第83話 東郡・荀彧、王を補佐する才能

その顔面は男のような女のような、双方の良い部分が絶妙に混ざり合った美麗造形の極みである。

澄み切った瞳の奥には理知の光が宿り、細長い指の爪先まで輝いている。

着物や装飾品は地味だが、質の良い上品なものだ。

動くたびに漂う香も、貴人らしく芳しくも珍しい。


「始めまして、曹東郡太守そうとうぐんたいしゅ

私は、荀彧じゅんいくあざなは文若ぶんじゃくと申します。

今日はお忙しい中、私のためにお時間をいただき感謝いたします」

 

見惚れていた少女は頬を赤らめた。

事前に美青年だと聞いていたが、予想以上過ぎたのだ。


「私こそ、あなたにお会いできてとても光栄です。

ぜひ今日は、色々とお話をしましょう……」


……そう、今日は荀彧くんの面接なのだ。

だが私の方がいろいろ試される気がする。

名門の荀一族がうちのような弱小勢力に仕官しようと考えてくれた事自体、奇跡のような話なのだ。

……私が彼を選ぶというより、彼が私を選ぶのかどうかというのが、この面接の実際のような気がしている。


緊張でぎこちなく微笑むと、彼も優しく微笑み返す。

そのとたん自分が頬だけでなく、耳まで赤くなるのを感じた。

恥ずかしさで、目をそらしてしまった。


「す、すみません。私の方が緊張してしまって、お恥ずかしいです……」

……面接じゃなくて、お見合いみたいな事を言ってしまった……。


今や額に汗まで浮かべていると、荀彧じゅんいくは上絹のような滑らかで優しい声で話しかけてきた。


「なにも気にしないでください。

私と初めて話す方は老若男女問わず曹太守のような反応をされます。

私は慣れております」


「そ、そうなのですか。アハハ……」

……なにがアハハなのじゃ、余計に恥ずかしい……。

そして赤面したまま、気づいた。

……このまま美青年と密室でじっくりお話ができるとは、思えない!


そのようなわけで、二人は薄暗い客室を出て、政庁内せいちょうないの中庭に出てきたのであった。


季節の花も多少はあるが、籠城ろうじょうなどに備えて食料となる果実のなる樹や、植物などが多く育てられている。

よって貴族の屋敷のように華美を凝らした造園ではなく、どこか野山を思わせる素朴な風景だった。


 ふと、少女の袖に小さな虫が止まった。

それをつまむと、草に戻す。


「おや、虫を邪険になさらないのですね」


少女はまだ頬紅く答える。


「昆虫が平和で穏やかに暮らせる場所には、賢人や聖人が集まる、と聞いた事があります。そうなるように、ならっているのです」


「漢の三傑の一人、子房しぼう殿が譲り受けた太公望の兵法書の言葉ですね」


「さすが、よく知っているね」

嬉しそうにうなずいた。


「この詩は、私の理想の一つなんだ。


人も虫も草木だって、穏やかに暮らしたいと願っているはずさ。

なのにどうして、争いは無くならないのだろうね。


……なんて私が言うと、盛大に自分に返ってくる問いかけなのかもしれないけど」


「あなたに返ってくるなら、私にも返る問いかけですね。

私も自ら、戦いのある場所へ戻ろうとしていますから」


二人は少し寂しそうに笑った。

そしてそのあとは、自然と話が続いた。


 荀彧の父は、済南国さいなんこくの相を勤めていたという。

少女もその任に着いた事があったので、それぞれ済南の思い出を語りあった。


 家族の話になった。

彼の細君は宦官かんがんの娘だった。

子供がたくさんいて、家は賑やかで楽しいと嬉しそうに教えてくれた。

政略結婚だったにもかかわらず、細君とはとても仲睦まじいようで微笑ましい。

少女は細君が五人もいる移り気な性質であったので、感心しきりであった。


そして少女の祖父も宦官かんがんだった。その系譜を軽蔑する者は多い。

たとえ巧妙にその気持ちを隠していても、ふとした事で、本音が露呈する時がある。

そのような時は、幼い頃から傷ついてきたものだった。


だが、彼はそのような人ではないのだと、妻を大事にしている話でよくわかった。

もしもここで別れる事になっても、一人の友人として付き合いが持てれば、とひそかに願った。


 袁紹えんしょうの事を尋ねた。

いわく、彼では大きな仕事を成し遂げる事はできないだろう、との意見だった。


 董卓とうたくの事も尋ねた。

いわく、彼の悪行は度が過ぎているので、必ず近いうちに命を落とすだろう。


少女はおおむねね同感した。

……しかし董卓は身辺警護のため、呂布りょふという猛将を養子にして護らせている。そんな警戒心の強い彼が、近いうちに亡くなるだろうか?


次は美青年が尋ねた。


曹太守そうたいしゅは何ぎょう殿から「天下を安んじる者」と評されたそうですね。

その事について、ご自分ではどう思われているのでしょうか?」


「王を補佐する才能」と評された青年に聞かれると、答えに困る質問だった。


……まるで心の奥深くこっそり隠した箱を、開けて見せるような気分になる。

そして彼の経歴を思い出す。

それを思うと、彼はとっくの昔に吹っ切れて、その箱の中身をさらけ出しているようにも思う。 


……もっとも、このような探り合いはこれから誰とでも少なからずあるだろう。

複雑な、時代になってしまったものだ。


少女は口を開いた。


「世界は安定を失っている。

もしも私に評されたような才能と力があるのなら、私は行使するのにためらうつもりはないよ。

しかし私は、その力を本当はなんと呼ぶのかは知らない。

きっと、いろんな呼び方があるのだろう。


たとえば、君が評されたような言い方もあるのかもしれないね。そう思うだけさ」


ひどく濁した言い方だ。これで伝わるのか、わからない。


「私は、あなたの助けになれると思いますか?」


その問いは、理解した、という答えも同じだった。

そして、少女はわずかに考えてから口を開いた。


「もしも君が私を助けてくれるのならば……」

一線を踏み越える気持ちで告白をする。


「君は私の子房しぼう殿だと思うだろう」


そして再び見合った二人の瞳には、同じ一筋の鋭い光が差していた。


……そう。この世界が、私たちが理想とする世界ではないならば。

……私たちが理想とする新しい世界に、作り変えればいいじゃないか。


 青年は微笑を浮かべたが、もはや、少女は朱を差さなかった。


「私の子房しぼうとは、はっきりとお気持ちを教えていただき、ありがとうございます。あなたは素直で、そして、勇気のあるお方です」


青年は改めて拱手すると、深く頭を下げた。


「曹太守、私はあなたに決めました」


子房しぼうとは、漢王室かんおうしつを作った劉邦りゅうほうを大いに助けた軍師ぐんし張良ちょうりょうのあざなである。


つづく

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