第119話 徐州・狂気~第二回徐州討伐侵攻戦~

戦争が終わり、そしてすぐに、次の戦争の準備が始まった。

次の侵攻で目標を達成しなければ、さらにまた次の戦争もありえる。

……私たちは気が付けば泥沼に、無限地獄に落ちていたらしい……。

暗い未来の予感に、兗州えんしゅうは重苦しい気配に包まれていた。


追い打ちをかけるように、秋の収穫は乏しかった。

食料の値段は跳ね上がり、民衆は生活をさらに切り詰め耐えるように冬を越した。


そしてやっと期待の春の収穫時期となったのだが、荀彧じゅんいくは各地から届く報告を見て絶句していた。

予想していた通りだが、また不作、いや、凶作といっていい。


……収穫高が落ち続けているのは、気候の問題だけではない。

畑を作るはずの若者が兵士となっているのも、大きな原因の一つである。

はっきり言って、戦争なんて贅沢をしてる場合じゃないのだが。


「ふむ、では今回はやめておこうか」

などと、少女が言うわけもなく「だからこそ、やるのだよ」と、即答した。


……狂気だ!

荀彧は心で叫んだが、そもそも戦争は正気でできるものではなかったと思い出し、さらにいまさら善人面をした自分にも、急激な恥ずかしさがこみ上げてくる。


とはいえ、魚の小骨が喉に残ったように、どちらの判断が正解であるわけでもない、簡単に割り切れる問題ではないとも、ひそかに思い続けている。

防衛意識が違う者、あるいは兗州の民衆にとっては、陶謙よりも曹操の方が兗州を苦しめる害だと感じ始める者が、多くなるような気がする……。

一人、心の中が忙しい荀彧に少女は続ける。


「兗州は不作続きで戦争してる場合じゃない、と、君が思うなら、敵である陶謙とうけんたちもそう考え、油断している可能性が高い。

最高の攻め時ではないか。


それに戦いから間が空くほど、相手も回復をしてしまうだろう。

その点からも、できるだけ間を開けずに攻め続けた方が効果的だと、私は思う。


ただ後方支援は前回以上に厳しくなるだろう。

程昱ていいく殿にも手伝ってもらえるように伝えておく。


私は自分が滅茶苦茶を言っているのも、君たちにも滅茶苦茶をさせるのもわかっている。

今は、申し訳ない、としか言いようがない」


かくして袁紹えんしょうから兵士をはじめ、武器、食料を遠慮なく借りると、再度、陶謙とうけん討伐のために徐州じょしゅうへ再進軍する事となった。



この二度目の侵攻を正直しんどいと思ったのは、曹操軍だけではなかったのかもしれない。


徐州の陶謙は、略奪仲間であり自称天子の闕宣けっせんを、唐突に殺害したのだ。

この仲間割れには、様々な憶測が流れた。


すべての元凶である闕宣を殺したことで、謝罪の意味としたのではないか、との見解もあった。そのわりにはちゃっかり闕宣の軍勢を吸収し自軍の強化としたのだが。


……憶測も言葉も態度も、意味はない。人間は行動こそが、本音だ。

軍服に喪章をつけた少女は、冷めた目で陶謙の報告を聞いていた。

……ま、それは、私自身にも言える事だけど。


当然、進軍は止まる事はなかった。

前回、陥落させた城の拠点として使えたため、兗州の大軍は迅速に徐州の奥へと侵入していく。また新たに城も陥落している。


着実に陶謙へ近づいている。


その進撃の報告を受け、陶謙は大きく身震いした。

ふたたび吹き荒れ始めた死神の殺戮嵐から身を隠すように、早々と徐州の中心部、たんで籠城を開始した。


曹操軍の容赦の無さは、前回で十分、理解した。

あの時はまだ相手を撃退できると思い、彼はまともに戦ったものだった。


徐州は豊かな土地で、人も兵士も多く、武器も兵糧も十分あった。

何より自分の管轄地で、地の利も知っている。……勝てる、はずだったのに。


だが結果は、守備の薄い城を急速に幾多も獲られて自分も周囲も動揺し、気が付けば防衛線は下がり続け、彭城ほうじょうで包囲されてしまった。


そして、彭城の決戦での戦慄。

その激しい攻撃により、そばを流れる泗水しすい川が兵士の死体で堰き止められ、血に染まった生臭い水が、彭城にまで流れ込んできた。


そのあまりに悲惨な光景とおぞましさに、陶謙はおもわず絶叫していた。

「エッ!?ウソでしょっ?!」

……わしもワルイ男だが、さすがにこれはやりすぎだと思う……。


たとえ戦争であろうと、兵士であろうと、必要以上の殺戮を行う者、あるいは、私怨で軍を動かす者は、必ず自分自身にも大きな災いが返ってくるであろうっ。

あいつはいずれ必ず、自滅するっ。今に見ておれっ!


曹操を呪いながら、陶謙はボロボロの彭城を抜け出し、捨てた。

そしてこの堅牢なる郯の城へ、閉じこもったのである。


あれからたった数か月、まさかの死神曹操の再来を聞き、おもわずあの地獄の景色が脳裏に浮かぶ。

陶謙は嘔吐し、そしてそのまま頭を抱えて、苦悩を始めた。


……いや、悩んでるだけではいかんのは、わかっとる。

気分が悪いからといって寝込んでいていても、ヤツは絶対に容赦しない。

いずれこの城もぶち壊されて、私は辱めを受けて死刑にされてしまうだろう。


観衆の前で全裸になるよりも恥である、冠を取られる、という最大の屈辱を受けたあと、処刑されるのだ。

想像しただけでも身体が夏のように熱くなってしまうわい。


……それにしても、曹操のヤツは何をこんなに、怒り狂っとるんだろう?

