第65話 揚州・ふしぎな三人ぐみとの別れ

 劉備玄徳りゅうびげんとく青年は慎ましい男だった。

おしゃべりでもなく、寡黙でもなく、心地のよい話し相手だった。


 もしも彼が公孫瓚こうそんさん奮武ふんぶ将軍の関係者でなければ、とても楽しい時間を過ごしたのだろう。


 敵ではないのかもしれないが、味方でもないかもしれない相手である。


頑張って当たり障りのない雑談をして進んだが、元譲げんじょうは常に緊張感に苛まれていた。

 目的地の歴陽れきようがやけに遠く感じられる。


やがて瑠璃色の夕暮れに気の早い星が輝きだした頃、やっと街の松明が見えた。

元譲はそっと、安堵のため息をつく。


 歴陽れきようの街は、雄大な長江を渡ろうという旅人であふれかえっていた。

食堂や宿屋は大きな声で呼び込みを行い、街のにぎわいに拍車をかける。

屋台では大河で取れた魚を丸焼きにして、良い匂いで客を誘った。


街は、明るく楽し気だった。

都から遠く離れているせいか、董卓の暴政の陰鬱が感じられない。

平和だった頃の帝都洛陽の残像を見ているようでもある。


 親切な事に、劉備青年は建業行きの船着き場まで案内してくれた。

港も想像以上に広かった。

劉備殿の気遣いがなければ、ここでも迷子になっていたかもしれない……。

元譲は自然と微笑み、丁寧にお礼を伝えた。


 ……それに、やっとこれで、このふしぎな三人ぐみとは別れられる。

 これも、つい笑みがこぼれる理由の一つだった。


 それはまったく、奇妙な気分だった。

心地よいとまで思う相手と、今では一刻も早く、別れたい、離れたいと思っている。

理由は単純、彼らが奮武将軍関係者なのと、そして自分がとても疲労しているからだ、と思っている。

とにかく、早くこの三人と別れたい……異様に……。


「それでは皆さま、ここらあたりで……」

元譲が控え目に別れの挨拶を切り出そうとした時だった。


今まで眠っていた少女が、大きなあくびをしながら伸びをして、目覚めた。


そして、寝ぼけた目で、隣の馬上の見知らぬ青年を見ると、ハッとした。


「おや。どなたか知りませんが、お恥ずかしい所を間近で見せてしまいました。

すみません」


「あはは、いいえ。

こちらこそ、思いがけず無防備なお姿をついまじまじと見つめてしまって、失礼いたしました。

それでは、元譲殿、またどこかでお会いしましたら、何卒宜しくお願い致します」


「いえ、こちらこそ、今日は大変お世話になりました。ありがとうございました」


二人のやり取りを聞いて、少女は自分を抱えている青年を見上げた。


「おや、この方達は、君の知り合いなのか?何をお世話になったのだ?」


「困っている所を助けていただいたのだ。

その、君が寝てて起きないから、道の途中で困ったんだよ」


「ああ、迷子になったのか」

一瞬で察すると、少女は隣の青年を見た。


「この度は私たちを助けていただいて、ありがとうございました。

もしよかったら、お礼でお食事をごちそうさせてください。

ご一緒にどうですか?」


 元譲は思わず漏れそうになったうめき声をかみ殺した。


「おお、本当ですかっ?

私も、あなたとお話をしたいと思っていたのです。ぜひご一緒に……」


「いいえ。結構ですっ」

劉備青年の背後から、やけにキッパリとした声がして、皆思わずそちらを振り返った。


今まで黙って付いてきていた二人のうち、とても恰幅の良く、そして、艶めく美しい髭を持つ青年がじっとこちらを見返していた。


「私たちは、私たちのお金で食事をします。

この度は、ごちそうされるほどの世話はしていませんから、お気遣いは結構です」


少女はキョトンとしたが、すぐに気を取り直して答えた。


「これは失礼をいたしました。

事情を知らず、気遣いの足りない事を言いました。申し訳ありません」


「いえいえ、その。

こちらこそ、せっかくのご親切に、失礼を言いました。

では、おごりはなしで、ご一緒にどうですか?」


「あぁっ!そうだっ」

元譲が明らかに不自然に会話に割り込んできたので、全員が驚いて彼を見た。


「この方のご紹介が遅れてしまったね!ひどく失礼な事をしてしまっていたよっ。

こちらは公孫瓚こうそんさん殿、つまり、奮武将軍っ!の所属の劉玄徳殿と、そのお連れの方なのですっ」


元譲は大きな声で、わざとらしく、とくに奮武将軍を強調した。


「あ、ああ……。こちらこそ名乗りが遅れて、失礼したしました。

連れは、髭のある方が関雲長と、もう一人が張益徳という名です。何卒よろしくお願いいたします」


劉備青年も軽く動揺しつつも、にこやかに二人の名前を紹介していたが、その間、少女は氷ついたように固まっていた。


「……お、お、お、それは、それは」

再起動した少女は、わざとらしい満面の笑顔を浮かべ、何度かうなずいた。

しかし突然、頭を両手で押さえてうつむく。


「あっ、いたいっ。持病の頭痛がぁ……。

すみません、大変名残惜しくはありますが、ここでお別れしましょう。

それでは、皆さま、ごきげんよう。ありがとうございましたっ」


「本当に大変お世話になりましたっ、ありがとうございましたっ。

いつか、お礼ができる日まで、さようなら。

おお、あなた、頭大丈夫かい?よしよし、いたいっ嚙まれたっ」


「は、はい。失礼いたします……」

二人がいそいそと雑踏に消えたあと、劉備青年は軽くため息をついた。


「おい、あの二人は明らかに、金持ちだったぞっ。

もしかしたら、私たちの囲いになる可能性があったかもしれないのに。

前から言っているけど、気位が高すぎるのは良くないぞ、雲長君っ」


「すみません」


「まあでも、食事を断られた原因は全て君のせいというわけじゃないな。

あの小娘が、なにか察したせいだ。

見かけはぼちぼち可愛かったけど、中身はありゃあ、可愛くないね。

勘のいい女は嫌いだ。あと芝居も雑だったし」


「あのお、すみません、玄徳兄さん」

控え目な声がした。

今までずっと口を開かなかった、まだ少年の面影が残る男子だった。


「どうしたんだい、益徳君」

「お腹が、すごく空いて、つらいです……」

しょんぼり言う姿に、玄徳青年はあははと笑って、頷いた。


「俺もだ。やたら腹が減ってるよ。お上品な会話に笑いを堪えてからかな。

ま、逃した魚の事なんてさっさと忘れて、食べて飲んで、良い明日が来るようにさっさと寝ようぜ!」


つづく

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