第131話 兗州・兗州奪還の第一歩~程昱の場合・范にて~
今日にも、反乱に加担しなかった二城、
さらに幸運な事に、この二城は
軽装の旅服で駿馬を飛ばすと、半刻もかからず范に到着できた。
襲撃の目標となっているとは露知らず、住人たちは穏やかに、変わらぬ日常を過ごしている。
大通りを抜けて城門に着くと、早速、范の責任者である
……県令がここまで重要人物になるとは思わなかったな。
地方の役人や豪族との付き合いは、陳宮一人にまかせっきりだった。
これからは私たちも、日頃から彼らに気遣うべきだ……。
そんな事を思いながら応接の一室で待っていると、靳允が緊張の面持ちで現れた。
程昱は丁寧に拱手すると、相手も深い礼を返した。
よく見ると、靳允は青い顔色をして、小さく震えている。
程昱が心配して声をかけると、彼は血の気の引いた唇を開いた。
「程昱殿。実は……私の家族が、呂布に囚われてしまったのです……」
うめくような、疲れ果てた声の告白だった。
「私は、どうしたらいいでしょうか……?」
「それは、なんと……」
……酷い話だ。だがもっと酷いのは、もう手の施しようがないという事だ……。
程昱はきっぱりと即断したが、とても即答はできなかった。
……そうか。彼は、寝返らなければ家族の命はない、と脅されていたのか……。
しかし可哀想だが、人質にされた
将軍でさえ、そのような扱いなのだから……。
靳允の瞳には、今にもこぼれそうな涙が揺れている。
その哀しみの光を見つめていると、程昱の心にもじわじわと、どうにかならないものか、という気持ちが広がってくる。
……いや、物理的に無理なのだ。万が一、私事で軍隊を動かせるにしても、鄄城へ依頼して到着するまで時間がかかる。
なにより、肝心の家族の隠し場所がわからないのだ。
氾嶷軍に対抗する態度を見せた瞬間、殺されてしまうだろう。
そして、そんな事をしている間に、東阿も攻められてしまう……。
一つ、小さなため息を知らぬ間についた。
……私は、非情な男だという事だ。
程昱も気落ちし、重々しく口を開いた。
「ご家族の事は、私も、胸が痛みます……。
同時に、あなた大きな勇気と素晴らしい知恵をお持ちの方なのだと、心底、感銘も受けました。
ご家族を人質に取られても、呂布に協力せず、この城を明け渡さなかった。
とても、常人にはできない選択をされたからです」
その瞬間、靳允は答えの真意を悟り、声を上げずに涙をこぼした。
程昱は思わず口を閉じ、反射的に慰めかけたが、すぐに自己嫌悪した。
……私が見捨てろと言ったのだ。その私が慰めるなんて、偽善者が過ぎる。
程昱は、彼のすすり泣きを聞きながら、ふたたび、静かに話しはじめた。
「あなたは、呂布という男を、鋭く見抜かれていたのです。
彼と組めば、たしかに一時期的には家族が救われます。優位にも立てるでしょう。
ですが、その安易な選択は、そのうちあなたの含めた一族全員と、范の住人の破滅に繋がる、そう予測したから、あるいは直感したから、選ばなかったのではありませんか?
今一度、呂布を観察してください。
彼はその場の勢いだけで、考えがない。
そして武勇の評判が高いのに、袁術、袁紹から拒否されてきました。
これは彼の性格に、大きな問題がある事を感じさせます。
彼は
そして陳宮もまた、
呂布にも裏切り癖がありますから、彼らが心底信頼しあえるはずはないのです。
この二人の下で、あなたは正しく、安心して働けると思いますか?
彼らが、世を平穏に導き、民のために仕事をしようとする人物だと思いますか?」
靳允の目に少し力が戻り始め、その様子を見ながら、話を続ける。
「逆に、曹操殿の事を考えてみて下さい。
あの方は、知略と武勇、両方の才能を持ち、法律や政治にも明るい。
この尋常でない能力は、おそらく、天から使わされた人物だからだと、私は思っているのです。
あなたが范を守り抜けば、曹操殿を大いに助ける事となり、将来においても、多くの民を助けた一人となるのです。
どうかよく考えて、ご自分の道と、仕えるべき主君を決めていただきたいのです」
……しまった。つい推しすぎたかもしれん、と思いながら程昱が言い終わると同時に、靳允は顏を上げた。
「私は決して、裏切りなどいたしません」
彼はまだ涙を流していたが、その奥に宿った決意の光は揺らぐ事はなかった。
程昱は感謝を述べて深々と一礼した。その気持ち以外は、封じた。
……靳允殿への恩は、私も一生、忘れてはいけない……。
やがて、呂布軍、
……一歩遅かったら敵に先を越され、立場が逆になっていたかもしれない。
程昱は今さらながら、背筋を寒くした。
靳允はさっそく、この氾嶷をどうすればいいか、程昱に相談をした。
程昱は彼と話し合いながら、急いで作戦を練った。
一つ、靳允が敵の将である氾嶷を呼び出し、隠した兵で彼を刺殺する。
二つ、その間に程昱が騎馬隊を指揮し、范に通じる橋を落とす。
そして城を厳重に守り、今日以降、敵の侵入を防ぐ対策をする……。
その計画通り、靳允は無事に氾嶷を倒した。
そしてすぐに城と街の警備を整え、官吏を使って住民たちへ説明をした。
おかげで混乱することなく人々も兵士に協力し、自分たちの街の防衛に力を入れた。
程昱とお供たちは、借りた騎馬隊と共に、
この処置により、将を失った氾嶷軍はもとより、のちに駆けつけた陳宮軍も范に近づけず、引き返したのであった。
対岸側から橋を落とした程昱たちは、范の騎馬隊に手を振って別れの挨拶をすると、次の目的地である東阿へと急いだ。
つづく
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