第67話 建業・新人兵士募集中!

 建業けんぎょうは大陸の南に位置しており、すでに初夏の陽気が漂う。

その中を馬で駆けてきた陳温殿は、額に汗をにじませていた。


「はじめまして、孟徳もうとく殿。お会いできて光栄です」


 拱手する陳温ちんおん殿は、壮年の長身痩躯、細い腕をした文官らしい男だった。

彼の屋敷の応接の間で一人待っていた軍服の少女も立ち上がり、礼を返す。

 話しをするうちに、彼はふと、微笑んだ。


「あなたは、子廉しれん殿が話していた通りの方なのですね」

冷たい茶を一口飲み、陳温殿は曹洪のあざなを親しみを込めて呼んだ。


「彼はえらくあなたの才能に惚れ込んでいるようです。

あのドケチな男が、惜しみなく金を使い私に頼んでくるなんて、初めてでしたからね」


ふふっと思い出し笑いをしてから、またすぐに相手を真摯に見つめる。


「身内のひいき目かと思いましたが、しかし、あなたと話してみてそれだけではないと、私もなにか、感じました。


彼は金を増やすのが上手いが、そのせいか、人を見る目は人一倍厳しい男です。

その彼が手放しで推すのですから、私もあなたに賭けてみようかなと思います。


ぜひ、私の兵士を、董卓を討つために使ってみてください。

それで多くの人が救えるのなら嬉しい事です」


 少女は瞳を輝かせ、わずかに頬を赤くした。


「感謝いたしますっ、陳温殿。

まさかこんなにすぐに承諾してもらえるなんて、思ってもいませんでした。

あなたの決断力と、世を憂うお気持ちは、決して無駄には致しませんっ」


少女は座ったまま、深く礼をした。


「頭を上げて下さい。私の力など微力ですよ。

曹洪殿の功績です。彼にぜひ感謝をお伝えください。


兵士たちはすでに彼にあずけました。

もしもあなたが怪しい人物なら、兵士は曹洪にだけ使ってもらおうと思ったのです。


ですが、ぜひ、あなたにも使っていただきたい。

彼に会ったら、この書を見せて下さい。

それで契約は成立です。


それから、こちらは曹洪殿の伝言です。お渡しします」


二つの竹簡が手渡されたあと、二人は拱手し一礼した。


「それでは、子廉殿によろしくお伝えください。

あなたたちのご武運をお祈りしております」



 彼の屋敷を出ると、早速、少女と青年は竹簡を確認した。

曹洪の伝言には、次に訪ねる街と、とある名士の名前が記してある。


しかしそこは、昨日の劉備青年も募兵に行くと言っていた丹陽たんようという街だったので、二人は苦い顏で見合った。


丹陽に入ると、こそこそと人気のない道を選び、そそくさと名士の屋敷を訪ねる。

ここでも曹洪の口添えが功を奏しており、陳温殿と同じように快諾の言葉を伝えられ、用事は呆気なく終わった。


 さらにここでも新たな曹洪の伝言の書を渡された。


 それによると曹洪殿は「私兵千人、精鋭武装兵二千、丹陽の兵を数千人預かり、譙県しょうけんへ向かっている」という。

途中、野営予定の土地の名も記されていた。 


 譙県へ戻るには、再び長江を渡らなくてはならない。

建業へ戻らずとも、小規模ながら港のある町はいくつかある。

その一つで宿を取ると、日暮れと共に眠った。

 

 夜明けと共に起きると、大型船ではないが、馬と共に乗れる船でふたたび北の大陸へ戻る旅路についた。


帰りは、なぜか寂しい。

いつかまた、長江をのんびり旅したいものだと二人は思った。


 船から降りると、ひどい寒気に襲われた。

北へ戻ったのだから当たり前かもしれないが、また戦場へ、現実へ戻ってきた、という気持ちも、いくらか体温を下げているような気もする。


 そういう下がる気持ちが呼び水になったのか、少女は、曹洪の敏腕ぶりに自分の無力さをじわじわと痛感し、心が沈むのを感じていた。

幼稚だとわかっていても、落ち込み始めるとどうしようもない。

とにかく、ひどく気が滅入る。


「では、どうなれば気分が良くなるのですか?」

 元譲は尋ねた。


「そりゃあ今回の兵士募集は、ほぼ曹洪殿が集めてくれたようなものです。

すごいですよ。


でもその曹洪殿と、私や、夏侯淵君などは、あなたが集めたのです。

じゃあ、あなたもすごいじゃないですか?

それとも、私たちだけでは物足りないという事ですか?」


「まさか、君たちは私に勿体ないと思ってるよ。とてもありがたいよ。

でもその、これはまた別の話さ。

私だけでは、きっとこんなに手早く兵士を集める事はできなかっただろう。

その事が、なんだか悲しくなったんだよ」


そう言うと、ふたたび思い悩むように視線を宙に向けた。


「曹洪殿を尊敬したよ。

彼は金を増やすのが好きなのもあるだろうけど、日頃から情勢など関係なく、多くの名士と交際していたんだ。

その貴重な人脈を、私の為に使ってくれている。

私ときたら、最初から衛茲殿の時から、ずっと人に頼ってばかりだよ……」


「あれ、またさらに気分が重くなったのですか。

まあ無理に誤魔化すより、沈む時はとことん沈むのもいいのかもしれませんね。


でも、董卓を討てば、こういう悩みからすべて解放されますよ。

だからこの落ち込みも、一時的なものと考えてはどうです?


ただ、もしかしたら、戦いが長期間になる場合もあるかもしれませんね。


ですが、その時はきっと、あなた本人を信じて、集まる人が出てくると思います。

だって反董卓軍の中でまともに戦おうとしているのは、今はあなた一人だけなんですから。


まだ、あなたのその信念や強さを知らない人が多いだけです。

だからそんなにめげずに、今は自分のやれる事を頑張りましょう」


つづく

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