第53話 酸棗・嫌われるのは慣れているから(嘘)

 廊下に出ると軍服の夏侯惇、字は元譲が立っていたので少女はギクリとした。

城の見回り兵が数名、彼を監視しているが当の本人は気にする様子もない。

 

少女が早足に歩き出すと青年も並行し、肩をすくめた。


「よくもまあ、あの雰囲気の中で堂々と意見が言えたものですね。

私なら「失礼します」と入った瞬間、そのまま「失礼しました」と帰っていたかも」  

「こんな時は、空気なんて読まなくていいのさ。

それに私は役所でも宮中でも、あんな調子だったし。

冷たい視線や、嫌われたり、笑われたりには慣れてるのだ。


ま、何も言わずに出撃するわけにもいかないし、ついでに色々と言っとこうと思っただけさ」


「孟徳殿、あなたが全世界から嫌われても、私はあなたの味方ですよ」

「えぇ?」

少女は怪訝な表情で青年を見上げると、明るい笑顔を返された。

「相変わらずヘンなやつだ」


「ところで、さきほどの占拠する予定だと言っていた要塞って、成皋せいこうですか?」


笑顔のまま問う青年に、少女は驚いた。


「えぇっ!君ってヘンだけど、時々、肝心な事はとてもよくわかっているねっ」

思わず相手を背伸びをして見上げる。


「以前に訪れた時、良い城塞都市だと思いました」

「私もそう思ったのだ。まず成皋を占拠するんだ」


そして小声で付け加える。


「それにあそこは食糧も豊富だから、食費も浮かせると期待しとるのじゃ……」

「おおっ。金欠の私たちには一石二鳥な場所ですねっ」

捕らぬ狸の皮算用でハハハと笑っていると、不意に後ろから呼びかけられ二人はハッとして振り返った。


「曹将軍っ、お久しぶりですっ!私ですっ!鮑信ほうしんですっ」

と、ふっくらとした体格で綺麗な絹の平服を着た男が、小走りで駆け寄ってきた。


二人の前に立つとすこし緊張したような顔つきで拱手し、深く頭を下げる。


「わたくし、さきほどのあなたの演説に感銘を受けましたっ。


恥ずかしい話ですが、この二か月間、私たちが話し合っていた以上の内容を、あなたは披露されました。

あなたはやはり他の方とはどこか違う、稀な方です!」


「えぇっ」

少女は突然褒められて驚き、素直に少し頬を赤くした。


鮑信は語り続ける。


「これまた恥ずかしい話ですが、私は皆に董卓を攻めるべきだと、強く言えませんでした。

しかし、あなたは一人、作戦を考え、その上、進軍するとも言われた。


あなたのような勇気のある人は、この乱れた世を平穏にするために、天から遣わされた人なのかもしれません。

私はあなたに、心から感服いたしました。

ぜひ、あなたと一緒に行動したいと思いました。


あなたの進軍に、私の軍もご一緒させていただけませんか?」


その言葉に、少女は彼の体にぽよんと抱き着かんばかりに感激したが、自重して彼の両手を握った。


「ほ、本当ですか!?

私の軍はとても少ないので、あなたと一緒に進軍できるならとても心強いですっ」


「もちろん、本当ですとも!」


「ありがとうございますっ鮑将軍。なにとぞ、よろしくお願いいたします」

少女が拱手して深々と一礼すると、隣にいた青年も慌ててそれにならった。


 鮑信の軍は歩兵が二万、騎兵が七百、輜重が五千、という。

それを聞いて、少女は目を何度もパチクリとさせた。


……名士の衛茲えいじ殿から援助してもらって、やっと五千人を集めた自分とは、まるで格が違うっ。


格下の自分を敬ってくれる鮑信殿こそ、天の使いだ!と少女は彼に深く感謝した。


「孟徳殿」

聞き覚えのある声に呼びかけられ、そちらを振り返る。


「これは子許殿。お久しぶりですっ」

衛茲えいじあざなは子許だった。

お互い拱手して、顔を上げる。


「私はここを離れますが、あなたの御恩は一生忘れません。ありがとうございました。どうか、お元気で」


彼は、董卓の手配から逃亡中だった自分を危険も顧みずに助け、さらに多大な投資をして兵を持たせてくれた恩人なのだ。


彼は少し、困った顏をした。


「お元気で、だなんて。冷たいじゃありませんか。

私もあなたと同行しようと思い、声をかけたのです。

あなたと征く事は、張邈ちょうばく殿には、すでに許可を取りました。


先ほどのあなたを見て、私も鮑信殿と同じく、自分を恥ずかしく思ったのです……」


 そう言われて、瞳にじわりと涙を浮かぶのを感じつつ、答えた。


「あれは、私が変わり者で孤立してるから言えただけです。気にしないでください。

それに、ここでも味方していただけるなんて……あなたにはどれだけ感謝しても足りません」


「鮑将軍も言っていましたが、あなたを助ける事が世の平穏に繋がると、私も信じているのです。

あなたと出会えた事、うれしく思いますよ」


 その言葉に、少女は真剣な目をして、彼を見つめた。


「私は、あなたや、多くの人に助けてもらわねば、ここにいる事もできなかった弱い人間です。

私は、助けていただいたその恩を、決して忘れる事はありません」


 名士二人のおかげで、思いがけず約三万もの軍勢となり、酸棗から成皋へと行軍する事となった。

五千人の兵力が突如、この大軍となったのである。

この幸運と安堵からか、全てが上手くいくのではないかという淡い期待まで持って進んだ。


 だがそれは、二日目、空が赤く染まり始めた頃の草原で破られる。

目的地まであと約三刻(約六時間)ほどの地点で、無理せず野営の指示を出そうと思った時だった。


仕事が終わり、早めの夕餉の準備をしようというような、気の抜けた時に、斥候が駆け込んできた。


「董卓軍がこちらに向かって進軍してきておりますっ。

距離は約六里。兵数は推測でこちらの二倍ほどです」


その報告を受け、少女は思わず「んぐっ」と喉が詰まったような声を出した。


つづく

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