第124話 兗州・裏切りの兗州にて~荀彧と程昱~ その一

時間を少し戻す。


その日、兗州えんしゅう鄄城けんじょうの後方支援作業部屋にて、赤と黒の棒が置かれた当時の計算機、算木さんぎを見下ろしながら、程昱ていいくは何度目かのため息をこぼしていた。


「食料の補充がまるで追いつかないな。また、うちの故郷の東阿とうあに、追加の乾肉を頼んでみるか……」


「程昱殿、いつも、ありがとうございます」

荀彧じゅんいくは筆を止め、仕事仲間の独り言を労うように話しかけた。


「近頃、私たちはあなたの故郷に頼ってばかりですね。

この凶作の中、軍隊に融通していただける食料が残っている事に、驚きと感謝しかありません。おかげで、とても助かっています。

いつかすべてが落ち着いたら、私もその名物の乾肉を食べてみたいものです」


荀彧は激務が続き、少しやつれていた。だがその美しさに陰りはない。

意図せず乱れたおくれ毛でさえ、退廃的な艶に見える。

美しい人をぼうっと眺めていた程昱だったが、最後の言葉に若干あわてた。


「エッ。いやあ、あれは、何の変哲もない食べ物ですよ。

土地柄のせいか、どのような肉でも旨く乾燥するだけなのです。

……今はご時世的に、めずらしい肉も混じって、かさ増しできているみたいですが……」


「へえ?ご時世的な、めずらしい肉、ですか?はて、なんでしょうね?」

今、旬の肉をあれこれと想像していた時であった。

「失礼いたします」と部下が彼らに声をかけた。


張邈ちょうばく殿の使者、劉翊りゅうよく殿が参られました。


呂布りょふ将軍が、陶謙とうけん討伐の援軍として、曹兗州牧そうえんしゅうぼくに協力したいと、願い出て下さったそうです。


呂布軍がもうすぐ、この鄄城に到着いたします。

城の中で、休ませほしいのだそうです。

もしその余裕がなければ、兵糧だけでも分けてほしいと、仰っております。


いかがいたしましょうか」


素直に歓迎の声を上げる者と、怪訝な顔をする者に、部屋は二等分された。

荀彧は、反射的に程昱を見ると、喜でも疑もない、ただ無表情を返してきた。

そこに無言の答えを聞いたような気がして、荀彧も何も言わず立ち上がり、報告をしてくれた部下に優しく微笑みかけた。


「わかりました。まずは張邈殿の使者にお会いしましょう。案内してください」


やがて戻ってきた荀彧は、作業中の程昱に一直線に近寄り、無言で彼の腕を掴んだ。

予想外の行動にぎくりとしたが、素直に相手に引っ張られるまま立ち上がると、資料置き場となっている小部屋へ連れられていく。


荀彧は誰もいない事を確認してから、小声で話し始めた。


「張邈は私たちを裏切りました」


程昱は大きく息を飲んだが、声は上げなかった。


「我々は曹兗州牧そうえんしゅうぼくから、呂布の事など聞かされていません。

曹操は出撃前、呂布を暗に警戒しておりましたから、そのような相手が味方になるならば、必ず、私たちに事前連絡をするはずです。


呂布に協力するように、と。


あるいは、呂布が勝手に援軍として来るにしても、間者が、その動きを事前に察知して報告してくるはずです。しかしそれも、ありませんでした。


……忙しくて気が回らなかったが、間者の動きがないのは、とても不穏ですよ」


一呼吸置いて、またすぐに話し出す。


張邈ちょうばくの使者、劉翊りゅうよくの話を聞いていて、私は、首謀者は、張邈以外にもいる、と思いました。


先ほどの、兵糧を分けてほしいという開城作戦を考えたのは、張邈の発想ではないでしょう。彼にはそんな、ずる賢い策を考える才能がない。

呂布は、頭カラッポのゴリ押し将軍で有名ですし、彼でもないでしょう。


曹操とほぼ全兵力がいない無力化した兗州は、厳戒態勢で州境を守っているのです。

呂布軍はそれを突破した上、伝令や間者の報告もなく、兗州内を自由に動き回っている。

異常な状態ですよ。


誰が一体、こんな事を可能にできるのか……」


つづく

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