第121話 徐州・戦場グルメ・にんげん~第二回徐州討伐侵攻戦~

※食人描写があります。

無理、と思われましたら、読まない事をおすすめいたします。※



彼らは集団で一人の兵士を襲っているが、それは倒すというより齧りついて吹き出した血を浴びるように吸い、あるいは肉を食いちぎって、咀嚼している。

さらに手足をもぐと、それを片手に次の獲物を探し、食べ歩きを始めた。


「ううっ、彼ら、人を食べ慣れてますね……」

戯志才が口を押えてつぶやいた。


今は乱世のど真ん中、朝廷と政治もまともに機能せず、州によっては救済処置を一切施さず、完全に見捨てられた貧しい村、家庭が多く発生していた。

深刻な飢餓の中で、しばし人は人を食って生き延びたのだ。

嘘か本当か、だが美談として、貴人のために自分の嫁を調理してもてなした、という話まで伝えられている。


この異色の人食い兵士たちに、混乱は広がる一方だった。

僵尸キョンシーが現れた」と、妖怪の名前を喚いている者までいる。

たしかにそうも見えなくもない。

迷信、鬼や幽霊、吉兆、凶兆が強く信じられている時代である。

自分たちは兵士であって、妖怪を祓う道士ではないと、負け知らずの屈強な隊長まで怪異を恐れて逃げ出し始めた。あっけなく、見る間にボロボロと陣が崩れていく。


「なんじゃ、このやられ方は……」

少女は珍しく不機嫌を隠さずに呟きながら、前回、奇襲の関羽に動揺することなく陣を保ち、彼を完全包囲した事を思い出す。

……なるほど、意図的か偶然かはわからんが、前回とは違い、見事に陣を破壊したというわけだ。まるで予想外、これはまさに奇策中の奇策だな。


そして新たな騒動が四方八方から起きていた。

崩れた部分を狙って、ふたたび敵の騎馬隊と歩兵が奇襲を始めたのだ。

いとも簡単に、深く侵入されている。

味方が遊撃的に対処しているが、混乱はついに本陣の近くにまで達した。


外からの絶え間ない攻撃、内からは人食い兵隊と乗じて作り出された怪異。

兵士たちの動揺が大きすぎて、反撃にも、乱戦にもならない。


このままでは軍は瓦解し、泣きながら兗州へ敗走するまで秒読み寸前である。


戯志才は献策どころか何も言わず、ただ焦燥して総指揮官を見た。

少女はそれを冷ややかに見つめ返し、言った。


「たしかに、あの僵尸キョンシーみたいな兵士は、面倒だな。

彼岸の兵士なら、私たちの彼岸の兵士によって、彼岸へ還してやろう。


青洲兵を全解放する。三、四の軍、それに一、二の軍も再出撃する。

それ以外は皆、緊急退避して防御に徹しろ。私以外は、襲われる危険がある」


戯志才は思わず口を開いた。

「ま、まさかっ、二の軍すら制御しきれないのに、四の軍までっ?」

「じゃあ君は」

少女は馬上だが身を乗り出して、青年に顔を近づけた。


「ここからどうやって、反撃するつもりなのだっ?

伝令だって狙い撃ちされたのか、まともに動いていないんだぞ。

現状把握できない中、複数の奇襲や、奇怪な兵士たちを、どうやって倒すのだ?

しかも陣は崩壊寸前、今すぐに対処しないと、本当に、私たちはここで敗けるぞ。

さあ、他に良い方法があるのなら、言ってみたまえっ」


初めて見る怒りに、青年は我知らず、身を引いていた。

「ない、です……」


「ならば、無茶苦茶だろうが、できる事をやるしかないのでは?

