第70話 豫州・曹仁が仲間になる・反董卓連合の一部解散

 陽が昇ると同時に、二人は目覚めた。

清らかな水で顔を洗い、身体を軽く拭くと、それだけで気持ちがすっきりとする。


 少女は青年に借りたままの着物の裾を上げて、初春の冷たい河の中ほどまで入ると、頃合いを見て岩陰にいる魚をそっと後ろから捕まえた。

青年は大き目の石を河岩にぶつけ、気絶して浮かんできた数匹を拾う。


それら串刺しにして焚火の周りに並べてこんがりと焼いた。

香ばしい匂いが漂い、透明な油が滴り始めると二人は自然に笑顔で見合った。

そして食べ尽くす。


 昨晩洗った少女の着物は、乾いても血痕が目立つままだった。

少女はハッとして、鞘の宝飾品を一つを外し、青年に頼み事をして渡した。


彼は馬で出かけると、思いのほか早くに息を切らして戻ってきた。

待ち人の姿を見ると青年は安堵し、頼まれた物を渡す。


「いつも君には服をもらってる気がする。ありがとう」

素朴な村娘姿となった少女は礼を言った。


「気にしないですよ。

しかし着物一式だけに交換するなんて気が引けましたよ。

本来なら家一軒と交換できるそうな宝石なのに」


「今は家より着物が必要だから、これでいいのさ。

それに、この鞘の飾りの宝石や玉は、加工する時に出た破片を再利用したものなのだ。だから、そんなに高価ではないと思うけどね。


でも、いざという時には々物々交換には使えた。まるで隠し財産だね。

華美なものは好きではないけど、少し考えが改まったよ。

今度、鍛冶屋に会ったら礼を言わないとね」


細腰に佩いた二本の剣に両手を当てながら、少女は言った。



「おーいっ!元譲げんじょう殿かーっ?」


 突然、名前を呼びかけられて、青年はぎくっとした。

その方向を見ると、馬上の人が叫びながら駆け寄ってくる。

しかも彼の背後には土煙を上げる少数の騎馬隊が付いていた。


敵かとヒヤリとしたが、しかしそれが親し気に名を呼ぶわけはない。

そして聞き慣れた声ではないが、しかし、どこかで聞いた声ではある。


「……もしかして、曹仁そうじん殿かな?」

少女のつぶやきに、青年は目を見開いた。


「おおっ!そうだっ!懐かしいっ!」

青年が大きく手を振ると、馬上の若者は一段と早く駆け出し二人の前で止まった。


「お久しぶりですねっ!元譲げんじょう殿と……孟徳もうとく殿?」

若者は下馬しながら、目を見張った。

「そうさ。君と最後に会った時から姿はかなり変わったけど、よろしくね」

曹仁あざなは子孝しこうは嬉しそうな笑顔を浮かべて拱手したので、二人も返礼した。


「ところでこんな所で会うなんて、すごい偶然だなっ。

君は旅をしていると聞いたけど、その途中かい?」

元譲が問うと子孝は、フフフと笑った。


「私はお二人を探していたのです。

少ないですが、私たちもぜひ孟徳殿と合流したいと思ったのです」

彼の背後にいる騎馬隊も下馬すると、皆、礼儀正しく一礼する。


「えぇっ!本当かいっ!?」

少女は喜びより驚きが大きく、若者を見た。


「ですが、なにやら反乱を起こされたと聞きまして、龍亢りゅうこうで待っていられず、ここまで探しに来たというわけです」

「う……」

少女は昨晩の辛い出来事を思い出し、硬直した。


「私の部下は少ないですが、優秀です。あなた方を探し出してくれたのです。

それに、お二人が無事という早馬も、曹洪そうこう殿に出しました」


「おおっ」

少女と青年は思わず感嘆の声を上げた。

「すごい手際の良さだっ」

若者は少し得意げな表情になると、口を開いた。


「フフッ。実は私も、世が乱れてから仲間を集めて軍隊の真似をしておったのです。

ですが、最近、あなた達の評判を聞きましてね!


かなり、イカれ、いや、ムチャな戦いをすると聞いて、我々もあなたの仲間になりたいと思ったのです。


孟徳殿は宮廷に勤めておられたので、きっと上品で危なげない戦いをするのだろうと思い込んでいた自分が恥ずかしいです。

私も全滅するほどの死地を経験してみたかったですよ」


イカれ、いや、ムチャな戦いをすると言われた少女は、思わず苦笑いした。


「その機会はこれからも十分あるさ。

なんせ私の軍は、兵士がいないんだからね。また募兵して、訓練からやり直しさ。


しかも状況は緊迫している。

もしも董卓軍と戦う事になれば、あっという間に殲滅される事もあるかもね」


「ははっ、やはりあなたは私のわが君にふさわしい人です。

普通ならば、もう故郷に帰ってすべてを忘れるものですよ。

なのにまだしつこく戦場に戻ろうというのですから、その思考回路は特別ですよ。

改めて、ぜひ私たちもあなた達の仲間に入れて下さい。よろしくお願いします」


若者は恭しく膝をつくと、深く頭を下げた。


「立っておくれ。こちらこそ、よろしくお願いする方ですよ」

少女は慌てて彼の腕を取って立ち上がらせると、その顔を見上げた。


「まったく、奇妙な、いや、ありがたい話だ。こんなひどい状況の私を助けてくれるなんてね。

君も相当、イカれ……いや、寛容な人だね」


その言葉に若者は歯を見せて笑うと、無邪気な少年の面影がすこしのぞいた。

共に遊んだ幼い頃を思い出し、少女も一緒に笑った。


 やがて、曹仁の伝達を受けた曹洪そうこうも、駆けつけた。

 彼は反乱に参加しなかった兵士を五百名ほど連れて来たので、皆、喜んだ。

とくに少女は飛び跳ねんばかりに感激した。


あの場の兵士たちは、全員、逃げてしまったと思っていたのである。

見捨てられたとひどく嘆いていただけに、人数など関係なく、残ってくれた兵士たちにひたすら感謝をした。


 曹洪は、再会した際に頭を地につける勢いで謝ったが、裏切った兵士が全て悪く、謝罪の必要はないと、少女はあわてて彼を立ち上がらさせたのだった。


少女はすっかり元気になり、機会を見ては兵士一人一人をねぎらうように声をかけ、酸棗さんそうへの旅路を急いだ。


 その途中で、間者から酸棗さんそうの反董卓連合が解散したと聞き、少女たちはひっくり返らんばかりに仰天した。

どうやら毎日宴会をしていたせいで、兵糧が尽きてしまったらしい。


「ど、どうしましょうか?」

問われて、少女は考えるまでもなく答えた。


「酸棗は解散したけど、盟主である袁紹の率いる連合軍はまだ健在だ。

だから袁紹の所へ行って、そこに加えてもらおう。……今から強烈に憂鬱だけど」


 反董卓連合の盟主、袁紹えんしょうあざなは本初ほんしょは、今は河内郡に陣取っている。


つづく

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