第66話 長江・ぶらり船旅・南の大都市、建業へ

 三階建ての大型往復船には夜明けと共に人と荷物と馬がどしどし積み込まれる。

まるで小さな村が丸ごと移動するような混乱ぶりである。

この喧噪から逃れたければ、上階への階段を守る船員に銭を渡すといい。

そこは下階の混雑とは別世界で、静かに船旅を満喫する人々が過ごしている。

この船の中は、まるで世界の縮図だ。


 甲板に出ると、まだ朝靄あさもやが漂う長江が一望できる。

ゆっくりと流れ去っていく景色に、心を奪われた。

 切り立つ渓谷は遥かに高く、頂点は霞んで空と同化している。

そのそばを通る時にはこの大型船さえ枯葉のようで心許無こころもとない。

深く濁った大河は、ときに荒く波立ち、重く渦巻いた。

ふと、恐怖を感じて目をそらす。

 

 隣にいる少女の髪が滑らかに波風に揺れていた。

風は冷たいが、爽やかだった。


「昨晩の事は、思い出しても寒気がするよ……」

少女が突然ぽつりとつぶやくと、青年も思い出したようにうなずいた。


「世の中は狭いという事ですね。

まさか董卓に任命された奮武ふんぶ将軍の関係者と出会うなんて、大当たりです」


「大当たり?大外れだろ」

無職だと軍隊は動かせないので袁紹から任命された、いわば、奮武ふんぶ将軍の少女は顏をしかめる。


「でも、怖いもの見たさなのかなあ。

私も劉備玄徳りゅうびげんとく殿と話してみたかった気が、しないでもないんだ」


「それはよろしくない傾向ですよ。好奇心が強すぎるのは危険を招く元です」


「そうかもね。ほどほどにしよう。

ところで、劉といえば皇族の親類かもしれないと思ったんだけど。

そういう話はしなかったのかい?」


「ええ、まったく。

基本的に、劉さんが知る揚州の美味しい飯屋と、見ておくべき観光地の話、あとは今まで食べた中で美味しかった飯屋を紹介しあいました」


少女は露骨に幻滅したような目をして青年を真正面から見上げた。

「ばかか、キミは」


「え?!」

青年は軽く驚愕した。


「なんですって?!じゃあ、逆に聞きますけど、私が劉さんと話をしていた時、ご自分は何をしてたか、当然、覚えてますよねっ?」


「……えっ?」

誤魔化すように愛らしくきょとんとした少女に、青年は逆にムッとした。


「あなた、ずっと寝てただけだったでしょうっ。

そんな人が偉そうに、文句なんて言うのはおかしいと思うんですけどね。

そもそも、あなたが起きていたら、あの三人と絡む事もなかったのです。


それにですよ。

向こうの素性を聞けば、こちらもいろいろと話さなければいけません。

もしも私たちが反董卓派だとバレたら、あのニコニコの劉備殿と殺傷沙汰になったかもしれないんですよ。想像しただけでも恐ろしいっ。


とくに、私は嘘が下手なのはご存じですよね?

なんだか、劉備殿って、ニコニコしてるけど、どこか鋭い人だったんです。

私が誤魔化して話をしても、きっと見抜かれたと思います。

そういうのを自分でわかっているから、私は必死に、飯屋の話をしていたのですっ」


「わかったわかった、私が悪かったよ、そろそろ勘弁しておくれ」


そう言われると青年はハッとして、小さく謝った。


「まあ、お互い彼らの事は、早く忘れるとしよう」

「ええ……」

そして二人は、しばし無言で風景をただ見つめていた。



 やがて船は揚州の中心都市、建業けんぎょうに着岸した。

陸上を馬で移動するよりも、驚異的に早い到着である。


 港には漁船を含め、数えきれないほどの船が浮かんでいた。

中には見た事のない構造の船や、異国の言葉も聞こえてくる。

大運河の貿易港は目にも耳にも珍しいものが多い。


馬で街の中心部へ向かった。

曹洪の伝言通りにまずは揚州刺史の陳温殿に会いに、彼の私邸を尋ねた。

話が通っているらしく、使いが言うには行政府から馬を飛ばして戻ってくると言う。


つづく

 

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