第123話 徐州・確信的虐殺説と脱衣~第二回徐州討伐侵攻戦~

※民間人の虐殺描写があります。

無理、と思われましたら、読まない事をおすすめいたします。※



張邈ちょうばく殿が、私を裏切るなどないと、思うのだが……?」


「我らも信じられず、すこし詳しく探りました。

どうやら以前から、張邈殿は、曹兗州牧そうえんしゅうぼく袁紹えんしょう殿と懇意にしている事を気にしていたようです。


今回はとくに、兵士や武器など大きな借りを彼に作りましたゆえ、いずれあなたは袁紹の配下になるだろう、とまで、言っていたそうです。


張邈は袁紹殿に嫌われております。ですから、いずれ袁紹の命令であなたに殺されるのではないかと、そんな突飛な恐れを大きくしていたと聞きました。


彼の弟の張超ちょうちょうは、その、あなたの事を嫌って、いや、避けておりましたから、もしかしたら彼から、吹き込まれていたのかもしれません。


さらに陳宮ちんきゅうがそそのかし、あなたを裏切り、彼らと組む方が身を守れると、信じたようです……」


聞いている時一度「いずれあなたは袁紹の配下になるだろう」という部分で、抗議というより、まるで獣のように吼えるか、噛みつくかのように少女は一瞬大きな口を狂暴に開けたが、すぐに歯を食いしばって激怒を飲み込んだ。


「……まあ、わかったわ」

感情を明らかに抑えた、上擦った声で答える。

「張邈殿は、私にころされると、信じたのだな。

それを信じて裏切ったというのなら……ならば、弟の家族も含めて全員、ころしてやるわ……」


消え入るように言い終わると、突然、鉤爪のように尖らせた両手で顏を覆った。わずかに見える口元は鋭く尖った歯を噛みしめて、溺れているように全身で荒い呼吸を繰り返している。


