第84話 東郡・思い出という黒歴史・青州黄巾賊の予告

 四月。

董卓とうたくは自滅した。


護衛ごえいであり養子ようしでもあった呂布りょふに殺害されたのだ。

これにより反董卓連合はんとうたくれんごう董卓とうたくの長かった戦いは幕を閉じた。


 山積みの竹簡に埋もれた東郡太守とうぐんたいしゅの執務室で、少女はその報告を聞き、思わず筆を止めた。


勇猛な軍を持ち、官軍さえ掌握した董卓があっさり死んだ衝撃よりも、荀彧じゅんいくが予想した通りとなった事に戦慄をしたのだ。


 そして一人になると、連合の思い出が心によぎった。


……毎日宴会に明け暮れる仲間たちを拒否し続け、孤立した事。

孤立しても平気だと強がり、あげくに単独で出撃して、壊滅状態の大敗北をした事。

兵士募集に失敗して全裸で大号泣したあげく、夏侯惇かこうとんに八つ当たりした事。

袁紹えんしょうの所に長々と居候して、あげくに追い出されるように山賊退治をした事。


……ろくな思い出がない。

少女は今さら気づいたように、眉をひそめて顔を赤らめ、うめいた。

湧き上がる羞恥にフタをするように、あわてて別の事を考え始める。


……救世主といっていい、呂布りょふという人物。

彼は以前、丁原ていげんという義父も殺している。

つまり董卓を含めて、彼は父親殺しを二回もしたのだ。


彼が粗暴そぼうなのは、教養のない不幸な野生児だからではない。

事務の仕事の経歴がある。

当然、親孝行が大切と教える儒教じゅきょうも学んでいるはずである。


それでもなお、二回も父を殺すとは……。


そして報告によると、彼は今、悲惨な状況に陥っているらしい。

董卓とうたく亡き朝廷内の権力争いに負けて、首都長安ちょうあんを追い出されて放浪しているというのだ。


……なんだか殺人鬼がうろついてるようで、スッキリしない話だ。

とはいえ私はこの人物と一切関係がないし、これからも関わることはないだろう。

もう故郷にでも帰って、静かに暮らせばいいのに……。


 気持ちを切り替えるように、白湯さゆを一口飲む。

机に広げられた竹簡と、雑に放り出された地図に視線を向ける。


自分の管轄地かんかつちである東郡とうぐんは、急激に治安が良くなっていた。

十万人もの山賊集団、黒山賊こくざんぞくを討伐したのち、内政に集中して法律や税率を新しく定めたのだ。

軍事面も東郡全土とうぐんぜんどから募集できるようになり、兵士の数も安定している。


このまま、穏やかな日々が続けばと、思い始めていた、そんなある日である。



曹太守そうたいしゅ、よろしいでしょうか?陳宮ちんきゅうです」


その声に、少女は執務室の入り口まで駆け寄ると、彼を出迎えた。


陳宮ちんきゅうあざなは公台こうだいは、着替える間も惜しんだらしく、旅用の短い袖なし外套を羽織ったままの使者服で拱手した。


「よく無事に帰った、公台こうだい殿。

兗州えんしゅうの様子はどうだ?鮑信ほうしん殿には会えたか?」


「もちろんです」そして再び一礼する。


兗州えんしゅう青州黄巾賊せいしゅうこうきんぞくが侵入した件は、事実でした」

少女の喜色は消えた。陳宮は構わず、言葉を続ける。


「彼らは超大軍なのに、移動速度が早い。

そして人の数に頼った狂暴な戦い方をいたします。

その数、兵士百万人」


「百万……!狂暴な百万の兵……」

呆然としてつぶやいた主人だったが、同時に、目を瞬かせながら、思考するように視線を動かす。そしてそれが止まると、すっと動揺の気配は完全に消えた。


まるで自分だけが取り残されたような気がして、陳宮は戸惑いながら尋ねる。


「ま、まさかとは思いますが……この一瞬で、百万の兵を倒す方法を思いついたのではないでしょうね……?」


「倒す?百万人を?」

その返答に、陳宮は自分が見当違いをしたと気づき、思わず固く口を閉じる。


……違うのか?ならば、追い返す方法だったか……?

どちらにしても、優れた軍人は迅速に判断し行動をするというが、その片鱗を見た気がする……。


「報告の続きはあるのかい?」

陳宮の思考を遮るように、主人は声をかけた。

底知れぬ気持ちを大きくしつつ、報告を続ける。


「兵士のほかには、その家族も一緒に行動しております。

ですので少なくとも兵士の数の二倍以上が、青州せいしゅうの総人数となりましょう。


この人数はもう、以前の黄巾賊こうきんぞくのように太平道たいへいどうの信者だけではありません。


戦火で焼け出された者も合流し、この超大群になり彷徨っているのです。

流民にとっては、最後の拠り所となっているのでしょう。


彼らが強い理由が、私にはわかる気がしました。

きっと自分たちの居場所を守る為に、死に物狂いで戦うからでしょう……」


少女は無言でうなずいたので、陳宮は続けた。


兗州牧えんしゅうぼく劉岱りゅうたい殿は、自ら出撃して彼らを討伐するつもりのようです。


ですが、鮑信ほうしん殿は、彼は負けると見ているようです。

それで……」


ここで陳宮ちんきゅうは声を潜めたので、少女は彼に近づき耳を寄せた。

二人の香が混じり合う。


劉岱りゅうたい殿にもしもの事があった場合は、曹太守そうたいしゅ兗州牧えんしゅうぼくにお迎えたいと、鮑信ほうしん殿は考えていらっしゃいます。


そしてあなたに青州黄巾賊せいしゅうこうきんぞく討伐をお願いしたいと、申しておりました。


太守たいしゅえんしゅうぼくでは、持てる軍事力は桁違いです。

ぜひ、来るべき戦いのために、最高の力を得るべきです」


少女はその提案に熱い鉄器に触れたごとく飛びのくと、彼の顔をまじまじと見た。


つづく

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