後のことは、またその時の私たちが考えればいい。

私たちは敗けられないんだ。

ここで負ければ私たちは死ぬ。兗州も陶謙や周りに奪われて終わる」


「たしかに……」

そうかもしれないが……いやな予感がする。

そう煩悶している間にも、青洲兵が全解放される鉦が少女によって打たれた。


青年はその美しい音色に、戦慄しながらも魅入られていた。

我に返ると急いで下馬し、総員退避の合図を何度も打ち鳴らす。


引き返す兵士たちと入れ替えに、解放された青洲兵は、陣中深くに侵入している劉備、曹豹、田楷軍の兵士たちにぶつかるように襲い掛かった。その瞬間、空気まで大きく揺らいだ気がした。


曹操がいる本陣は最大限に防御されたが、殺しあう人々は見る間に身近に迫り、まるで皆殺しの海に浮かぶ孤島になっている。 

護衛隊は、典韋てんいという隊長をはじめ、よく本陣を護っていた。

典韋自らも八十斤(約十八キロ※注)の一双戟を振るい、押し寄せる凶器の波と人を、敵も味方関係なく近くに寄るものを全て斬り裂いている。


完全な巨大な集団と化した青洲兵は一個の生命体になったように力に溢れ、絶え間ない怒涛となって敵を飲み込み、消し去っていった。

飢えた元農民たちは、青州兵という、同じく飢えた元農民たちによって殲滅され、精鋭兵も異民族も皆、等しく破片となって地面に散らばり踏まれて染みて土に還っていく。


……まるで黄河の激流だ。この完璧な怒涛が、青洲兵の真骨頂。


戦慄したのは、劉備軍だけではない。袁紹えんしょう軍もだった。

曹操軍の援軍としてこの様子を見ていた袁紹軍の将、朱霊しゅれいは、一時呼吸を忘れて、一帯が血煙で赤く霞む、無惨で幻想的な光景に魅入っていた。


……袁紹様は、未知だった青洲兵の実力、破壊力を常に気にしていた。


それが今、すべて開示された。主人である袁紹に、詳らかに報告せねばならない。

その瞬間、彼らの攻略、殲滅方法が次々と考え出されるだろう。


……それにしても、曹操という人物。

朱霊は、客である自分にはいつも笑顔で気さくに接してくれる、あの小柄な総指揮官の事が近頃、とても気になっていた。


……逆転の鬼札を持っているのもすごいが、その鬼札となった忌むべき青洲黄巾賊せいしゅうこうきんぞくを手懐け、軍隊に実装した、その発想も非凡といえる。

もしかして、この人は袁紹様より……。


朱霊は、はっとして考えを強制的に止めた。


一刻も経たないうちに、敵の合同軍は完全に消滅した。

劉備を始め他の総指揮官、その配下たちが討たれたかどうかは不明である。

そんな事は、今はどうでもよかった。


「やっと邪魔者がいなくなった。これでやっと陶謙を攻める事ができる……」

少女はほっと小さく息を吐いた。安堵ではなく、ため息だった。

勝ったというのに、疲労感が圧し掛かっている。


……彼はまだ戦っていないのに、私だけヘトヘトだ。

もしもこの状況を陶謙が作り出したのだとしたら、私は完全に罠に落ちている。

私は最初、彼を恐れていたが、その判断は正しかったのかもしれない……。


ふと見ると、暴走するのではと懸念された青洲兵たちも疲労したのか、皆、大人しく佇んでいる。あるいは、また腹が減って動きたくないのかもしれない。

彼らを見ていると腹が鳴り、自分も空腹である事に気が付いた。

「私たちも食事をしよう……」


陶謙が籠る城を包囲している隊まで戻ると、小さな幕舎を借りた。


そこで少女と戯志才は二人、木の実入りの粥をすすり、軍の再編成を考えている。

報告が揃うと、先の陣の半壊によって本当に各隊半数近くが失われている事が判明した。それを知ると二人は少ない食事さえ、喉を通らなくなった。


即席で、包囲組から兵士や武器を補充し、減った包囲組の補充には、以前に陥落させた城から呼び寄せる。後の調整は、兗州に残る後方支援担当の荀彧じゅんいくへ連絡して任せる事にした。

それらの書簡を二人で作成している時である。


「陶謙がひそかに城を抜け出した」との報告が入った。


※注…漢代と現在の一斤は重さが違います。


つづく

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