第51話 酸棗・孤立?いえ、孤高です。
二月も気づけば過ぎてゆく、ある日の夕暮れ。
三人の客人が少女の小さな幕舎を訪問した。
「やあ、
張邈と張超は兄弟で、臧洪という人物はよくわからない。
反董卓連合の中で、彼らはいつも一緒に行動している仲良し三人組であった。
彼の部下の
もし彼がそれを許さなかったら、ここにいる事も、生きている事もなかったかもしれない。
張邈、あざなは孟卓は笑顔で少女を見つめた。
「たいしたものですね。
この
私たちも明日は宴会を断って、兵を鍛えようかと話していた所です」
その言葉に、少女ははにかんだ笑みを浮かべた。
「私は兵士をたくさん集められなかったので、できるだけ精鋭にしようと思っているのです。
それに董卓はいつ動き出すかわかりませんから、今のうちに準備をしているのです」
「私たちだって宴会ばかりでなく、いろいろ準備しています」
と、張邈の弟である張超が、急に口を挟んだ。
少女は少しドキリとして、彼を見ると、呆れたような目で見下ろされた。
「私は、会議や宴会に参加なさらないあなたの事を心配しているんです。
大勢の太守が集まっている貴重な場なのですよ。
彼らと連携を密にするために会議をしながら少々酒をたしなんでいるだけです。
このままでは、いざという時にあなたは孤立するでしょうね。
そうなると困りますので、皆と歩調を合わせるようにしていただきたいものです。
社会人としての常識を破られては困ります」
「そうですね。まったくその通りです」
少女も頷いたが、逆にそれが相手を苛立たせたのか、彼は前のめりになって口を開きかけた。
「これ、超、失礼だぞ」
兄の張邈にたしなめられて、張超は身を引き、ムッとして目を伏せた。
そして兄は素直に頭を下げた。
「弟が、急にすみません。今日も、ひどく酔っておるのです。
我々もこのような非常事態が初めてで、自分のしている行動が正しいか、自信が持てず、時間もやたらに早く過ぎていく。
その中で、あなただけは訓練を続けている。
その姿に、無言の批判をされているという思いが募っていたのかもしれません」
少女は張邈に頷き、穏やかに答えた。
「もしそうならば、私たちは皆、自信がないという事ですね。
私も戦場には一度しか出た事なく、軍隊の事もまだよくわからないのです。
訓練だって、的外れな事を一生懸命しているのかもしれませんし。
それぞれ、信じた事をするしかありませんね」
「そうそう、実戦に出た事があるあなたのお話は、皆、聞きたかがっているのは確かなのですよ。
どうです?すこし、酒の席に顏を見せてみては」
唐突な彼の言葉に、少女はやや戸惑いつつも笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。また後日、ぜひ参加いたしますよ」
彼らが城へ帰る姿を見送る時には、空は赤く染まりつつあった。
「孟徳殿」
鮮やかな夕焼けに見惚れている中、唐突に足元から声がして、少女はぎくりとした。
兵卒の恰好をした女の間者が、背後で跪いている。
彼女は元々は衛茲の下にいた間者だが、今は少女のために働いていた。
それにしても、相変わらず、間合いに入られてしか気配を感じられないのが悩ましい。もしも相手に殺意があるなら、自分はすでに死んでいる。
……官軍の間者はもっと手練れだというから、恐ろしい話だな。
二人は一緒に、指揮官の幕舎に入った。
小さな火鉢の上に乗せていた薬缶から白湯を注いで渡す。
彼女は礼を言って両手で器を包み、一口飲んだ。
そして、小声で話し始める。
「董卓が、洛陽から長安に帝を移動させようとしています。つまり、遷都です」
少女は大きな目をさらに見開き、息をのんだ。
「洛陽では反董卓連合の陣営に近いですから、天子を人質に距離を取ろうというのでしょう。
すでに高官たちは住居の確保や移動準備のために活発に動いておりますので、ほぼ確かな情報です」
今では息を整えるのが難しいほど、怒りが沸き立つ。
「この一か月半、敵に考える時間と、逃げる機会を与えただけだった。
それにしても、帝都をこんなに簡単に捨てるとは思わなかったな。
董卓にとって洛陽など知らぬ土地なのだから、未練などないのだろうけども……」
そう言い終わると深呼吸をして、様々な気持ちを抑えた。
そして皮肉に口を歪める。
「いかにも袁紹らしい結果だ。
軽い風邪を放置して、取り返しのつかない大病にしてしまったようだ」
その数日後、ついに長安への遷都が本格的に始まった。
洛陽の住人は移住を強制され、数日かかる長距離を歩かされているという。
そして病人など、移動ができない者が残っている中、容赦なく街には火が点けられた。
これは見せしめと、食料や物資など敵の役に立つ物を徹底的になくす焦土作戦でもあるのだろう。
かつての首都は、たちまち空を焦がすほどの業火と化し灰となって散った。
小さな民家も、不可侵であるはずの宮廷も、全て等しく消えていく。
その火はなかなか衰える事はなく、幾日も盛んに燃え続けた。
その直後である。異変が起き始めた。
先に長安に忍ばせていた間者たちが、次々と消息を絶っているのである。
それは危険が迫っている信号だった。
情報の遮断は、戦略の基本である。
董卓軍が、本格的に軍事行動を取ろうとしているのだ。
ついに、攻める事を決めたのだろう。
身支度を整えると幕舎の見張りをしている兵に、全員出撃する準備をして待っておけ、と伝えた。
そして、宴もたけなわであろう酸棗の城へ向かった。
正月に董卓を討つために集まり、時は過ぎ二月末、吹く風は生暖かい。
つづく
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