第99話 兗州・新人軍師、戯志才の戸惑い
書簡が届いて十日、白木蓮に季節外れの薄雪が積もった日。
嫌いな元上司の危機など、ほくそ笑みながら見て見ぬ振りをしたいのが本心だ。
だが彼が戦死するとこちらにも危機が連鎖し、共倒れとなってしまう。
よって嫌々この寒い中、助ける一択しか選択はないのである。
敵は三軍、出張っていた。
まず一軍目は、
つぎ二軍目は、
共に青州とはいえ冀州との境目に陣取りをしていた。
隙あらば冀州になだれ込もうという気迫が感じられる配置である。
そして三軍目だが……。
これがなぜか
しかもなぜか
戦争慣れした
……しかしなぜに、関係ないウチに浸入してるんだ?
戸惑ったが、しかしピンとくる。
……袁紹は手紙で、
誰が布陣する、とは記してはいなかったな。
まさか私たちを必ず戦いに巻き込むために、敵に情報を漏らして誘導したんじゃないだろうな。
あくまで推測だが、もしもその通りだったら。
……味方でも、まるで油断できないな……。
手狭な幕舎の中で少女と諸将は机を囲んでいた。
防衛線を越えられた
この侵攻は予想外すぎたし、それに、ウチに侵入されたのだから戦う正当性ができたと、少女は彼を慰めた。
被害もほぼ無い。城や要塞は落とされておらず、食料も奪われていない。
……つまり陶謙は自前の兵糧だけで賄う、短期の戦いを計画しているという事だ。
それを裏付けるように、陶謙軍の陣は殺気どころかヤル気もない。
……彼も私と同じく、付き合いで戦いに呼び出されたのだろうか。
ならばキッカケがあれば、すぐに撤退する可能性が高い。
通常、戦場でわかりやすい情報は怪しげな釣り糸と観るべきだ。
だが、今回は立場が似た者同士、妥協したいのは本音ではないかと感じる。
手の読み合いというよりも意志疎通のような、奇妙な空気感がある。
……上手くやれば彼とは戦わずに、あるいは、損害が少なく決着を付けられるかもしれない……。
「まずは全体の流れから考えましょう」
「当然ながら、我々はウチに侵入している
次は上方を押さえて、言葉を続ける。
「同時に、袁紹軍に平原の単経を倒してもらう」
そして三番目は真ん中を指さす。
「最後に、我々と袁紹軍で、劉備を挟み撃ちをする。
これがもっとも無駄のない戦いではないでしょうか」
「ふむ、すばらしく合理的な動きじゃ」
その主の返事に、新人軍師はニッコリと微笑んだ。
「では、この案を袁紹殿に提案していただけますか?」
「えっ?……あいつには言わなくてもいいじゃろ。通信に時間もかかるし」
姿通りの子供っぽい渋り方をされて、新人軍師は露骨に眉をひそめた。
「は?」
「敵は当然だが、わしゃ、袁紹殿も刺激したくないのじゃっ。
触らぬ神に祟りなしだし、藪をつつかなければ蛇も出てこない。
袁紹は、何で腹を立てるかわからんし、提案も指示と思い込んで怒るかもしれん」
「へえ……わかりました」
青年軍師はやや困惑気味に答えた。
「あなた、よっぽど苦手なんですね。袁紹殿が」
「そうじゃ。たとえ、この三軍全部と戦う事になっても構わん。
とにかく、あいつとは可能な限り接触せず、共に戦いたいのだ」
……奇妙な流れになってきたぞ。
諸将も困惑したが、戯志才はすでに気持ちを切り替えたのか、ケロリとした様子で口を開いた。
「あなたの気持ちはよくわかりました。
では袁紹には、我々はまず陶謙を追い出す、とだけ伝えておいてください。
あとの残り二軍に関しては、成行きで進めましょう。
我々は彼の配下ではないのだし、基本的には袁紹に戦わせればいいのです。
私たちはあくまで手伝いですよ。二軍と戦うなんて、働きすぎです。
降りかかった火の粉だけを振り払えばいいのです。そこをお忘れなく」
そう言われて、少女は目が覚めたように大きく瞬きした。
「まったくその通りじゃ。
私は頭では彼とは対等のつもりだと考えているが、ふとした時に、以前の上下関係の感覚がよみがえるのだ。
まるでご機嫌でも取りたい配下のように、残り二軍と真面目に戦おうと考えてしまっていた。良くない事だ」
そして改めて戯志才を見る。
「すまないね。なんだか頼りない主で」
青年軍師は思いがけない詫びに驚き瞳を大きくして、拱手して応える。
「おやおや、いいえ!誰でも、苦手なものには心を乱されるものです」
二人が微笑みあったその時。
幕舎の外がにわかに騒がしくなり、見張り兵の悲鳴に似たような声が響いた。
「ちょっとお待ちくださいっ、今は軍議中でして……」
少女が慌てて地図を隠したのと同時に、無遠慮に幔幕が開く。
見慣れぬ軍服を着た男が、目が眩む陽光をたっぷり背負って立っていた。
「やあ!曹兗州牧っ、久しぶりだなっ」
薄暗く、狭い幕舎にやたらに明るい声が響く。
「えっ
まるで伏魔殿からあふれ出た大魔王と唐突に対峙したように、少女は仰天した。
つづく
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