第96話 兗州・青州兵三十万人を手に入れる

「わかった」

少女も衝撃で一拍間を置き、父老ふろうの言葉を飲み込んでから答える。


そして、唐突にすがるように、切羽詰まった様子で彼は話し出した。

「すみません。欲を言えば、お願いしたい事がもうひとつ、あります。

これは、余裕があればなのですが」


少女は頷いて、相手をうながす。


「我らの中には、言葉をよく知らない者が多いのです。

親が早死にしたり、あるいは捨てられて、動物のように生きてきた者が多いのです。


初めは私自身が、言葉や生きるための礼儀のようなものを教えていました。

ですが、数が多くなると、私を頼りにしてきた者を死なせないようにするだけで精一杯になり、教えきれなったのです。


なので今では、最低限の言葉しか知らない者が多いのです。

姿は大人ですが、そこらの子供よりも意思の疎通が難しい者がとても多い……。


だから彼らは兵士ではありますが、今すぐにあなた方の指令通りに動かすのは無理だと思うのです。

まずは言葉を理解させる所からとなると、その訓練には、時間も手間もかかるでしょう。


だからそのうち、ひどく腹の立つ事も起きるはずです。

ですが、できるだけ、容赦をしてやっていただけませんか……」


そう言ううちに、父老は鼻をすすり、涙を流し始めた。

少女は手を伸ばすと、相手の骨ばった手を握り、答えた。


「わかりました。よく覚えておきます」

そして、続ける。


「あなたたちの村に、学舎を作りましょう。

大人も子供も、言葉を覚えたい者は通えばいい。


そこであなたは先生をしてくれませんか。

言葉だけでなく、学問も教えて下さい。


そうだ、あなた達の好きな音楽も、ね。

太鼓を叩いて歌うだけでも、楽しいものです。

そのうち素晴らしい才能を持つ者が現れるでしょう。


今日は皆、楽しそうで私も嬉しかったです」


そう言われて今一度、父老はとても安堵したように一息つき、皺の多い顏をさらにしわくちゃにして、涙をこぼしながら微笑んだ。


「我らを再び、人の暮らしに戻してくださる事、ありがたく思います」


そう言うと青州黄巾賊せいしゅうこうきんぞくの長だった男はゆっくりと深く頭を下げて礼をしたので、彼の背後の若者二人もそれに習い、深々と頭を下げた。



「これから忙しくなりますね」

荀彧は、やけに溌剌はつらつと廊下を闊歩している。


「おや、また忙しくなるのに、うんざりはしていないようだね」

少女も機嫌が良く、声色も軽くて明るい。このような調子は、いつぶりだろうか。

今は袖なしの外套を閉じ、踊り子の服は足元しか見えなくなっている。


「そりゃあ、三十万もの兵を手に入れる瞬間を見たのですから元気も出ます。


正直言うと、黄巾賊を追い返さずに捕虜にしたいと聞いた時は、どうなる事やらと思いましたが。

でも、その奇抜な作戦は、大成功以上の大成果をあげたのですね。


私もいつの間にか、彼らには穏やかに暮らしてほしいと思い始めていたので、彼らをこれからも助けられるのは、嬉しく思いますよ。


それに青州黄巾賊の兵士三十万人すべてを指揮通りに動かす事ができるようになれば、とてつもない戦力になるでしょう。


あなたは、無理難題の逆境を乗り越えるだけでなく、それを味方にしたのですね」


「この結果は、私だけでなく、君を始め、全員がよく頑張ったおかげさ。

もちろん、この戦いで死んだ人たちも含めてね。


多くの黄巾賊を仲間にできたのは、嬉しいことだ。

だが、彼らが自給自足できるまで備蓄で面倒を見ないといけないのが、新たな大きな問題になるだろうな。

豪族たちの反感を買いそうで心配だ」


「将来の税収が増える事になると説明します。

今は将来のために、彼らの世話をするしかありません」


「そうだね。一時は苦しくなろうとも、なんとかするしかない。


それにしても、青州黄巾賊は強いのはありがたいが、クセも強すぎる兵士たちだ。

名馬だが気性の激しい駒のように、手なずけるまでに時間がかかるだろう」


「それですが」

荀彧は何か考えていたのか、勢いよく話し出す。


「いきなり、三十万の兵士を編成し、訓練するというのは現実的ではありません。

まずは精鋭を選んで訓練し、様子をみませんか。

私はぜひ、彼らの真価を知りたいのですが、任せていただけませんか?」


「そうだね。まずはそうしてみよう。

私から、君の言う事を聞くように、彼らに説明してみよう」


「ありがごうございます」

打てば響くような決断の速さに、荀彧は気持ちよささえ感じるほどだった。


「ところで、いちいち青州黄巾賊と呼ぶのは、ちょっと長いな。万が一、他の黄巾賊と戦う場合があれば、ややこしくなる」


少女は、すぐに思いついた。


青州兵せいしゅうへい、と名付けよう」


つづく

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