第73話 河内郡・静かなる国盗り

 後日、王匡おうきょうは単独で進撃をした。

しかし、董卓軍の見事な陽動作戦にはめられて、ほぼ壊滅した。


さらに王匡は城に帰ると、自分の娘婿である胡母斑こぼはんを獄中死させたので、ますます渦中の人となった。

胡母斑はどうやら、董卓からの和議を持ってきたという。


なんにしろ、本来なら命を救うべき身内に殺され、胡母斑一族は憤怒した。

王匡への復讐を訴え、門前払いをされても城へ通い続けている。


 さらに後日、両軍は刃を交えた。

董卓軍とうたくぐん徐栄将軍じょえいしょうぐん反董卓軍袁術はんとうたくぐんえんじゅつの配下、孫堅そんけんが戦った。


孫堅は敗けてしまったが、すぐに袁術から兵士を与えられ軍を立て直し、戦線離脱はない。その勇猛な戦いぶりに、世間は彼に熱狂した。


 目まぐるしく変わる世界から置き去りにされて久しい、ある日のことである。

少女は袁紹えんしょうに茶飲みを誘われた。


しかも、城の庭園にある池の上に作られた小さな亭が待ち合わせ場所である。

亭に渡る橋は一つしかない。

よって、ここでの話は、他人に聞かれる事は絶対にないのだ。


 少女は浮かない顏をしていた。

今までこのような場所で聞かされた話に、ロクな内容はなかったからである。


「お前ちょっと、河内太守かわちたいしゅを殺してくれないかね」


袁紹は、香り立つ茶を差し出しながら、やはりロクでもない事を言った。

彼は落ち込んだりもしたが、いまではさらりと暗殺の依頼をするほど元気である。


 河内太守かわちたいしゅとは、王匡おうきょうの官位だ。

王匡といえば、胡母斑一族とのイザコザ真っ最中の人である。


「……まあ、わかりましたよ」

気のない返事で答えると、袁紹は屈託のない笑顔で前のめりになった。


「おおっ、珍しく、わかってくれたなっ!

お前は以前、楊彪ようひょう梁紹りょうしょう孔融こうゆうの暗殺を断ってきたから、心配だったよ。


あんな鼻持ちならない奴らは適当な理由をつけて、お前がさっさと処刑するべきだと今でも思っているぞ」


人の命と、私の事を一体何だと思っているんだ、と思いつつ、少女は黙って聞いていた。


「とにかく、今回はあっさり引き受けてくれてとても嬉しいよ。

ついでに、ちょっとやらしい事も承諾してくれたらいいのだがな?」


「王匡はたしか、胡母斑の一族に激しく恨まれていましたよね。

今でもこの城に訴えにきているとか。

その時に、城門を開いて招き入れたらよいだけなのでは?

これなら、復讐を手伝っただけです。実際、彼らには同情していますし」


「なるほど。お前らしい小ズルい作戦だ。早速、そうしろ」


「わかりました。ですが、これなら、あなた自身でもできるのではないですか?

門番に一言、開けろ、とささやくだけですよ」


袁紹は片眉を上げた。


「ばか。盟主の私が、殺人を疑われるような事ができるわけないだろう。


それにしても王匡がいなくなればスッキリする。

どっちかというと、不愉快なヤツだった。

私の前では猫をかぶっていたが、地元ではワルイ太守だったらしいし。


それにヤツは、いくら私の命令だとはいえ、親族を獄中死させた、非情の男だ。

上司の命令でも、そんな事を身内にするなんて、まともじゃない。

そんな危険人物とは、これ以上一緒に居たくないのだ」


「……」


……王匡が胡母斑を処刑したのは、こいつの無神経な命令のせいだったのか。

相変わらず、この人は何も考えていないのか、それとも……。


どす黒い驚きと、答えの出ない問いが渦巻き、少しくらくらとした。

少女はやけに良い香りを漂わせる茶を、虚しく見つめ続ける。


 かくして河内太守王匡が死ぬと、その官位と土地が、空いた。

袁紹は地図の名前を消し、独りひそかに微笑んだ。


つづく

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