第98話 兗州・ひそやかな軍議

「へえ、回りくどい誘い方をする人なのですねぇ」

戯志才ぎしさいは見知らぬ超有名人の意外な一面を知り、面白がった。


「誉れ高い名家が、私なんかに素直に助けてほしいとは頼めないものさ。

腹は立つが、しかし袁紹えんしょう殿がいなくなると、私たちは四方を敵に囲まれる状態となる。

彼を助ける以外、選択肢はない」


皆、黙ってうなずいた。


「では、袁紹の現在の状況を説明いたします」

荀彧じゅんいくが話を継ぐ。


袁紹えんしょうは現在、公孫瓚こうそんさんと連戦続きです。


その上、彼の管理地である冀州きしゅうは反乱が勃発。

それに乗じて、朝廷から正式に承認された冀州牧きしゅうぼくである壺寿こじゅにも攻められております。

さらに、うちから追い出された山賊の複合軍とも戦っております」


小さな部屋に、思わず袁紹への感心の唸り声が響く。


……これだけややこしい多重の戦いを、よく上手く処理しているものだ。

青州黄巾賊だけで精一杯だった自分たちとは、軍事力の格が違う……。


「しかしついに旗色が悪くなり、拠点であるぎょうが抑えられました。

これで、さすがの袁紹殿も我らに頼ろうと考え、今に至ります」


「ふむ……」

少女は浮かない顏で頷く。


袁紹えんしょうが弱っているとなると。

袁術えんじゅつも参戦してくる可能性はあると思うかね?」


袁術は、袁紹の異腹の弟である。

宦官虐殺かんがんぎゃくさつなど共同作業をしていた二人だったが、今では対立関係になってしまった。つまりは、兄弟喧嘩である。

もしもこの二人が仲良く組んでいたら、あっさりとこの乱世は袁家の元で平和に治まっていた、のかもしれない……。


「袁術は公孫瓚こうそんさんの後ろ盾をしている。

もしもこの両軍まで参戦してきたら……想像だけで頭が痛くなるのだが」


「袁術は、出てこないでしょう」

程昱ていいくが手を上げると同時に答えた。


「彼は今までずっと戦いは配下に任せ、自身は出張った事がない。

いわいる戦争シロウトです。

今回も大物を気取って、公孫瓚とその配下にすべてを任せるでしょう。

出撃してきたとしても、まともに戦えない可能性が高い。


ですが油断せず彼を警戒するなら、今のうちに一策、保険をかけておくのもいいかもしれません」


皆、黙って彼の話を聞いていた。


「袁術は南陽なんようの太守をしておりますが、その主である荊州牧けいしゅうぼく劉表りゅうひょうは彼を嫌って、袁紹に与しています。


万が一、袁術が出撃する事があれば、劉表に邪魔をするように頼んでおくのです。

たとえば、南陽からの食料補給の邪魔をする、できれば、止めてしまう。

だけでも効果は絶大でしょう」


「それはいい。今からさっそく、声をかけておこう」

若干、表情を明るくして答える。とはいえ、まだすっきりしない。


「他にもご心配があるのですか?」


「そうだね、本音を言えば、漠然とだが心配がある」

少女はジトっとした目で答える。


「私が、指揮官のいる軍隊と戦うのは、董卓軍とうたくぐん徐栄じょえい将軍以来だ。そして彼には、壊滅状態にされてしまった。

今回もそうならないか、とても心配なのだ」

か細い肩を、少し縮める。


「それは、大丈夫でしょうよ」

戯志才は即答した。


「あの時は遭遇戦でしたが、今回は事前に準備ができます。

兵士も借物ではなく、よく訓練もされております。状況がまったく違いますよ」


陳宮ちんきゅうも続ける。


「先ほどきみがおっしゃったように、袁紹もまた、私たちが倒れたら自分が孤立するとわかっております。だから必ず、私たちが危機になれば助けるでしょう。

私たちと袁紹は、今は運命共同体なのです。


そして袁紹とは隣同士、助け合いは簡単です。

しかし公孫瓚と袁術は離れた場所にいます。

だから、彼らは即時に助け合う事はできません。

この状況もきっと、私たちには有利に作用するでしょう」


「そうだね。ありがとう」

少女はやっと、小さくだが笑んだ。

「それに、うちには青州兵せいしゅうへいもいた」


「あっ。それはまだ、早いですね」

荀彧はあわてたのか、若干、前のめりになった。

「まだ彼らを完全に制御するには至っておりません」


少女は怪訝そうに眉をひそめた。


「……ふむ、もし、制御できなかったら、彼らはどうなるのだ?」

「は。ただの野生の黄巾賊こうきんぞくに戻ります」


……野生の黄巾賊?

つまり、一口の食料を奪うために人命を奪う賊に戻る、という事か?


不穏な話に皆しばし絶句していたが、少女は「ふーん」とどこか興味深いように唸った。


「近頃は忙しく、彼らの様子をゆっくり見てなかったな。

明日は訓練を見て、それから、村にも赴いてみよう」


「はっ。彼らはあなたを大変慕っておりますので、大喜びするでしょう」


「だったら嬉しいのだが。

それにしても、制御、だなんて面白い単語を使ったね」

少女はふっと笑った。


「私も、ずっと自分の感情を制御して、操作し、我慢してきたつもりだったけど。

でも、今でも、上手くできている自信はない。

自分でさえそうなのだ。

人を制御するというのは、さらにむずかしい事だろうね。


まあ、試しに精鋭の青州兵だけでも連れて行きたい。

戦場に出すかわからないが、移動の様子だけでも、その、どれくらい制御ができるのか見たい」


「……は」

……前置きの話は、なんだったんだろう?

青州兵が暴走しても仕方ないのでは、と言いたかったのだろうか?

それとも、彼らを完全に制御できる事は無理なのでは?と言いたかったのか?

……どちらにしても。


わずかに、背筋が寒くなる。

……いや、そもそも、私の考え過ぎかもしれない。


彼の思考を遮るように、少女の声が響いた。


「では、今日はこれで散会しよう。また次回に」


つづく

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