諸将を始め、皆、主人のただならぬ様子を注視していた。

……ある日突然、父と弟達を殺されて、短期間に復讐の苛烈な侵攻を二度も行った。

果てに恩人と腹心の部下に裏切られ、兗州の牧(知事)という地位、置いてきた家族、そもそも帰る場所さえも、つまり今までの全てを失うかもしれないのだ。


……発狂に繋がっても不思議ではない。


ぴたり、と突然、少女の荒い息遣いが止まった。

そして静かに顔を上げると、まるで憑き物でも落ちたように、いつもの静かな、すんと澄ました表情に戻っていた。

そして不機嫌そうに、少し目を細めると口を開いた。


「誠に、結構じゃ。

私に残されたのは、キミたちと狂暴な青州兵、それに兗州に残してきた夏侯惇かこうとん殿、荀彧じゅんいく殿、程昱ていいく殿の三名というわけだ。


十分だ。陳宮、呂布りょふ、張邈を殺して兗州を奪い返すのに私ならば問題ない戦力だ。


薄汚い空き巣どもめっ。私を敵にした事、心の底から後悔させてやるわっ」


「あははっ」

曹仁そうじんが突然笑ったので、皆、ぎょっとして彼を振り向いた。


「すみません、絶望に慣れているなあと思って、つい……。

あなたのような人は、そう相違ないですよ。

私はあなたに仕えていて、本当に良かったと思いました」


めずらしく満面の笑みを浮かべる曹仁に、キョトンとしていた少女も、ふっと小さな白い歯を見せて不敵な笑顔を返した。



「で、では、これからどうしますか?陶謙とうけんは……?」


まだ、現実から気後れしている戯志才ぎしさいに、少女ははらりと袖なし外套を外し、さらに上着をするする脱ぎながら答えた。


「まずは、服を脱ぐのだよ」

……やっぱり、頭が……?と全員が戸惑う間にも、一人で薄着になり、兵糧や携帯用の筆記用具を入れた袋も、武器以外、すべて地面に放った。


「私たちは今から、出せる限りの速度を出して撤退する。

重りになるものは全部、ここに捨てていくのだ。

陶謙は……放置するしかない。


遅くても明後日には、えーと、呂布兗州牧、か?ふふっ、の兗州へ、侵入したい」


あまりの高速移動の予定に、皆、おもわず唸った。


「そのためには、できるだけ直線距離で、短時間で走破する。

先ほどのように、城も村も町も突き抜けるしかない。

陥落させてきたたん琅邪ろうやを通過して北上する。


途中、拠点で休憩と食事をして、必要なら馬や兵士を交換する。

しかし青州兵は変えが効かない。彼らには相当の無理をさせる事になるだろう」


皆も脱衣しながら聞いていたが、半裸の于禁うきんが抗議した。


「逆に言えば、拠点まで休憩も食事もなしで走る、というわけですか。


我々は我慢できますが、青洲兵はすぐに腹が減る連中ですよ。

その計画では、きっとまた、通りすがりの村の晩御飯等を狙って突撃し、大暴れするでしょう。

これでは曹操軍は住人を殺戮して食料を強奪し、小脇に犬やにわとりを抱えて土産にする、という悪評が広まりますよっ。しかも、半裸で」


「そうですっ。袁紹えんしょう軍まで下劣だと思われかねない事はやめて下さいっ」


上半身裸の于禁の怒りに、ふんどし姿の朱霊しゅれいが乗っかってきたので、少女はやや憎々し気に彼を見た。だが逆に、その冷ややかな目に朱霊はぞくりとした。


「私は必要だと思ったことを、やるだけだ。

それが悪事となるなら、悪評も悪口も嫌悪も当然だと、私自身も思う。


早く帰還しなければ、兗州の防備が固められ、侵入もできなくなるだろう。

兗州で孤立している夏侯惇かこうとん荀彧じゅんいく程昱ていいく、それにお前たちの家族、そして、私たちも今ここで、敵地で孤立しているんだ。


申し訳ないが今の私には、見知らぬ誰かを気遣う心の余裕など、無い」


全員が言葉を失っていたが、朱霊が一人、前のめりになった。


「私はっ!多くの人を観察してきましたが、あなたのような方は初めてですっ。

あなたこそ、真の明君ですっ、あっ、あくまで私の感想ですけどっ。

とにかく、私は袁紹殿から離れ、今から、あなたに仕えると決めましたっ。

あなたに出会えたからには、けっして、離れるつもりはありませんよっ」


「え、ここでそう思うか?」と皆、心の中で戸惑ったが、なんだか、下穿き姿で興奮している朱霊殿につっこみを入れるような、そういう高揚した元気は誰もなく、そもそも時間が勿体ないので、部下になってもらう事にした。



そして曹操軍は兗州へ駆けた。

通過した各地では甚大な被害が続出し、貴重な人命、犬、鶏が根こそぎ奪われた。

その極悪非道ぶりに、とくに直撃された地方、琅邪ろうや、東海の住人たちは怒り心頭で、幼子でさえも、曹操という名を凶悪の象徴として深くその心に刻んだ。



すこし、時間を戻す。

「あれ?曹操が追ってこないな。どうしたんじゃ……?」

たんの城を脱出し、泗水しすい川の橋を破壊した陶謙は、曹操軍を待ち構えていた。

しかし、相手はやってくる気配もない。


陶謙は、前回、自分の軍が受けた攻撃、泗水へ大量の兵士を追い込み落とす、という方法を真似しようと、準備も万端で待ち伏せしていたのである。


……今回は、こちらがお前の兵士を大殺戮してやる。倍返しだ!


そう息巻いて橋を破壊したせいか、向こう岸の情報伝達さえも遅い。

しびれを切らせた陶謙は、伝令の報告をいち早く受けるために、川のそばまで出向く事にした。


しかし、そこで見たのは、数か月前に見た悲劇そのものだった。

もう二度と見たくないと、封じ込めた記憶の繰り返し再生である。


またもや、大きな河川である泗水が堰き止めるほど、遺体が溢れている。

しかも今回は兵士ではなく、罪のない民衆たちだった。


……そりゃ私も自称帝の闕宣けっせんと組んで、か弱い民衆から強盗した事があったさ。

だが、目の前のこれは、その被害とは比べ物にならないほどの無惨じゃ!


あまりの悲惨に意識が遠くなった陶謙は、もんどり打って落馬した。


「おんぎゃあ!」

受け身もなく地面にたたきつけられ、陶謙は悲痛な悲鳴を上げる。

「大丈夫ですかっ?!」

劉備りゅうびが誰よりも早く下馬すると、陶謙を優しく抱き起こした。


「ぜ、前回は兵士だったが、今回は、罪のない民衆が大量殺戮されたっ……!

曹操は、血も涙もない、本物の鬼じゃっ!あいつは人でなしじゃ!

わしゃ鬼に、初めて出会ったっ、わしゃ曹操がっ、恐ろしいっ。

まあでも、さすがにもうこれ以上、殺される事はないと思うがね……!」


後日、曹操軍の通過した地域、とくに直撃を受けた琅邪と東海の惨状を知ると、陶謙は以前よりひどい眩暈を起こし、卒倒した。


それからは「またいつ曹操が、鬼が来るのか?」と気に病むようになり、ついには寝込みがちとなってしまったのである。


その憔悴のせいか、陶謙はいつの間にか自分のそばにいた劉備を頼り、重用した。

陶謙の彼への熱烈は凄まじく、曹操への守備固めのためもあるだろうが、豫州刺史よしゅうししに推薦し、ついには劉備を、一州の主へと昇らせたのである。


つづく


※ おまけ? ※


徐州虐殺については、歴史書でも複数の記述があり、真相は謎です。


最初この物語では、青州兵の暴走によっての虐殺説(偶発説)で書いていましたが、せっかく歴史ファンタジーとして書いているのだからと思い、歴史書の記述を元に二つの説も、後から書き足してみました。


戦いの果て兵士が泗水に大量に溺れた、兵士大量殺傷説。

青州兵が暴走し村を襲った、偶発的虐殺説。

青州兵、あるいは兵士たちが村を襲うのを咎めなかった、確信的虐殺説。


どれが本当の歴史だったのか、あるいは、どれも違うのか?……謎です。

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