第62話 酸棗・見えない思惑・ありがたき曹洪殿

 少女は目をパチクリとして彼を見ていたが、小さくうなずいた。


「たしかに、そう言われると不思議だな。

忘れていたが、彼らは同じ目標を持った同士だった。


……という事は私だけ、みんなが見えてる何かが、私だけ見えてないって事か?」


「もしかすると、今、君の数少ない短所が発動しているのかもね」

青年は気づかうように控え目に言った。


「君って、目の前で起きた出来事への対処は抜群さ。

でも、起こるかもしれない出来事を予想するのはちょっと苦手だよね。

ま、私はどっちも苦手だから、偉そうに言うのは悪いけどさ」


指摘され、少女は再び目を見開いた。


「いや、たしかにそうだ。だから言われてもいいのだ。

そしてもしそうなら、この問題は考えても空回りするだけで時間の無駄って事だっ」


諦めるの早っと、青年は相変わらず少女の判断の早さというか、せっかちぶりに驚く。


「今は、ほかの問題もたくさんある。

なにより私たちの軍は壊滅したのだ。兵士がいなければ軍隊として成り立たん。

募兵しに行こうと思っている」


「あ。それなら、揚州に知り合いがいるんだ。一緒に行かない?」


いつの間にか子廉は寝転んでくつろいでいたが、この話題には乗ってきた。


「えっ。子廉殿、そんな当てがあるのかい?」

少女は身を乗り出し、彼を見つめた。


「ええ。こう見えても私、なかなか顔は広いのですよ」


「さすがだねっ。君の一族はすごい資産家だもんな」

元譲も尊敬の眼差しで見つめてくる。


「まあね」上機嫌で答えた。


「よしっ、じゃあ、今から行こうよっ」

少女はすっかり気持ちが切り替わったようで、満面の笑顔が続く。

「いいですよ」


「え?ちょっと、待ってよ」

立ち上がって去ろうとする二人に、元譲はすがりついた。


「なんだよ、気持ち悪い、気安く触るな」


「君たち、揚州まで、私の馬に速度を合わせてくれるんだろうね?

君たちの馬は異常に早い過ぎるんだよっ。


ここに来る時みたいに好き勝手飛ばされたら、また私が置いてけぼりになる上、汗だくになってしまう。

私の馬だって遅くはないはずなのに、まったく追いつけないんだから。

私が困っちゃうだろっ。


いやまて、揚州までの遠出でそんな事されたら、汗だくどころじゃない。

完全に離されて、迷子になってしまうだろうよ!」


子廉は露骨にイヤな顏をした。


「じゃあ、あなたは留守番してたらいいんじゃないですか?

私と孟徳殿で二人旅してくるので、あとはよろしくね」


そのとたん、青年は身を乗り出した。


「女好きの君と二人旅だなんて、許せるわけがないでしょうがっ。

馬を潰して昼夜駆けてでも、しつこく付いて行くからなっ病的にねっ」


「わかったわかった。君に合わせるから、怖い事を言うのはやめろ」

そういう少女の顏を、子廉は不可解な表情をして見た。


「えっ?こいつの馬に合わせたら、倍は時間がかかりますよ?」


「別にいいさ。そもそも元譲の言う通り私たちの馬が早すぎるのも確かだし。

平均的な日数で進めるなら、それで問題ない。

それより、こいつがこう言い出したらもう絶対に付いてくるんだ。

やり取りは時間の無駄だ。

のんびり行こう」


子廉は肩をすくめた。


「やれやれ、小さい頃からあなた方は変わりませんな。

何だかんだで、表裏みたいに一揃えになりたがる。

では私はめんど……いや、時間がもったいないので、先に行って手回しをしておきます。あとから来て、合流しましょう」


 少女は唐突に子廉の様子をうかがうように視線を合わせ、小声で言った。


「あれ、子廉殿、怒ったのかい?呆れたか?」

尋ねられた青年はキョトンとしてから、あははと笑った。


「まさか。そんな余裕のない人間ではございませんよ。

あなたって時々、やたらに人に気を遣いますね。宮廷時代の上品なクセですか?」


青年はまだどこか自信なさげな目の色をしている少女を珍しいように見つめ、からかった。


「いや、君が思ってるより、私は小心者というだけさ。

酸棗さんそうに見捨てられ、さらにキミにまでと心配になったのだ。

さすがに私も心が弱っとるのじゃ。

君が心の広い人で良かったよ。ありがとう子廉殿」


はにかんだ笑みを返す少女が、もしも軍服姿でなかったら、もっと甘美な瞬間だったかもしれない。

と思ってから、この少女の中身が自分より年上のおっさんだったと思い出し、子廉は夢から覚めた。


つづく

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