そりゃあ確かに無惨に殺害のされた父と弟の敵討ちなのだから、怒るのは理解できる。

だがもうここまでするのは、あきらかにやりすぎだと、思うのだが。


そもそもあの事件、闕宣が主犯で、私はちょっと嚙んだだけのとばっちりなのは、ヤツもわかっとるはず。

だから闕宣を殺してやったのに、曹操はその意味をまったく察しようとしない。


……いや、以前、あいつと対峙した時、離れていても以心伝心ができていた。

やつはこちらの意図を察する鋭さが、確かにある。

だから今回も、察していないわけがない。

きっと、あえて気づかないふりをしているのだ。

なぜに?!


……もしやこの侵攻は、敵討ちが目的ではない、のだろうか?

曹操の後ろには袁紹がいるが、もしやそういう大人の事情的なアレが……?


「……」

考えを巡らせているのか、妄想しているのか、わからなくなってきた。

陶謙は目を開いたが、顔を覆った自分の指の隙間から見えるのは、豪奢に飾られた暗い自分の部屋、というより虚無だった。


……ま。他人の考えや事情なんて、推し計っても意味などないのだ。

大事なのは、私はどうするか、だけだ。

私は、このまま何もせず、死を待つのか?


震えるように、だが撥ねつけるように頭を振ると、やっと自分の本心に辿り着けた気がした。

ふたたび、目を閉じる。

先までのように絶望に浸るためではなく、この危機を生き延びる道を探すためにである。

しばしして、ふと、顔を上げた。


……良い作戦を、思いついたかもしれん。


陶謙は両手を少し下げると、頬は押さえたまま、さらに考えを練り始めた。


……私はこのまま隠れ、あるいは逃げ続けて、曹操だけをヘトヘトにすればいいのではないかな?

そして疲れ果てた曹操を、パコーンと一発で仕留めるのだ。

ふむ、戦わずして勝つ、の兵法の最上策に近いし、我ながら良い案だと思える。


さらに具体的に作戦を練り上げると、陶謙は力強く立ち上がった。

灯りをつけ、竹簡ではなく紙にその内容をしたため、小さく折りたたむと、旅人に扮した間者の帯に忍ばせ、真夜中の城から送り出した。


数日後、手紙を受け取った公孫瓚こうそんさんから返信が来た。

公孫瓚の配下である劉備りゅうび田楷でんかいの二名を派遣して、助けてくれるという。


前回、陶謙は公孫瓚こうそんさんのために出張ったおかげか、肝脳地まみれ必死の激烈激戦区となるにもかかわらず、律儀にもお礼を返してくれるらしい。


……僥倖っ。まずは作戦の第一段階は成功じゃっ。


第二段階は、戦うのはこいつらで、わしゃ、のんびりと籠城で高みの見物をする。

勝っても負けてもこいつらと戦った曹操はヘトヘトになるだろう。

だがわしは元気いっぱいのままである。


そして第三、これは最終段階だ。

こいつらが勝てば私が援軍として出撃しヘトヘトになった曹操にとどめを刺す。

もしもこいつらが敗ければ、わしゃまた逃げる。

そして力尽きるまで、上手く追わせて、ヘトヘトになった曹操にとどめを刺す。

もし曹操が兗州へ戻るなら追い打ちしてヘトヘトになった曹操にとどめを刺す。


ふむ、どの状況でも、曹操はヘトヘトになり、わしに殺される、完璧な作戦じゃ。


「よっしゃ、前回はお前の過剰な殺しを見て怖気づいたが、今回は、勝つっ!

これもそれも公孫瓚殿の助けのおかげだ。ありがとう、大好きじゃっ!」

陶謙は子供のように歓喜し、自分の代わりに戦う公孫瓚の部下二名を大歓迎した。


その中でも劉備軍が、なんだかとても気になった。


私兵千人と、幽州ゆうしゅうの異民族である烏丸族うがんぞくの騎馬隊、それに、飢えた民衆数千人が無理やり配下である。


……武力より、個性が強いな……。


とくにこの飢えた民衆たちは、兵士の装備も足りないらしい。

ぼろの着物に笠をかぶり、手には鎌やクワという、素朴な農民の普段着である。

そして飢えを抑えるのに必死なのかハアハアとやたらに息が荒い。

充血した瞳は赤くギラギラと光り、陶謙を熱く見つめている。


陶謙は老齢であったが臭みも無く、艶のあるタマゴ肌を持ち、着物の袖からのぞく筋肉は今もピチピチと活きが良く、脂つきも程よい熟成された身体をしていた。

その肉体を舐めるように凝視しては、笠の兵士たちは舌なめずりをしている。


……え。なんじゃこいつら。もしかして、わしのことを……?!

と頬を赤らめて戸惑いながらも、同時に、ムッともした。


……っていうか、これ、ただの飢餓民ですよね?なんだろ、軍隊って名乗るの、やめてもらっていいですか?


と、いつものわりと他人に厳しい陶謙ならそんな事を言い、劉備殿を論破したかもしれない。

だが今は貴重な援軍相手に、そんな事は言わない。


陶謙は劉備殿に優しい目をして、そっと自分の屈強な丹陽たんようの兵士四千人を分け与えたのだった。


つづく

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