第68話 豫州・新人兵士反逆中!

 長江を渡ってから、三日後。

合肥がっぴ寿春じゅしゅんという城塞都市を通り、龍亢りゅうこうというさびれた土地に到着した。


 夕暮れの空に数羽の鳥が横切っていく。

かすむ地平線の上に、小規模な軍営の影が見えた。

曹洪の竹簡に記された場所を確認してから、少女と青年は駆け寄った。

兵士たちに声をかけると、すぐに責任者が呼ばれてくる。


「ご無事で何よりでした。やれやれ、やっと合流なのですねぇ」

苦笑いをしながら、曹洪子廉そうこうしれんは二人を迎えた。

三人は拱手も忘れ、抱き合わんばかりに再会を喜んだ。


 各部隊長を集めると、主人となる少女を紹介した。

明日の朝に全兵士たちを集めて挨拶をする事にして、その後は三人で食事を摂り、それぞれの幕舎で眠った。


 不意に、目が覚めた。


どれほど眠ったのかわからなかったが、周囲はまだ暗い。


異様に目は冴え、意識は鮮明だった。

寝る時にいつも握っている剣を、確かめるように強くつかむ。

まるで今まで起きていたように、身体の反応も良い。


 ひそやかな足音や物音が聞こえてくる。

息をひそめて、耳だけで外の様子をうかがう。

護衛兵が見回っているのとは違う、不規則なざわつきだった。

 

 闇の中で素早く髪をまとめて冠に収め、剣を佩き、素足に軍靴を履く。


その時、突如、炎が投げ込まれた。

寝具の布でそれを防いだが、すでにそれにも燃え移っている。

熱と煙が充満する幕舎は急にぐらつくと、呆気なく倒壊してしまった。


 燃え盛る布の盛り上がりに数十人が一斉に群がると、剣や槍を突き刺した。

中には鎧姿の用心深い反逆者もいた。


どれが獲物かわからず、それらしき部分を見つけては、狂ったように刺し続ける。

大部分の者はそのように、狂乱と興奮に憑りつかれ、周囲に注意を払っていない。

一部の兵士が静かに切断されている事に、気が付かなかった。


 突然、悲鳴が響き、皆、一斉に目を向けた。


いつの間にか、獲物は逃げ出していたらしい。

無駄な抜き刺しの徒労を取り返そうと、兵士たちはそれを追うために駆けだした。    

 相手は一人。

こちらは多勢、武装兵もいる。どう考えても、負ける要素がない。

槍で一撃にするか、ゆっくりなぶりり殺しにするか、迷い所だ。

弱者は狩られて奪われる。基本的な法則だ。


 闇の中を走る血塗れの着物の少女を追う。

いくら足が速いといっても、男の脚力には劣るらしい。

捕まえようと腕や武器を伸ばす。


 一閃、白い光が輝いた。

途端、腕と武器の破片が飛び散り、次に闇よりも漆黒が閃き、幾人の腹が裂けた。


ねばついた水音とともに、裏切りの兵士たちは倒れる。

そして彼らは一拍遅れてきた激烈な痛みに襲われて、気を失う者と、迫る絶望の死に悲鳴と苦悶の声を上げる者とに別れた。

暗黒の地面に、そのような兵士たちが次々にのたうち回る。


 惨状に怖気づき、逃げ去る者も出たが、自分ならばと逆に躍起になる者もいた。狩猟本能の言いなりに命でさえ投げ出して、ただ走る。


 血塗れの少女は濁った眼をして、兵士たちと対峙した。

四方から間合いに入る者たちを、ただ反射的に殺傷していく。

流れ作業のように躊躇もなく、わざと即死させないように体の一部を斬り取り、その苦しむ姿に一瞥もくれない。


その陰惨な殺戮の最中だった。


――まずい、と思った瞬間、大きな火花が散った。

その光の中で、相手と視線が合う。


白銀の剣を弾かれ、黒刃の剣は止めようと思うが、すでに勢いがつきすぎ、無理に身体をひねって軌道を逸らす。

そのはずみで、無防備によろけた。


「あっ、すみません。大丈夫ですか?」


夏侯惇、あざなは元譲は謝ると、少女の腕を持ち、立ち上がらせた。その落ち着きようが、逆に癇に触る。


少女は刃が欠けてしまった自分の剣を苦々しく見て、つぶやいた。


「お前、ふざけおって……。

見ろっ。斬鉄剣同士でぶつかって、刃がボロボロになったわ。

こんな剣では、裏切り者たちに報復できんではないかっ。

いや、身体に引っかかって、痛みが増すかな?」


「もう、そんなにのんびりしてる場合じゃないですよ。

ここには重武装もあるんです。それを持ち出されたら面倒ですよ。逃げましょう」


だが相手は拗ねて、ムッと横を向いたので、結局、青年は少女を小脇に抱えて走り出した。

口笛を吹くと、逃げるために用意していた馬が兵士をはね飛ばして寄ってくる。

「やあ絶影。もっときみの度胸と力を見せておくれ」


言いながら馬上の人になると、いきなり襲歩の合図を送る。

とたん、まるで身体が置いて行かれるような瞬発力で駆けだした。

集まりかけていた武装兵までも体当たりで踏み倒し、あっという間に死地を抜ける。


 荷物のように小脇に抱えられていた少女は、後ろに移動させた。

すると急に青年の背中に抱きついてきた。

「あっ、すみません、今はあまりくっつかないでほしいのですけど。

今のあなたは、血塗れ過ぎです。

その汚れと匂いをつけられるのは、すごくイヤなのですけど」


しかしまったく離れる気配がなく、青年は諦めて河まで移動した。


「さあ、その身体と着物を早く清めてください。

そしてもう、少しでも寝ましょう」


 自分が下馬して離れると、次は馬に抱きついて動かない少女に声をかける。


「ではお好きな時に水浴びしてくださいな。

私は、焚火を作っておきますからね」


 歩き出すと、突然、後ろから上着を引っ張られて驚き振り向いた。

血みどろの少女は顔を伏せたまま、剣を青年に差し出し預けると、とぼとぼと河に向かっていった。


 まだ夜は肌寒い、夜の河のほとりである。


星を映す河の輝きと、自分の夜目を頼りに流木を拾う。

時々、少女の様子を垣間見つつ、焚火を作る。

少女は着物を着たまま、ざぶざぶと河の中で動いていた。


 焚火の勢いが安定すると、不思議と安堵した。

先ほどまでの喧噪がまるで別世界のように、穏やかな光りと暖かい空間が、小さな自分を包み込む。

耳には、河のせせらぎと、少女が身体や着物を洗っているらしい変則的な水音も心地よい。時々、火花を散らして流木が爆ぜた。


 いつの間にか、うたた寝をしていた。

気配がして目を開くと、少女は全裸で正座し、沈鬱な様子で焚火に手をかざしていたので驚いた。

「うわぁ……」


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る