第71話 河内郡・憂いの袁紹さま

 河内郡かわちぐんのとある城の執務室。

左右を護衛兵に護らせる袁紹えんしょうの顔色はとても悪い。


それもそうだろうと、軍服姿の少女は拱手したまま思う。

 

近頃、彼の叔父、袁隗えんかいが処刑されてしまったのである。

しかも三族連座、苛烈な一族皆殺しの刑だった。


 父親が早世した袁紹にとって、袁隗は育て親の一人だった。

三公という宮廷の最高位に昇り、のちに大傅たいふという帝の教育係を担当した名臣でもあった。

この名家一族皆殺しによって、改めて人々は董卓の暴虐に圧倒された。


 そして残された袁紹への同情が広がると共に、一つの噂もわき上がった。

それは、処刑執行の時間差についてである。 


 なぜ、反董卓連合が結成された時ではなく、今になって決行されたのか?


もしかして、袁紹と董卓はひそかに交渉をしていたのだろうか。

それが決別しので処刑執行、董卓軍の出撃となったのだろうか。

もしそうなら、二人は一体なにを、どんな条件で、交渉をしていたのか。


しかしその真偽や真相が明かされる事はないのだろう。

当たり前だが政治的、軍事的機密情報がつまびらかに公開される事はないからだ。


庶民、末端の兵士たちは、ただ結果だけを知らされ、憶測し、従うしかない。

……そして私も、その一人だ。

少女は渦中の人を目の前に思う。


 ただ、何が原因であろうと、目の前の袁紹が多くの身内を失った事には変わりはない。

董卓の気まぐれなのか、交渉の決別なのか、選択したのかは、わからない。

ただ、その悲惨な結果だけが目の前にあるだけだ。


袁車騎しゃき将軍におかれましては、ご心痛お察しいたします。

董卓に復讐されるならば、大変微弱ではありますが、ぜひ私も協力させてください」

そつがない挨拶に、袁紹は小さくうなずいた。


「曹将軍、董卓軍とよく戦ったな」

そのはらの底から沈みきった声色は、初めて聞くものだった。

「よく生きて戻ったな」


「……悪運だけは、強かったようです」

相手の隠さぬ傷心と、こんな時でもこちらを気遣うような言葉に驚き、少女は短く静かに答えた。

時々、袁紹という人物がわからなくなるが、今が、その時だった。

……私にとっては、複雑な人だ。この優しさが本性なのか、それとも……。


「君は、なかなか勇ましい。

寡兵で大軍を追い返したとは、見事なものだ。

いつかゆっくり、話を聞かせてもらいたいね」


「ありがとうございます。でも敗けは敗けです。兵も全滅させてしまいました……」


「そういう時もあるのだろう。

しかしお前には武運があるし、幸運も持っている。

私の兵士を少しわけてあげよう。まだ戦いの機会はある。期待している」


少女は一瞬、喜色を見せかけたが、相手の気持ちを考え、抑えた。

改めて拱手し深く頭を下げる。


「心より感謝いたします」


「顔を上げたまえ。

ふふ。酸棗さんそうでは、孤立していたらしいな。

お前の良さがわからんとは、馬鹿なやつらだ。


それにしても最初から私の元に来ておれば、誰にもお前に失礼な態度など取らせなかったものを。

まあ、これからは私のそばにいればいい。


思えば、君とは長い付き合いだ。これからも上手くやっていこう」


「ありがたいお言葉です」


「私はお前を助けてやるから、お前もよく、私を助けるように」


「御意」

ふたたび深く一礼を返すと、袁紹もまた、小さくうなずいた。


つづく

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