、謝る。


「いえ、気にしないでください。

それにしても、本当に今日、目覚められるとは思いませんでした。

まだ、お疲れでしょう?」


「たしかにまだ、スッキリはしていない。

昨日は横になった瞬間、気絶したように眠ってしまったよ。微睡の一瞬、三日は寝込むのでは、と思ったものさ。

だけど今、私たちは酷い環境にいるからね。

疲れているとはいえ、状況も気になって目が覚めたのだと思う」


「なるほど。それで、明日会おうという約束が、果たされたわけですね。

状況、ですか。不思議な事に何も変わりません。


相変わらず、呂布りょふ陳宮ちんきゅう濮陽ぼくように一緒に籠っています。

陳宮は一時、積極的に攻勢に出ておりましたが、程昱ていいく殿に防がれから、すっかり息をひそめているのです。


もしや、この鄄城けんじょうに我々を集合させてから一網打尽にする計画かと思いましたが、そうでもなかったようです。どうも彼らは、わかりにくい……」


「単純に、詰めが甘いのだろうか」

蓋の隙間から噴き出る蒸気を見ながら、火加減を調節しつつ答える。

その姿だけ見ていると、幼い見習い女官のようでもある。


「そもそも、我らが帰還する時に、待ち伏せをしなかったのも奇妙な話だった。

街道も遮断せず、要害も利用せず、一切の迎撃行動をしなかった。

もしも攻撃をされていたら、私たちはあっさりと殺されていたと思うのだが……。


何もしないという、彼らの行動の意味が、私にはわからない。

奴らは無能なのかなとさえ思うくらいだ」


そして目を鋭く細めた。


「もしや、兗州えんしゅうの九割を制圧して、すでに勝った気でいるのかな。

勝ったというのは、完全制圧してから言う言葉なのだがね。

一割を残したまま油断しているとどうなるか、いずれ呂布殿と陳宮殿に、よーくわからせてやるわ」


「おふたりでこっそりと、一体何を話しているのですか?」


その声に、少女はぎくりとして振り返った。

「げ。元譲げんじょう殿、よくここがわかったね……」


「胸騒ぎがして、あなたの部屋を訪ねたら誰もいなくて驚きました。

一部屋ずつ探して、ここまできたのです」


「……へえ。荀彧殿とは、濮陽城にいる呂布と陳宮の話をしていたのだ。

君はあの城の主なのだし、内部には詳しいだろう?

よかったら明日、城の攻略を教えておくれよ」


不穏めいた会話を回避しようと少女はありふれた質問をしつつ、釜の炎に灰をかぶせて消した。

とたん調理場は月明りと小さな灯り三つだけの、深い影の世界になる。


「濮陽城の東門には罠があるけど、実は脱出方法があるんだ」


さらりと言い出したので、二人は驚いてほとんど影となった相手を見つめた。


「もしも罠にかかったら、壁の一部を壊して木製の門から逃げればいい。

城内に入る事になるけど、でも脱出方法は、それしかないんだ。


……まあ、呂布たちが改修工事をしていたら、そこで終わりだけどね。


城の内部は忘れないうちに、すでに韓浩かんこう殿たちと、地図は作ったよ。

その他の城内の罠や近道も書いてある」


さきほどの奇怪な様子から一転、あまりの現実的な気の利きように、二人の心は仰天したり感心したり翻弄されて、思わずどもった。


「さ、さすが、やっぱり元譲殿だね」

「ほ、本当に、素晴らしい対応です」


「へえっ、面白い話をしていますね」

完全な暗闇から声がして、三人はどきりとして振り返った。

……なんか、増えてきたな……。

少女は粥を立ち食いしながら見ていると、ゆっくりと薄明りの中に入ってきたのは曹仁そうじんだった。


彼が灯りを持っていないのは、夜目の感度が高いのもあるだろうが、屋内の配置をよく観察し、把握しているからなのだろう。戦場での癖が出ているらしい。


「すみません。つい盗み聞きをしてしまって。

元譲殿に起こされたついでに、気になってしまい、あとをつけてしまったのです」

細身だが屈強な肩を竦めた。


「それで、さっきの話ですが。

城の攻略地図があるのでしたら、濮陽は皆さまだけで大丈夫ではありませんか?

私は別働隊で、違う場所を攻めてみようと思ったのですが、どうでしょう?」


突然の話に、少女も含め皆、無言で彼を見つめた。


「おや?私がいないと不安ですかね?」

「いいや、別にぃ」

少女は粥を頬張りながら、ジトっとした目で強気に答えた。


「ありがとうございます。ならば後日、正式な軍議で表明してくださいませ。

ふふっ、楽しくなってきましたねっ」


かくして三日後。

敵の本拠点となってしまった濮陽城を落とすため、第一陣は出撃した。

曹仁は別働隊として、句陽こうようへと向かった。



「呂布が、こちらへ向かってきております」

濮陽と鄄城の中間あたりで受けた報告に、戯志才ぎしさいと少女はキョトンと見合った。

「おや。ずっと動かないから、てっきり籠城するつもりだと思っていたのですが」

「ふふ、おびき出す手間が省けたわ。返り討ちにしてやるのじゃ」


そして待ち伏せの陣を退いたが、呂布軍の進撃は止まる事なく迫ってくる。

弩弓で迎撃したとたん、彼らは綺麗に三方に分かれ……指示も合図も無かったように見えたのだが……陣中を一気に浸食してきた。


ど真ん中を進むのは言うまでもなく呂布の本隊だった。

目の前の幾万の兵士などいないように撥ね飛ばし、あるいは大きな戟で切裂いて、あっさりと曹操の本陣ぎりぎりにまで迫ってきたので少女と戯志才と副将の夏侯惇元譲かこうとんげんじょうとアワアワと見苦しく慌てた。

だが、呂布はなぜか本陣を素通りし、どこかへ向かって行く。


唖然も安堵もしている間も無く、夏侯惇が指をさした。

「も、もしかして、青洲兵せいしゅうへいを狙っているのではっ?」


荒れる兵士の波を裂いて進む呂布の行き先を視線で追って、ハッとする。

……陳宮から、青州兵をまず狙えと言われたのかもしれないっ。

まさか、奥の手をいきなり封じられるとは思わなかったっ!


撤退の合図を出したと同時に、青州兵の陣に濃い血煙が上がり始めた。

おもわず少女は頭を抱えて叫んだ。

「おいおいおいっ!?おーいっ!!」


つづく

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