第56話 バトル・オブ・滎陽~夕方~

 薄闇の中で、徐軍は突然、藪から矢を大量に受けて慌てた。

将軍旗の周囲の兵まで、次々と射殺されていく。


すぐに盾を持つ兵士が、何かを守るように隙間なく並び始めた。

その中央には針山のような槍先が集まり、揺れている。


……徐将軍は、逃げる暇も隙もなかったはずだ。

あの囲いの中心に、いる。


ふと目に、兵士の長い槍が目に入った。

「ちょっと貸しておくれ」

少女はそれを持つと、早足で前に進んだ。

……小さい頃にこれで壁を乗り越えてたけど、今の体重なら、できるかな?


 木々と藪を抜けて、目の前が開けると全力で駆ける。

そして、倒れる敵の兵士の合い間に地面を見つけると、槍先を突き立て飛び跳ねた。

柄を軸にして身が宙に浮くのを感じる。

……おおっ子供の頃を思い出すのじゃ。


そして勢いをつけて、槍の柄から手を離す。

落下位置が、盾の囲いの先の槍の針山の上だとわかると、少女は微笑んだ。

空中で細腰の左右の剣を抜刀し、強く上半身を捻ると一閃して地に着地する。


 奇妙な、静寂だった。


 徐将軍を始め、誰も、微動だにしない。

ほぼ音なく、両手に剣を持った女の子が空から振ってきたのだ。

顔を伏せているが、その華奢な体つきで少女だとわかる……。


 突如、停止していた時が動き始めたように、金属音と共に周囲に小さな銀色の輝きが降り注いだ。

それは、さっきの一閃で斬られた槍先だった。 

そして槍先を奪われた兵士たちは、首をも奪われており、血煙を吹いて倒れ始める。


 唐突な惨劇で恐慌状態に陥った兵士たちが逃げ惑った。


しかし、自分たちを守るために立てたはずの盾の囲いに塞がれ、外に出る事は叶わず、さらに混乱する。


 その喧噪の中で、少女は身を起こした。

薄闇の中であったが、冷たい表情と、瞳の光だけが激しく燃えているのがわかる。

「徐将軍は、どこにいらっしゃいますか?」


 問うた少女に、兵士数名が斬りかかったが、黒鉄の剣が一閃すると、彼らの武器も首も一緒に切断されて飛んだ。

もう片方の手には、白銀の剣が握られ、それは無音の雷のように煌きを放っている。


両剣とも明らかに青銅や、並みの鉄の刀身ではない切れ味だった。

そして、それを操る者の動作がとにかく早い。

ほとんど目で追いきれないのが恐ろしい。


 皆、本能的に少女から数歩下がった。


「私が徐だが……キミは、何者かね」

重々しい兜と鎧を纏った男が、周りを押し切り、堂々と前に出てきた。


少女の倍以上ある立派な体躯をした、威厳ある顔つきをした武人だった。


「これはこれは、大変失礼いたしました。

私は曹、あざなは孟徳という者です。徐将軍、初めまして。


私は総指揮官ではありますが、このたびは戦う事になり、ここに参りました。

どうでしょう。

徐将軍、総指揮官同士、私とあなただけで戦いませんか?

その方がお互いの軍に犠牲が少なく、事も早く進むと思うのですが」


 徐将軍は呆れたように目を見開き、それから、苦笑いを浮かべた。


「はじめまして曹将軍、私は、徐栄、と申します。

まさか指揮官自ら、先陣を切って乗り込んでこられるとは、信じられませんな。

妖(あやかし)だと言われ方が、まだ信じたかもしれません」


 徐将軍の言葉に、少女も薄く微笑みを返した。


「ところで、曹将軍の申し出なのですが。

お恥ずかしい事ですが、お断りさせていただきます。

あなたの殺傷力を見せられた後では、とてもそんな気は起きませんよ。


せめて、もう少し時間が経って、刃こぼれが起きて、あなたの動きも鈍くなった頃にでも、ぜひ一戦、お願いしたいですな。


それにしても、一体、何でできているのですか、その剣は。

ぜひうちの武器にも採用したいものです」


「秘密ですよ」

 そう言うと少女は、相手が戦うのを拒んだにも関わらず、一気に距離を詰めた。

徐栄将軍が、腰の大剣を抜刀し構えたのと、少女が間合いに入るのはほぼ同時だった。


……断わるって、言ったのにっ!

自分の持つ大剣がじわりと切断されていく異様な感触に寒気を感じる。

さらに少女のもう一本の剣が首を狙うのがわかっている。

徐栄はそれを避けようと、すでに身体をのけぞらせた。


銀の剣先がかすめたのを目の端で見て、よろけながらも倒れ込まず、辛うじて身を立て直すと、相手は素早く、もうすでに再度、自分へと斬りつけようとする瞬間だった。


……早すぎる!まずいっ、首がっ。

体制が整わず、思わず身をすくませ、自分の首元をかばうように身を伏せようとした。

  

 気が付くと、眼前は、真っ暗だった。

おお徐栄、死んでしまうとは情けない……と自分で思ったあと、あわてて、目をパッチリと開く。


……あれ?!わし、生きてるっ?!


 自分の首の横左右には、何本もの剣や斧や矛が付きだしている。盾まである。

そして、目の前には、不機嫌そうな表情の少女が両腕を広げ、自分の目の前で、真っすぐに見つめていた。

それはまるで抱擁の手前のようであり、しかしその腕の先には鋭い刀身が光っており、なんにせよ動揺をした。


「そりゃあ、突然襲った私も悪いですけど」

少女は徐栄将軍に、拗ねたような表情で言う。


「でも、この人数で対抗するのも、ズルくないですか?」

そう言うと、どこかで引っかかってしまった剣を、一気に引き抜き、手元に戻した。


とたんバラバラと様々な武器の破片と、幾人かの兵士たちが倒れる。


徐栄は、思わず、大きく息を吐いた。



「徐将軍、ご無事ですかっ!?」

背後から大音声と、蹄の音が多数、聞こえた。


少女は眉をひそめた。 

敵の援軍に囲まれる前に、ここから逃げなくてはいけない。


「一旦、失礼いたします。またお会いできたら、よろしく」

そう言うと少女は一直線に駆け出した。

進路にいる兵士数名の首を一瞬で飛ばし、人を踏み台にして飛び上がると、囲いからあっさりと出ていった。


そして少女は一気に、敵と味方の間をすり抜けて、大木を見つけると手甲の爪を出して木の上へ這い登った。

枝の間に身をひそめると、やっと一息ついて、竹筒の水を一口飲む。

 

 目下には、その後の徐栄たちが見えた。


彼を助けに来た援軍は、残った護衛兵たちと融合し、徐栄将軍を何十にも囲んだ。

そして周囲の敵を攻撃しながら、安全圏へ移動していく。


あとに残ったのは、地面に伏せたまま動かぬ人々と、敵兵だけとなった。


 ふと空を仰ぐと、澄んだ紺色の夜空には三日月と明るい星が煌めいていた。

黄巾賊討伐の夜襲の時の満月を思い出す。

もしも月に心があったならば、一体どんな気持ちでこの地上の惨劇を眺めているのだろうか……?


などと思いに耽りつつ、手は弓を組み立てた。


……それにしても、奇襲でなんとかなったものの、ここからは押される一方になる。

私でも逃げ出したい気持ちになってきたな。


少女は木の上から、ちまちまと敵兵を狙撃しつつ思う。

……ふたたび、徐栄に会う事は、できるのだろうか?


つづく

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