第125話 兗州・裏切りの兗州にて~荀彧と程昱~ その二
「それは、
それはほとんど即答だったので、
「たしか彼はいま、慣れぬ軍隊を率いて、
ならばそこから呂布軍を素通りさせるのは簡単な事です。
伝令はもちろん、間者だって、適当な理由を言って止めたのでしょう。
なにより陳宮殿は、兗州内の豪族たちと最も付き合いが深かった。
彼が、呂布軍は味方だと言えば、皆、納得して騒ぎにもならなかったのではないでしょうか。
そして、極めつけは、ふふッ」
程昱は意図せず笑ってしまったらしく、少し顔を赤らめ「失礼」と謝り、話を続けた。
「あなたに速攻で見抜かれた、
曹操殿が、陳宮を戦場に連れて行かない理由が、少しわかった気がしましたね」
荀彧は戸惑いつつ聞いていたが、やがて蒼い顔をして、静かに話しだした。
「も、もしも陳宮殿も反逆の一員なら……彼だって秀才ですよ。
油断してはなりません。
ですが、私がもっとも気がかりなのは、未知である
彼の強さに驚いた袁紹軍の兵士たちは「人中の呂布、馬中の赤兎」と大絶賛したそうです。
それに、呂布軍の馬は大きさや脚力も桁違いなのだとか。
どうやら、異国の馬の血が混じっているらしい。
そして呂布はもちろん、その配下も精鋭揃いと聞きました……。
その彼らと陳宮殿が組んだなら、足りない部分を補い合った、強敵になるのではないでしょうか……。
ですが私は、どんな相手でも謀反の規模がどれほど大きくても、曹兗州牧が帰還するまでは、この城だけでも死守するつもりですよ」
あくまで静かに、しかし最後は決意を込めて言いきった荀彧は、目の前の程昱を見つめ続けた。
じっと黙って聞いていた相手だったが、突然、歯を見せて声なく笑った。
予想外の反応に、そして挑むような冷ややかな笑顔に、ぞくりと緊張が走るのを感じた。茫然と、目の前の五十代長身瘦躯の後輩を見上げてしまう。
東阿にいた頃は、故郷蹂躙の危機に対して自ら作戦を練り、民衆と共と戦い、見事に敵を撃退した勇敢な男だった。
その彼に至近距離で、しかも意味の分からない笑顔で見下げられていると、異様な圧迫と緊張が増してくる。
……実は、程昱も、反逆者の一人なのでは?
ふと、そんな考えがよぎり、一気に身体中から汗がにじんだ。
焦りを感じながらも、自分の腰と、相手も佩いでいる剣の位置を確認する。
……万が一の時は、迷わずここで斬るしかない。もしもこの人が敵になれば、曹操殿にとって絶対に厄介な事になるだろう。相打ちになっても、それで十分だ。
息詰まるような空気の重圧が、程昱の言葉で破られた。
「
程昱は挑む笑顔のまま、低い声で話し始めた。
「自分たちに、相当の自信を持っていらっしゃったのですね。
あなたと私に対して、知恵くらべをしようだなんて。
それに異変を知れば、すぐに曹操殿は引き返してくるでしょう。
私たちだけでなく、天の使いの如く武勇を持つ曹操殿も敵にしようとは、私には、無謀としか思えませんよ」
そう言い終わると、不敵な表情はふっと消えた。
そして、荀彧を真っすぐな目で見つめながら言った。
「すぐに作業を切り替えましょう。
曹兗州牧が帰還するまで、この城の防備を強化し、裏切らなかった城を調べ、そこを護る事に全力を尽くすのです」
荀彧は安堵と喜びのあまり、おもわず大きな息を吐いたが、すぐに姿勢を正すと拱手した。
「よかったっ。程昱殿、あなたが味方である事、心底から有難く思います。
この度は何卒、よろしくお願いいたします」
「それは私の台詞ですよ。
このような事態になるとは驚きましたが、あなたとなら大丈夫でしょう。
こちらこそ、改めてよろしくお願いします」
頷きあうように、二人は一礼を交わした。
顔を上げると、さっそく荀彧は話し出した。
「まずは、この
今すぐに
兗州に残っている軍隊で総員揃っているのは、彼の部隊だけですからね」
程昱は頷いて、筆先の乾いた小筆持ったままの手を顎の近くによせて、考えながら口を開いた。
「敵が最も欲しいのは、曹兗州牧の家族がいるこの城です。
そして、呂布軍は、すぐそばまで迫っている。
夏侯将軍が到着するまで、城壁に鎧を着た役人を並べ、兵士が多くいるように見せかけて牽制しましょう。
万が一攻められても、徐州から曹操が帰還するまでの数日間なら持ちこたえられるでしょう。
そして、
とくに、陳宮殿が関わっているのかどうかを」
不思議な事だが、この時点では、夏侯惇が裏切っていない、という確証はない。
だが二人は疑う事なく、その前提で話を進めていた。
こうして夏侯軍を呼ぶ早馬を出すと同時に、曹操の家族を城の最も安全な場所に避難させ、さらにできるかぎり鄄城の防備を上げる事に勤めた。
そして情報収集のため、間者も増員した。
反乱の情報が遮断されていたのは、張邈たちによって間者狩りが行われていた可能性もある。
その事を伝え、今まで以上に慎重に、用心して行動するように、と強く伝えてから放った。
かくして張邈の使者への尋問と、間者たちが集めた情報により、おおよその反乱の規模を知る事ができた。
だがそのあまりの大きさに、二人は思わず絶句する。
自分たちがいる鄄城を含めた三城、それ以外、百城あまりが寝返っていたのだ。
もはや兗州は、陳宮と呂布と張邈の三人によって落とされている、と言っても過言ではない状態だったのである。
つづく
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