第60話 譙県・目覚め

 奇妙な感覚だった。


目が覚めている感覚はあるのに、まぶたが重く、開くことができない。

手を動かそうとするが、指先が動いているのかもわからない。

耳には、遥か遠くから、もしくは水の中で聴くような、籠った音が響いている。


 しかし、自分が今まで、どこで何をしていたかを思い出したとたん、少女は勢いよく身を起こした。


「わあ、びっくりした。良く寝てたから、元気になったかな。気分はどう?」


 片付いた部屋と、自分には大きすぎる寝具が目に入る。


 開け放たれた窓の外には、青空と淡い色の花をつけた木々が見え、小鳥たちの囀りも聞こえた。

心地よい風が頬を撫ぜ、思わず深呼吸をする。


 よく知る声は確かめるまでもないが、夏侯惇、字(あざな)は元譲で、熱心にこちらを見つめていた。


「やあ……。元譲殿。ここはどこだ?」

その声は、かすれていた。


「譙県に戻ってきたんだ。ここは曹洪殿の狩りで使う時の別宅さ。

彼の所有の山の中にあるから、外部の人は知らない安全な場所だ。


君は、滎陽で肩を矢で打たれて気絶して、それから二日間も眠ったままだったんだ。

心配したよ。

縫い傷だけど、大人しくしてたから、わりと塞がってきてるよ。良かったね」


そう聞いたとたん、少女は知らぬ間に治療された自分の身体を見て、顏を赤くした。


「私は、気絶してしまったのか。恥ずかしい……」


「ふふ。まあ、あの日は徹夜でほぼ休憩なしの丸一日、殺し合いという重労働をしたんだもの。

気絶するほど疲れても当然さ。

刀身だってボロボロに刃こぼれしていたよ。よく、折れなかったものだ」


「私の剣はどこに?」


「研いでおいたよ。そこにある」


寝台の脇に立てかけられてあるのを見ると、少女はそれを取ろうと手を伸ばした。

そこでやっと、自分の手が相手に握られている事に気が付き、無言でサッと引っこ抜いた。


そして二振りの剣を丁寧に鞘から抜いて刀身の輝きを確かめると、安堵の息をついた。


「……私はさみしいよ……」

「まるで構ってもらえない犬みたいな目だ」

そう言うと腕を広げて相手を招き、軽く抱き合うと、少女はすぐに離れた。

本当に犬みたいな扱いなのだが……と青年は思ったが、口にすると悲しみが倍増する気がして、やめた。


「今はどうなってるんだ?

徐栄は?キミ以外に誰が生き残ってるんだ?酸棗はまだ宴会してるのか?」


元譲は少し目を伏せた。


「ああ……。

まず、衛茲殿と鮑信殿の弟君は、戦死されました」


その言葉に少女は一瞬、呼吸が止まった。

そして大きく息をつくと、彼と同じように目を伏せた。


「それは、とても、悪い事をしてしまった……」


「あとで、丁寧にお供養をしましょう。

皆、我々に味方してくれた数少ない恩人です。


……それと、次は徐栄将軍ですが」


青年は静かに続けた。


「長安に引き返しました。

もしもしつこく追われていたら、私たちは確実に死んでいたでしょう」


少女は無言で小さくうなずき、自分たちの運の良さに感謝した。


「ただそれがわかったのは、ここに到着してからでした。

逃げている時は、もう情報を探っている余裕もなかったのです。


そして、逃げている途中、当たり前ですが歩兵たちはバテてしまいました。

無理させても無駄死させるだけなので、希望者は家に帰してしまったのです。


徐栄軍が追ってこないと早くわかれば、ゆっくり移動して全員連れて来れたのですが。

勝手な事をして、すいませんでした。


あ。あと、酸棗ですが、今も宴会しているそうです」


ずっと神妙な顔で頷いて聞いていた少女だったが、最後の一言に、身を乗り出した。


「えっ?董卓が攻めてくるとわかったのにまだ宴会してるのか!?

逆にすごい精神力じゃないかっ?」


「命を懸けた宴会ですよね……」 


「わけがわからないな。ま、あいつらの精神力など、どうでもいっか。


それよりっ聞いておくれっ。私はまた、新しい董卓包囲網を思いついたのだっ!」


「えっ?は、はあ……」

唐突に満面の笑顔で言う少女に、青年は気後れ気味に返事をした。


「状況は切羽詰まっているわけだし、ぜひ酸棗の皆にこの作戦を採用してほしいのだがっ!」


少女は期待で目をキラキラとさせると、早々と寝具から抜け出した。

 

つづく

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