第75話 河内郡・袁紹さまの野望!

 少女は思わず、笑い出した。


そして線が唐突に切れたように、一瞬で真顔になると、宣言した。

「私は、あなたの言う通りにはなりせんよっ!」


 その唐突な様子と返答に、男二人はキョトンと顔を見合わせてから、袁紹は前のめりになった。


「おいおい、お前らしくないぞ。落ち着け。よく考えたまえ。


今の天子は、逆臣である董卓が無理やり即位させたのだ。

いわば正統でない天子といえる。

だから民の期待を背負う我々の手で、新しい帝を即位させるというわけだ。


そして我々こそが正統な官軍となり、逆賊の董卓を攻める。

どうだ?これこそ、戦いの前にするべき重要な事だとは思わんかね?」


 少女は今まで食べたものも、勢いよく吐き出しそうになった。


……こいつら、正気か?!自分が董卓と同じ事をしようとしているのを、気づかないのか。


「……なるほど、なるほど」

世の中が混乱する事を無邪気に実行しようとする二名への怒りを抑え、なんとか作り笑顔を浮かべると、大きくうなずく。


「あなた方が、ずーっと戦わなかった理由が、察しの悪い私にもわかってきました。


まさか帝を変えて、正しき新時代を築こうとは、私にはまったくない発想でした。

心底、感服いたしましたよ」


少女の皮肉に、二人は満足そうにニッコリとうなずた。

その鈍い様子に、逆に自分の方が小馬鹿にされたような気分になり、さらに溢れる怒りを感じつつ、続ける。


「ですが本来、帝の交代は、国を破滅させかねないほどの暗愚あんぐであると国民が納得して、初めて可能なのです」


少女は怒りは隠したが、もはや作り笑顔を忘れている。


「今の帝はまだ幼く、董卓に利用されているにすぎません。

つまり、董卓を排除すれば、漢王朝も政治も、すべて元に戻るのです。


なのに、勝手にまた新しい帝を擁立ようりつしたら、二人の帝が現れる事になります。

董卓が滅んでも、さらに世の中が混乱が続くのは、目に見えている。

それどころか、絶対に次の争いの火種になるでしょうっ」

  

もはや熱く訴える少女の言葉に、袁紹は失笑し、肩をすくめた。


「よしよし、わかったわかった。

唐突な話だったから、上手く話が飲み込めないらしいな。


また後日、丁寧に説明してやるから、頭を冷やして、再度、よく考えたまえ」


袁紹はそう言うと、玉璽ぎょくじを袖の下に仕舞った。



 後日、本当に彼の使いが訪れて、丁寧な説明を聞かされた。


そして同時に聞かされたのは、袁紹の将来性の高さについてであった。

これは遠まわしに、正式に部下になるよう促されているのである。


それを察した瞬間、少女は、自分の血液が瞬間沸騰したように燃えるのを感じた。


……私が、第二の董卓に仕えるわけないだろうがっ。


ここ最近、袁紹に対する怒りが、もはや、憎悪になりつつあった。

少女は使者に断わりの返答を伝え、帰した。


 それからは、袁紹から帝擁立みかどようりつの話を聞かされる事はなくなった。


さらには彼とは微妙な距離感ができたらしく、相手にもされなくなった。

おかげで心穏やかな時間を得る事ができたが、やがて気がかりな事が一つできた。


 袁紹と韓馥かんふくの仲良し組に、張邈ちょうばくが加わったのである。

元々、袁紹と張邈ちょうばくは親友同士ではあった。


しかし、今、彼らがとくに親密になっているのには、少々落胆を感じた。


……まさか張邈も、新しい天子を擁立する事に、賛成しているのだろうか?

  


 「新しい帝の擁立ようりつは、失敗いたしました」


女官の姿をした間者は、少女にささやくような小声で伝えた。

狭い部屋で、二人は白湯を前に向き合っている。


「袁紹たちに新帝に推された劉虞りゅうぐ様は、最後には厳しく叱責し、二人を追い出したそうです。


聖人のように穏やかな方がそれほど激怒するのは、よほど珍しかったようです。

屋敷の使用人たちもとてもよく覚えており、詳しく話してくれました」


「よほど強引だったのだろうな。目に見えるようだ。

相手が皇族でなければ、袁紹は子供みたいに癇癪かんしゃくを起こしていただろう」


女官は、かすかに笑みを浮かべた。

「よくわかりますね。実際、熱くなった彼の声が部屋から漏れるほどだったそうです」


少女は眉をひそめた。


「袁紹は上品に見えて、力で圧すのが好きな男だ。


それにしても、彼の弟の袁術えんじゅつが、この企みに乗らなかったのは意外だった」


袁術えんじゅつ殿は、今の帝を庇った上「董卓を倒すことだけが目的であり、他の事は知らない」とキッパリ断わりました。


今はまだ、袁兄弟に大きな対立の兆しはありません。

ですが、この一刀両断の断わり方、根本的な意見の違いは、いつか火種になるかもしれませんね」


 少女は小さなため息をついた。

そして気持ちを切り替えるように白湯を一口飲み、口を開く。


「ところで、劉虞りゅうぐ殿とは、どういう人だったんだろう。

本当に、帝になる資格のある人だったのかい?」


「ええ、劉虞りゅうぐ殿は、正統な漢王室の血族の方です。

当然、帝となる資格があります。

そして誠実で、良識があり、忠誠心のあつい方のようです。

悪い話を聞くことはありませんでした。


自分が帝を名乗るなんて、考えられない冒涜ぼうとくだったようで、先に話した通り、その提案に激怒されました。


いまの仕事、幽州牧ゆうしゅうぼくも、素晴らしい働きぶりです。

その善政は異民族にも知れ渡り、彼らも戦わずして従うほどです。


しかしそのため、異民族討伐いみんぞくとうばつで功績を上げている奮武ふんぶ将軍の公孫瓚こうそんさんとは、関係が悪いようです。


彼は、異民族を討伐せねば、功績が増えませんからね」


「へえ……。奮武ふんぶ将軍の、公孫瓚こうそんさんね……」


少女も、反董卓軍の中では自称であるが奮武ふんぶ将軍を名乗っているので、そちらに敏感に反応した。


……それにしても、この奮武ふんぶ将軍コウソンサンという名前、どこかで聞いたな?


 少し記憶を探ると、すぐに思い当たった。


……ああ、夏侯惇かこうとんが迷子になった時に出会った不思議な三人組だ。

彼らが仕えている将軍が、奮武将軍の公孫瓚だった。

その三人組の一人も、たしかりゅう姓だったな。

同じ血族かもしれないのに、彼らも劉虞りゅうぐと敵対しているのなら、哀しい話だ。


間者が空になった自分の器に白湯を注ぐのを見て、夢から覚めたように顔を上げると、少女は礼を言った。  


つづく

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