第130話 兗州・兗州奪還の第一歩~荀彧の場合~

視線を上げた荀彧じゅんいくは、夏侯かこう将軍の熱い眼差しを受け流すように涼しく微笑んだ。


「ご心配、ありがとうございます。ですが、私は出かけようと思います」

「いや。あなたはこの州の要です。いけませんよ」


はっきりと断言されると、荀彧は笑むのをやめて、真剣な眼差しで皆を見つめ、話し出した。


郭貢かくこうは、謀反の主犯格である張邈ちょうばくたちとは、親しくないはずです。

もしも彼らが親しいなら、連携して軍隊を動かし、双方からこの城を包囲したでしょうからね。


ですから、今の郭貢は、敵でも味方でもなく、中立の立場なのだと思います。

会見をしたいというのは、私たちの様子や、考えを知りたいのでしょう。

とくに、動揺、混乱しているのかを、見たいのです。

混乱しているようなら、連れてきた軍隊で一気に攻め、この鄄城を奪うつもりなのでしょう……」


そしてふと眉をひそめ、まるで独り言のようにつぶやいた。


「……あるいは、彼は誰かから、鄄城けんじょうの様子を見てこいと、頼まれたのかもしれません。

いくら情報収集が優秀だとしても、いろいろと、早過ぎる気もします……」


その含みある言葉に、程昱ていいくは何かに気づいたように目を見開いた。


「郭貢は、袁術えんじゅつ配下の孫堅そんけん孫賁そんほんの後任として、豫州刺史よしゅうししになった男だ。

つまり、彼も袁術の配下なのだろう。


もしや、この郭貢を使って袁術は、鄄城を、曹操そうそう殿の家族を狙っていると……?


いや、情報が早い、という事は、張邈たちが謀反を起こす事を知っていたから、という場合もある。

もしもそうなら袁術は、張邈ちょうばく陳宮ちんきゅう呂布りょふ、いずれの誰かと通じて、この謀反に関わっていた可能性も……」


自分でつぶやいていて、ぞくりと悪寒が走り、口を閉じた。

遥か遠くへ消え去ったと思っていた人物が、まるで亡霊のように、突如、自分たちに目の前に現れたような気がした。


……そうだ、あの男はそもそも、人を操り、自分の陣地を広げてきたのだ。

今回も、まさか……。


「あくまで、郭貢からは袁術の匂いがする、と、少し思っただけですよ。

それに、袁術が絡んでいたなら、最初から郭貢は陳宮たちと組んでいるような気もしますし……。

まあ、彼らの関係がはっきりとわかる事はないでしょう。


自分から話しておいて申し訳ないのですが、この話は、一旦置いておきましょう」


程昱の思索を遮った荀彧は、さらに話しを続ける。


「私の考えをまとめますと。


大軍が来たと動揺したり、恐れたりすれば、その隙を狙って、郭貢は攻めてくるかもしれない。


あるいは、会見を断わったり、彼を疑い、邪見に扱えば、怒って敵となってしまい、陳宮たちと強く結びついてしまうかもしれない。


だから私は、彼と会見しようと思うのです。

そして、こう言うつもりです。


曹操殿はすぐに徐州じょしゅうから戻られます。そして、この反乱を鎮める予定です、とね。


彼は、曹兗州牧そうえんしゅうぼくに袁術がどんなに酷い目にあわされたか、よく知っているはずです。

私たちと敵対すると、大きな災いが及ぶかもしれないと察してくれれば、きっと帰ってくれるでしょう。


たとえ味方になってくれなくても、敵にもならず中立のままでいてくれるなら、それで十分なのです」



はたして一刻半後、豫洲よしゅう軍の数万の大軍が、鄄城のすぐそばまでやってきた。

勇ましい戦旗の数々が、あらゆる部隊が揃っている事を知らせてくれる。

攻城戦の部隊も、当然、連れているのだろう。


住民も役人も、蜂の巣を突いたような大騒ぎをして、皆、住民区画の城壁の上へぎゅうぎゅうと集まった。


騒然とした中を、会見の条件通り、荀彧は騎馬で一人、城門の外へ出た。

郭貢もまた、立派な鎧兜を綺羅つかせ、軍勢を割るように馬で前へ出る。


見物人たちは敵も味方も一斉に黙り込み、二人に注目した。


ゆっくりと二頭の馬は歩を進めて、中間の地点で落ち合った。

そして適切な距離を保ったまま、馬上での話し合いが始まった。


荀彧は、多くの者を魅了できる微笑を浮かべ、それに釣られているのか、郭貢も穏やかな表情を崩さない。

彼らを見守る周囲の方が、緊張感で息切れしている始末だった。


やがて、お互い拱手し頭を下げると、離れ始める。……とても短い会見だった。


荀彧が無事に戻ると同時に、門は堅く閉じられた。

まだ顏が強ばった夏侯惇かこうとん程昱ていいくたちが駆け寄ると、荀彧は思わず笑い、逆に彼らを労った。


そうしている間に、城壁の上で歓声が沸き上がり始めた。見張りも興奮し、壁の下に集まった住民たちにも伝えるように大声で報告をした。


「郭貢の軍隊がっ!引き返して行きますよっ!」


その声に、兵士や街の人々も、一斉に歓呼の声を上げた。


荀彧らも城壁へ急いで登ると、静かに撤退していく郭貢軍の後ろ姿を見た。

「本当に、数万の軍隊をたった一人で追い返すとは……!

まるで夢を見ているような光景です。

荀彧殿は、私よりよほど度胸があるのですね。私もあなたを見習いますよっ」


夏侯惇が子供のように憧憬の眼差しで褒めるので、荀彧は珍しく頬を染めながら、彼も素直な気持ちでお礼を伝えた。


その様子を微笑ましく見ていた程昱だったが、ふと改まり、拱手して彼らに向き合った。


「この鄄城は、お二人がいれば安全ですね。

今度は私が、ひと働きしてきます。東阿とうあはんの二城を、必ず確保してきます」

そして覚悟を決めたように一礼をした。


つづく

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