第82話 東郡・陳宮、天下平定の夢を持つ男

 山賊はすっかり大人しくなり、東郡太守とうぐんたいしゅとして内政に集中できる時間が多くなった。

東郡の役人たちは引き続き勤めている者が多い。


陳宮ちんきゅうあざなは公台こうだいも、その一人であった。


ただ一つ彼が他の役人と違ったのは、初めて会った時に「この動乱を治めるには、天下を平定するしかない」という大きすぎる目標を臆せず話した事である。


……天下を平定する?誰が?キミが?私が?


まるで雷にでも打たれたような衝撃だった。

夢のような話だと思ったにもかかわらず、しかし、逆に目が覚めたような気もした。


近頃は、迫りくる現実を乗り切るのに精一杯だった。

広がり切った動乱を治める具体案など、考える余裕もなかった。

あるいは、考えたとしても夢想の一つに過ぎないと受け流していた。


しかし陳宮は違う。

理想の未来を想い、それが途方のない夢だとしても、実現させるためには何が必要なのかを考え、実行しようとしているのだ。


彼の言葉は道標みちしるべのように心に刺さった。


その陳宮ちんきゅうが、珍しくあわてている。

そして東郡太守府庁とうぶたいしゅふちょう太守執務室たいしゅしつむしつにて、彼から報告を受けた少女も驚いた。


「野に下っていた荀彧じゅんいく君がうちに勤めたいというのは、本当なのかいっ?」


「もちろん、本当ですよ」

陳宮は喜びで緩んでいるのか、人懐っこい笑顔でうなずいた。


荀彧じゅんいく殿は、袁紹えんしょうから特別の礼を受けるほど、気に入られておりました。

しかし突如そこを辞め、このまま隠居するのかと思いきや。

ぜひ曹太守そうたいしゅにお会いしたいと、先ほど彼の使者がやってきたのです。


荀一族じゅんいちぞくは名門中の名門。

多くの名士たちとも、深い親交のある一族です。

もしも彼が勤めてくれたなら、きっとそこから人が集まってくるでしょう。


その上、荀彧じゅんいく殿は「王を補佐する才能」

曹太守そうたいしゅは「天下を安んじる者」と、共に南陽の何ぎょう殿から評価された同士です。


そのお二人が組まれる事になれば、早くにこの動乱を鎮められるかもしれません。

そうなれば再び、漢王朝が安定し、民が平穏に暮らせる日がまた戻ってくるのです。


ぜひ、荀彧殿を無事にお迎えしたいものですね」


 喜色で頷いたが、少女の心はざわついた。

陳宮がさらりと言った言葉は、はっきりいって不穏だった。


……荀彧殿は「王を補佐する才能」曹太守は「天下を安んじる者」


それに触発されたのか、思い出したのは荀彧じゅんいくの経歴だった。

彼は袁紹えんしょうに仕えていたが、その前には一瞬ではあるが、董卓とうたくにも仕えていたという……。


まるで彼と会う前から、覚悟を問われているような気がした。


つづく

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