第120話 徐州・戦場グルメ・うま~第二回徐州討伐侵攻戦~

その数日後である。

曹操軍はついに徐州の中心部であるたんに達した。

その東で、劉備りゅうび田楷でんかい、陶謙の部下である曹豹そうひょうの合同軍と対峙する事となった。


曹操軍の幕舎では、軍略担当の戯志才ぎしさいが諸将を前に話を始めた。


「今回の敵は、劉備と田楷軍と、陶謙の部下、曹豹そうひょう軍、合計兵力は三万ほどです。

田楷、曹豹は情報が一切なく、未知数ですね。


劉備は前回、袁紹殿と組んだ時に対戦しておりますので、記憶にある方もいると思います。公孫瓚軍の派遣の方です。


劉備殿は前回の戦いを見ますに、大胆かつ分かりやすい作戦をする方ですね。

と同時に、見切りをつけるのも早く、逃げるのもとても速い方です。


今回は、我々も疲れておりますし、できるだけ早く逃げてもらえるように、臨機応変に戦いましょう。以上です」


かくして、早々と火蓋は切られた。


どうやら劉備と曹豹は兵糧をわずかしか渡されていないらしく、持久戦や籠城は選択できないらしい。


「これは我らには幸運な状況です。

兵糧の少ない私たちに対して、もしも持久戦を選択されていたら危ない所でした」


戯志才の言葉に、少女は頷いた。


ほとんど弓の応酬もなく、すぐに騎馬隊がぶつかり合った。

とくに劉備軍の騎馬隊は器用な攻守を見せる。


……すごいな。劉備とやらは、異民族の騎馬隊を完璧に手懐けているらしい。


少女の冷え切った眼差しに、少し熱が戻った。

「早いが、青洲兵せいしゅうへいを出してみよう。一軍と二軍、同時にだ」

「御意」


戯志才は小さな軍鉦を取り出し、鳴らした。

その音色は戦場に似つかわしくないほど清く澄み響き渡る。


そのとたん、漆黒の軍服の歩兵たちが、陣の両翼と中心部からは味方の間を器用にすり抜け、飛び出していった。

戦場に出た彼らは、まるで溢れ出した墨汁のように敵の騎馬隊を浸食し、屠っては飲み込んでいく。


飲み込んでいく、という表現は比喩ではなく、物理的に合っている。

彼らは騎馬隊の乗り手を殺害すると、馬を捕まえ解体し、その場で食べた。

中には肉の取り合いをし、味方同士で揉めている者たちもいる。


「……青洲兵は、自由すぎます。二の軍の兵は、とくにです」

戯志才は眉をひそめ、彼らの命懸けの食事を見ながら言った。


「何が腹立つって、私たちは皆、兵糧が少なくて空腹を我慢しているのですよ。

それなのに彼らは、新鮮な肉をたらふく、勝手に食べています。

軍法で罰するべきではありませんか?

本音を言えば私だって今すぐ駆けだして、馬肉を食べたいですよぉ……」


少女は苦笑いを浮かべて、青年を見つめた。


「彼らの事は、大目に見てやっておくれ。

彼らは長く賊として彷徨い蔑まれ、その以前も貧しい農民だったのだ。


聞いた話だが、強烈な飢え味わった者は食べ物を見つけると、それを誰かに奪われる前に、真っ先に食べようとするのだそうだ。

それはもう、今食べなければ死んでしまう、と本能に突き動かされるような異常な焦燥感なのだという。


私たちと行動するようになって食事には困っていないはずだが、それでも目の前に食べられるモノが現れたら、衝動的に口にせずにはいられないのだろう。

彼らはいまだに、過去の飢餓の恐怖から逃れようとしているのだ。


私たちは運が良く、環境に恵まれて、死にかけるほどの飢えを知らないだけだ。

それを経験すれば、私たちも彼らと同じ行動をするようになるかもしれないよ。


いつか、彼らが慌てて食べなくても大丈夫だと思えるようになれば、自然とこの自由な行動も止むだろうさ」


「わかりました。いつか来てほしいものです。皆が飢える心配をせず暮らせる日が」


馬肉の食べ放題をしながらも、青洲兵は敵の始末という仕事もきちんとしている。

兵士を倒すほど馬肉が手に入るわけだから、彼らとしても働き甲斐があるのだ。

これで勝負が付くだろうと思っていた、その時である。


敵から、少数の騎馬隊と歩兵が、二方向から突出してきた。


残った烏丸の騎馬兵を助けるように漆黒の浸食の中へと、勇ましく斬り込んでいく。

だがその果敢な兵もいずれ飲み込まれるだろう、と、少女と戯志才は見つめていた。

だが、どうにも様相が違う。

飲まれるどころか、青州兵が押され始めている。

上手く二方向から挟まれて味方同士で動けなくなり、右往左往しているところを狙われ、怖気づいては逃げ帰ってくるのだ。


……青洲兵は遠征で疲れているうえに、奪う事にも気を取られ、集中力が続かないらしい。今まで以上に、脆いな。


「青州兵に斬り込むなんて、勇気がありますね。

劉備殿の精鋭兵かもしれません。


袁紹軍から聞きましたが、劉備、関羽、張飛の三将軍が率いる兵士たちは、とくに恐れ知らずの戦士ぞろいなのだそうですよ」


戯志才は背筋を伸ばして顔を上げ、鋭い視線で戦況を見つめながら言った。


「三将軍、か。今、青洲兵に斬り込んでいるのは二つの軍勢だが、じゃあ、あともう一つはどこにいるのかな?」


少女と戯志才は、顔を見合った。


「防御を固めましょうっ」「気づかぬふりをしよう」

同時に発言して、また顔を見合う。


戯志才は、怪訝な顔をした。

「またご自分が、オトリになるのですか?」

少女は楽しそうに、歯を見せて笑った。


袁術えんじゅつの時も、上手くいったではないか。

それに今は、夏侯惇かこうとん殿から贈ってもらった強い護衛隊もいる。

いざとなれば私も多少は戦えるし、そう心配しなくていいよ。

ただ、どこから襲撃されても焦らないように、迎撃の準備はしてほしい」

「わ、わかりました」


しばしすると周囲が騒がしくなったが、動揺が大きく広がる事はなかった。

すぐに報告が入る。


「この本陣を狙った奇襲が行われましたが、あっさりと止められたようです。

ご警告をいただいたおかげです」


少女は報告に一言ねぎらうと、つまらなさそうに片眉を上げた。


「ふむ。劉備殿の作戦は、前回と同じく奇襲作戦で終わりかな?

もしもそうなら、つまら……いや、結構な事なのだが」

少女が興ざめしたように、つぶやいた時であった。


腹でも割かれたような強烈な悲鳴と、大きなざわつきが起こった。

そちらを見ると、陣中の歩兵隊が激しく揺れている。


さきの敵の騎馬隊はすでに退いていたが、その後ろから付いて来た歩兵たちは刺さった棘のように、陣中に深く残っていた。

その中には、農民のぼろ着に笠という、奇怪な隊がいる。

先ほどの悲鳴は、彼らに襲われた者から上がっていた。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る