第128話 兗州・呂布との遭遇 その二

まるで疾風が姿を得たように二頭の馬が草原を走る。

迫る殺気に圧されながら、夏侯将軍はひたすらに駆けた。


……最初は驚いたが、私だけを狙ってくれたのはありがたい事だった。

私の馬は速いし、持久力があるからね。

なんたって曹洪そうこう殿からもらった、絶影ぜつえいの血筋の馬だもんで……。


それに狂ったように逃げ惑っている時に気づいたのだ。

背後の大きな馬は、直線で勢いがつくと小回りが利かなくなる事に。


馬の蹄と思えない重量感のある低音の轟音が迫るたび、急旋回を繰り返す。

その急な方向転換のたびに、相手は曲がり切れず、無駄な距離を走り過ぎる。

やがて、二人の距離は明らかに離れ始めた。


……おお。馬の体力も温存しておいて良かった。

しかも自分は軽装、相手は鎧と武器の完全装備で相当重い。この差も大きいはず。


ふと地鳴りが聞こえ、そちらを振り向くと敵ではなく、韓浩かんこう軍から先駆けの騎馬隊が駆けつけているのが見えた。

とたん、背後の殺気は去って行った。


夏侯将軍は馬の足を止める事なく彼らの中に逃げ込んだ。

馬の首をさすって労をねぎらうと、やっと、安堵の大きな一息を吐いた。


「よくぞご無事で!死んでなくてよかった!

ご自分がおとりになるなんて、無茶しないでくださいよっ」


騎馬隊の一人である副将の韓浩が近寄ると、馬上で涙ぐみながら拱手した。


「心配かけてすまなかったね。

今回は運が良かった。鎧だったらあんなに速く長くは逃げ回れなかっただろうからね」

夏侯惇も拱手を返してから、相手の腕をぽんと叩いた。


呂布りょふ軍も食料に相当苦労しているようだ」

夏侯惇は、韓浩と自分の周りに集まった兵士たちに話しはじめた。


「今や敵も味方も、慢性的に食料不足だな。輜重が良いおとりになったよ。

ないとは思うが、もしも再度襲われたら、またそれをばら撒こう。

きっと時間稼ぎになるはずさ」


「わかりました。では一緒に、鄄城けんじょうへ急ぎましょうっ」

残りの韓浩と夏侯惇の合流軍も続々と集まっている。

日頃の訓練の成果か、駆け足の行軍にもあまり疲れが見えない。


……長距離を迅速に移動できる事は、地味だが、軍隊としてかなり重要な要素だ。

それを行える彼らは優秀で、自慢の兵士たちだ……。


その時だった。

「敵の騎馬隊の一部がこちらに向かってきていますっ」

思いがけない斥候の報告に、夏侯将軍と韓浩は息を呑んだ。


「しつこいな。さっさと目的地の濮陽ぼくようへ行けよ。親切に開城してあるんだからさ……」

「応戦しますか?それとも、逃げますかっ?」

韓浩が尋ねる。


「逃げるとしても、濮陽ぼくようには戻らないよ。

我々の目的は一刻でも早く、鄄城けんじょうへ行くことだからね。

だから逃げるとしても、目の前の呂布軍を越えて行かなければならない」


「そ、そうですね……」

韓浩は湧き出す恐れを打ち消すように、何度かうなずいた。


「さっきも言ったけど、相手が攻めてくるなら、輜重をおとりにするんだ。

ただ、食料はできるだけ皆に配って、少しでも多く持って行こう。


万が一、呂布軍と接触しても、できるだけ戦わない。応戦も必要最低限だ。

そして、私たちは、逃げ惑うように四散する。

皆、ばらばらになって、鄄城へ向かうんだ。あとは、自分の武運を信じるしかない」


「わかりました。弓と弩を持ってきたので、一応、装備はしておきますね」


かくして再度の襲撃を受けたが、射撃の先制攻撃を受けると、相手はひるんだ。

そして敵の反応を待たず、四散して逃げ出すと、置かれた輜重が丸見えとなった。

呂布軍の兵士たちは、またもやまっしぐらにそれに群がり始める。


……まるでさっきの繰り返しじゃないか。ま、こっちは楽でいいけど。

さて、今のうちに鄄城へ急ごう。


自分の直属である騎馬隊も瓦解したように見せ、散り散りに駆けだす。


やがて安全圏まで離脱した夏侯将軍は一人、後ろを振り返った。

食料の取り合いをする兵士たちが大半だが、その横を、淡々と通り過ぎて濮陽へ向かう隊もいる。


……そういえば遭遇した時も、攻撃してきた隊と、遠くから見ている隊に分かれていた。

呂布軍は、欲望に正直な組と、理性的な組が、混在しているように見える。


……もしも呂布軍が二手に分かれておらず、全体で攻めてきていたら、軽装の私たちは全滅していただろう。

彼らの一部が、寄り道をして戦うのは無駄な労力だ、という選択したから、私たちは助かったのかもしれない。……なんだか、不思議な軍隊だな……。


そして敵から視線と意識を離し、馬首を返すと鄄城へ急いだ。


つづく

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